6月20日に囚われて

タオル青二

救いの手を

 カレンダーは6月20日。買い物を終えて帰宅した後のこと。

 夕刻に私の家のインターホンが鳴った。

 家で一人暮らしの中、田舎に住んでいるのが嫌でたまらず仕事が休みの日には、バスで2時間かけて東京に出るときもある。

 ……ちなみにご近所付き合いは殆どない。が、この日は何故か色んな人に話しかけに行ったりした記憶がある。帰宅途中にたまたまいたお巡りさんに声を掛けたり、2軒先で庭いじりをしているおばあさんに世間話を聞きに行ったり。

 その冷たくて血の通っていなさそうなおばあさんは、神妙な面持ちで怖い話をしてきた。


「あんたん家ね、昔お墓があったんよぉ……80年前、よそもんが土地奪い取ってその上に家建てたんさぁ……」


 ――なんで急にこんな話するんだろ?

 知りたくないことが頭にこびりついた。そのせいもあってかこの日はすごく怖かった。



「はーい」


 私は玄関に向かって歩を進めたが、途中、一つの違和感を覚えていたことを思い出す。

 誰かに見られているような視線。明確にではないのだけれど、確かににそう感じた。

 奇妙に感じ、重くなった足取りで玄関前に行けば、半透明なガラス戸越しに小さい人影が見えて、それは小学1年生ほどの男の子を連想させた。


 夜が近づく中でこの家に何の用だろうか? もしや不審者でも現れて助けを求めに来たのか? あるいは迷子にでもなってしまったのだろうか?

 世の中は何があるか分からないし、人助けと思い玄関の引き戸を引いてみると――戸の向こうには誰もいなかった。


 玄関から顔を出して左右を確認したけれど、人の影は一人としていない。代わりに一匹の黒猫が左の塀の上から私を見つめていた。


「……?」


 何か口に咥えてる。近寄ってみるとそれが何だか分かった。

 カギだ。とっても古くて錆びついたカギ。

 猫は逃げることもなく、むしろ近づいてきて私の足元にカギをぽとりと口から放した。


「そういえば……」


 この家には物置小屋がある。古い小屋で、私がこの家に住むようになってから一度も足を踏み入れたことがない未知の空間。


 ――何で私、この家に住み始めたんだっけ?


 手に取ったカギから目線を外すと、いつの間にか黒猫は音もなく消えていた。

 森の奥から烏の鳴き声が響きわたる。風が木の葉を鳴らし、誰かの声のようだった。青黒く染まっていく空には不気味に飛び回る蝙蝠の大群。田舎には街灯も少なくて自分の敷地内だというのにまるで見ず知らずの人にぴったりと密着されているような、ゾッとする空気感がある。

 なんだかとても気味悪く思えて、このまま部屋に逃げ込みたくなった。

 いや、

 私の身体は心とは裏腹にぐんぐんと物置小屋に迫っていた。足が勝手に動きだし手に持ったカギをぎゅっと握りしめていた。


 自身のやっていることが理解できない。

 ――何が起きてるの⁉ どうして思うように動かないの⁉

 ――ねえ何で! どうして!! 行きたくない開けたくないのに!!!


 躊躇なくカギは物置小屋の鍵穴へと吸い込まれるように刺さり、カチャッっと音が聞こえた。

 開錠された音だ。


 ――開けたくない、見たくない、何がいるかなんて知りたくないのに!


 ぎぎぎっと開かずの間が、開いた。



 そこには玄関前に立っていたであろう男の子。背を向けて物置小屋の中心にたたずんでいた。


「だ、誰……?」


 声を掛けた私に反応するように少年の首だけが180度振り返って。

 そして、足音もなく、瞬きの間に眼前に、

 次の瞬間人の温もりのない手が私の首元に――


 ♢


 うーん、寝つきが悪いなぁ……。

 ずっと悪夢を見ている気がしていた。今日だけの話じゃない、毎日、毎日、同じような悪夢を。


 買い物帰りの途中、バスに揺られながら瞼を閉じる。真っ暗だ。瞼の裏には何もないけれど、それとは別に暗黒がある。今度は目を開けてバス窓に反射する私の顔を確認する。


 ――これ、本当に私の顔なのかな……?


 黒いストレートヘアーは薄っすらと艶を持っている。前髪は7:3で分けてあるし眉毛にはかからない程度。まつ毛は下向きに長く、目は垂れ気味。でも口紅をしていないから今日は化粧せずに外に出ちゃったのかな。


 ――あれ、そういえばいつからあの家に住んでたっけ? そもそも今日何時ぐらいに家を出たの?


 考え事に目を閉じると、先ほどの暗闇が在る。何も思い出せない……私は一体誰で、なんでわざわざ田舎に住んで、仕事は何をしているのか?

 答えのない自問自答のさなかでふとしたことに気が付いた。

 この暗い向こう側から何かが近づいてきている。


 人の輪郭が手を伸ばしているようなシルエットが、明るく発光しながらこちらに距離を詰めていた。


『み……た、て……ばし……』


 ――何か聞こえる。なんだろ? なんだか懐かしいような気がするな。聞き覚えがあるような。



 プーッ、バスが停車した音がした。

 まずい、降りなきゃ。

 目を開けるとそこには前座席の背面だけで、やっぱり手を伸ばして近づいてくる存在なんてありはしない。気のせいだと思いつつ、私は再びに戻っていった。


 ♢


 インターホンが鳴る。重い足が玄関に私を運んでいく。戸を挟んだ向こうには少年の影が。


 ――もう知っている、このあとどうなるのか。身体が体が勝手に動くことも、黒猫がカギを置いていくことも。

 ああ、何度も何度も同じことをしている。何日も何日もこの日を繰り返している。いったいいつからだろう、私がを認識したのは。


 戸が開いた。当然目の前には誰もいない。

 開けたのは私じゃない。私の意思は反映されていない。

 ここから分かるのは、私はの操り人形だということ。

 駄目だ、黒猫が足元に、いつものパターンに入ってる。また同じ道をたどっているんだ。


 でもどうすればいいんだろう……身体は勝手に動くから、遠くに行くことなんて――

 あれ?

 黒猫が消えてない。カギを拾い上げたらいなくなるのに、今回はその場に留まっている。なにより物置小屋に進んでいく私をその黄色い瞳が見つめ続けている。


 ――もしかして何か変えられるのかな……?


 その6月20日は最後まで黒猫に見守られて意識が途絶えた。


 ♢


 またバスだ。

 でも今までと違って私自身を強く知覚できる。前回瞼の裏で見たあの人に接触できればあるいはこのループから抜け出すヒントになるかもしれない。


 再び視界を落とす。


『聞こ……? す……助けだ……ら!』


 この前に届いた声よりもはっきりとしてる!

 やっぱり何か糸口があるのかもしれない。


『黒……が……から!』


 プーッ。目を開けてバスから降りる。私の意思から離れて動いていたけれど降りなきゃいけないと直感していた。あのバスに乗り続けてもどこにも着かないと心が語っている気がして。

 何かヒントといえるだろうか。

 ……最後に聞こえた黒、多分黒猫のことだ。あの猫だけは違う動きをしてる。

 猫はきっとこの状況を抜け出すヒントになるはずだ。もしくはあれこそが答えかもしれない。


 ただ一つだけどうしようもないことが。私の意思とは無関係に動いてしまうことだった。何故そんなことになるのかは繰り返し続けても不明だけれど、今は少しの望みに賭けるしかない。


 部屋に戻るとピンポーンと家に響く。重い足取りで玄関前に脚は向かう。開けた先には誰もいない。

 塀の上、いた! あの黒猫だ!

 カギを受け取る。猫は消えずに私を見つめている。


 ――どうすればいいかな?


 促すように猫が目を閉じた。チャンスは今しかないかもしれないと、私も目を閉じる。身体が人形のように動き出す前に。

 真っ暗の視界に、明るく光る人影が一つ。それは初めて見たときのように手を伸ばしていた。そして今度こそ明確に聞こえる。


『――やっと見つけた! 手を伸ばして、掴んで! 

 一緒に帰ろう!! ――――お姉ちゃん!!!』


 あっ、そうか懐かしい声に決まってる。声の主は、妹だ。

 いつだって一緒にいた私の家族、思い出した。あの日のことを。


 妹と喧嘩した。本当に些細なことだ。それはな話だ。

 喧嘩の最中、怒って理性的でなくなった私は駆けだしてその場から去った。問題はそのあとだ。

 人間だ。人間の侵略行為。領土侵食に巻き込まれてしまったんだ。


 そっか、あのあとわざわざお姉ちゃんを探してくれてたんだね……。なら私も戻らなくちゃ。

 きっと不安だったと思う。お互いに嫌なことぶつけ合ってどれだけ傷ついただろう。私自身も妹の意見には思うところがあったけど、気持ちに任せて全部吐き出してしまったのは大人げないなって思った。だから嫌われても仕方がないことだなんて。

 でも急にいなくなったら不安だよね……。私たち家族なんだから。


 伸ばされた手に私の手を重ね合わせる。お互いにがっしり掴んだまま近しい相手の熱を感じた。とても久々のような気がした。毎日同じことを繰り返し続けたからだろうか?


『ちゃんと手、掴んでてよ。引っ張り上げるから』

「うん」


 妹の明るい短髪赤髪が目に映る。この闇の中で彼女自身と彼女が領域に入ったであろう場所から光が漏れ出ている。


『それから……』

「何?」

『言い過ぎだった……ごめんなさい』


 目を背けながら申し訳なさそうに妹は謝罪した。すぐに光の方に顔を向けてしまった。きっと面と向かって謝るのが恥ずかしかったんだろう。


「……こっちも、ごめんね」


 本当はお姉ちゃんから謝らないといけないのにね。

 引っ張られながら一瞬見えた口元には笑みがあったような気がしたけどどうだろう。

 光源に近づくにつれてあの身体とは離れていく。あの世界が遠ざかる。


 強い光が私たちを包み込んだ――――そして。

 私たちは故郷のある世界へと戻ってきたのだった。


 ♢


「あのー、私が取り込まれた世界は何だったんでしょうか?」

「ああ、あれは人間どもが侵食してきた際に出来上がったデータでね。どうやら自作ゲームの世界だったよ」


 あの後、また巻き込まれてはいけないと急いでその場を後にした私たち姉妹は、対人間対策本部へ、妹は私の救出報告を、私はそのお礼のために参った。

 今はそれも終えて本部の男性と話している最中であった。


「君が妹さんと言い争ったのち、タイミング悪く人間のデータ侵攻があったようだからね。君はそれに巻き込まれて、およそ1週間ほど囚われの身となっていたわけだ」

「向こうでの毎日はひどく視線を感じる日々だったんでけど、それは妹や皆さんの?」

「いや、それはおそらくプレイヤーの目だろうね」

「……どういうことでしょうか?」

「ゲームといったろう? プレイヤーは君が巻き込まれ、取り込まれてしまったあの身体を操作していたんだよ。君の報告にあった身体が勝手に動くというのは人間達が君の意識の入った身体を動かしていたせいだろうね。我々の自我データ単体では侵略領域には侵入できないから、君のように内部データに紛れて迎えに行ったわけさ、黒猫に紛れてね」


 なるほど、私を見ていたんじゃなくてあの人物データに視線を送っていたわけか。

 自身に起こったことを振り返ってよくわかったことがある。人間は私たち電子生命体を認識していないんだ。つまり巻き込まれても人間は気付きもしない。

 そもそも電子生命体の生きていた領域をインターネットやらで後から侵略してきている自覚もないらしいから、仕方がない。


 じゃあもしかして――


「――もしかして私のように取り込まれた方たちっているんでしょうか?」

「……残念ながら。あまり公にしていないのは、有効な人間対策がまだ確立できていないためだがね。今表に出しても不安を煽る結果になるだけだ」


 永遠に同じことを繰り返す領域――そっか、今回のことで対話の道は難しいと感じた。だからって血なまぐさい闘争劇をしたいわけじゃない。

 私は私にできることを、同じような人を救い出したいと想った。

――だから。


「あの、私も救助隊に加えていただきたいのですが!」

「……そんな気はしていたよ。だがまあ、妹さんと話し合ってからでも遅くはないと思うがね」


 手を出入口のドアに向けていた。どうやら妹が待っているようだ。


「分かりました、このことは妹と相談してから参加させていただきます」

「うむ、分かった。行きたまえ」


 頭を下げて私の意思でドアの前へ、ドアノブに手をやる。半透明のガラスの先に映る人影。今度は知っている人がいる。それだけで心がぽかぽかしてきた。

 妹になんて言えばいいのか考えながら、他の人たちに手を伸ばしていけることを頭に巡らせるのだった。

 妹が私を救ってくれたように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

6月20日に囚われて タオル青二 @towel-seiji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ