第30話 自分自身の人生を

 貞彦と素直は、ひたすら作業を続けた。


 素直の手伝いのおかげで、作業の苦痛は大幅に小さくなった。


 一人じゃなく、二人でいること。


 単純に二倍ではなく、その力は何倍にでもなることを、改めて知った。


 そのことをただ、伝えたいと貞彦は思う。


 孤独と孤高を貫く、最愛の人に。


 誰かといることがいいだとか、孤独でいることがいけないとか、否定的な意味合いではなく。


 ただ単に、そういうものなんだと。


 ただ、伝えたかった。


「よし。ちょっと休憩しようよ」


「そうだな」


 二人は、芝生の上に寝転がった。


 景色の九割ほどは、すずらんの色彩で埋まった。


 無謀なチャレンジだと思っていたが、ようやくあと少しというところまできていた。


「ねえ貞彦先輩。澄香先輩は戻ってくるかな?」


 素直は言った。


 不安の入り混じった、揺れる声色。


「正直なところ、わからん」


 自分の答えは、素直の不安を和らげるものではない。


 そうわかってはいるけれど、貞彦は正直な気持ちを伝えた。


「自信満々で言い放たない所は貞彦先輩のいいところで悪いところだよね」


「すっげえ微妙な気持ちになるよ……」


「でも貞彦先輩らしいと思うよ」


「俺らしい、か。それは多分、大事なことだな」


 貞彦は目を閉じた。


 澄香や素直と関わった、様々な思い出が巡った。


 素直はいつでもどこでも、素直だった。


 悩んだり怒ったり、弱音を吐くこともあった。


 けれどもずっと、矢砂素直であり続けていた。


 やりたいことをやりたいようにやる。


 そんなシンプルな生き方を貫いていた。


 そして、澄香は。


「澄香先輩が、誰でも肯定していたことの意味について、思いついたことがあるんだ」


「うん。なにかな?」


「相手を肯定することって、なんていうか強引さがないんだ。それでいい、そのままでもいいって、言われてる気がする」


「うんうん」


「でも、澄香先輩はそれだけじゃないんだ。さらに新しい選択肢も用意する。今のままのあなたでもいい。でも、新たな選択肢を選んでもいい。どんな選択肢を選んでもいいって、安心させてくれている気がする」


「こうしなさいああしなさいって強制している感じじゃないよね」


「そうなんだ。必要なことを伝えた上で、自分自身に選ばせている感じがする」


 澄香は決して、何かを強制したりはしなかった。


 ひたすら見守り、耳を傾け、必要とあらばアドバイスは行う。


 けれど、その言葉は強制力を持った言葉ではなかった。


 こういう考えもある。こういったところには注意しましょう。


 そんな気づきを促進するものや、促しを進めるものだった。


 そうしたアプローチをしていた理由について、貞彦は考えた。


「澄香先輩はきっと、信念を持っていたと思う。『自分のことは、自分で決めていこう』という信念を」


「案外普通のことみたいだね」


「普通のことと言えば、そうかもしれない。でも、現実ではそうじゃないことが多いんだ。誰かに言われてとか、こうしなきゃいけないっていう何らかの強制力に囚われているって、そんな気がする」


 いい子でなければいけない。


 勉強はしなければいけない。


 学校には行かなければいけない。


 安定した職業に就かなければいけない。


 世の中にはたくさんの、ああした方がいい、こうしなきゃいけないに溢れている。


 そんなのはなんだか、不自由だ。


「自分で決めることって、簡単じゃないよ。人に決めてもらうことって、嫌なこともあるけど楽なんだ。だって、嫌なことがあった時に一言いえばいいだけだから」


「『あなたがそう言ったから』ってそういうこと?」


「人に決めてもらうことで、簡単に責任を転嫁できる。自分の行動や言動の責任を、誰かに押し付けることなんて、本当はできないはずなんだけどな……」


 貞彦は、起き上がった。


 風に揺れるすずらんの花。福音を運んでくる鐘のように、見えなくもない。


「自分の人生は、自分自身で掴みとるものだと思う。だから俺は、澄香先輩にも強制しない」


「理屈なんか抜きで情熱的に無理やりさらって欲しいって思ってるのかもしれないよ?」


 素直は言った。


 試すような、悪戯をしかけるようなニュアンスが含まれているように感じた。


「それでも、俺は強制しないよ。澄香先輩には自分で考えて、自分で選んで欲しい。もしその答えが、生きていくことを望んでくれるのであれば、俺はとても嬉しい」


 もしも澄香が、生きることを望まなかったとしても、受け入れようと思う。


 悲しいし、納得ができないわけではない。


 それでも、澄香自身が選ぶことなのだ。


 幸福になる方法とは、心の底から幸福を求めること。それが第一歩だ。


 澄香には、自分自身で求めて欲しいと、貞彦は思った。


「ふーん。ヘタレな貞彦先輩らしくていいんじゃないかな」


 素直は、憎たらし気に言った。


 反骨心も湧いたけれど、すぐにおかしさに変わる。


 歯に衣着せぬ物言いはきっと、素直なりの激励なんだと思えた。


「それじゃあ、もうひと踏ん張りだな。もう少しだけ、手伝ってくれないか?」


 貞彦は立ち上がり、素直に向けて言った。


 素直は力強く頷いた。


「もちろん! がんばっていこー!」











「そういえば、聞きたいことがあるんだけど」


「なにかな?」


「みんな、元気にやってるのか? 特に三年生組」


「みんなハラハラしながら待ってるけど元気だよ。でも三年生組は受験勉強で大変そうだね」


「そうだよな。忙しい時期なのに力になってくれたことに、お礼を言わないとな」


「峰子先輩なんか特に心配しててずっとラインが来るよ。そういえば来夢先輩は『もし受験に落ちたら貞彦くんに責任を取ってもらう』って涙目だったよ」


「みんな、頼むからがんばってくれ……特に来夢先輩。まあでも、わかったよ」


「わかったって何がかな?」


「いや、なんでもない」


 確信を得たように晴れやかな表情の貞彦を見て、素直は首をかしげていた。











「かんせーい!」


「よっしゃー!」


 素直と貞彦は、両手を上げてはしゃいでいた。


 白須美家の庭を、すずらんの花で埋め尽くすことができた。


 深緑から覗く白い鈴の姿は、幸福の象徴に見えてくる。


 ただただ綺麗だと、ため息が出てきそうだった。


「それでそれでこの後はどうするのかな?」


 素直は聞いた。


 すずらん畑ができたからと言って、ここで終わりではない。


 どうするかの選択は澄香に託すとして、まずは話ができなければ始まらない。


 作業の最中に出てきてくれることを期待していたが、一向に反応はなかった。


 完成した今も、庭に飛び出してくる気配はなかった。


「実はな……」


「うん」


「何も考えてなかった」


 貞彦の独白に、素直はズッコケた。


 やりたいことばかりに焦点が絞られていたため、どうやって澄香をおびき出すかというところまで、考えが及んでいなかった。


 ただ単に、浅はかだった。


「なんじゃそりゃー! わたしのたいせつなものを返して!」


「やめろ! 誤解される!」


 夢の中なのに、保守心から思わず周囲を見回してしまった。


 当然誰もいなくて、少しほっとした。


 素直は激昂した割に、すぐさま冷静さを取り戻していた。


「アホな貞彦先輩のやることだからしょうがないよね」


「ついにアホと言ったな。ただ単にバカにしたな」


「アホにしたんだよ。でも澄香先輩も気にはなっているみたいだね」


 素直は控えめに白須美家の方を指さした。


 目を凝らさなければわからないが、カーテンにはわずかな隙間が生じている。


 一切姿を現さないが、監視はしているのかもしれない。


 まるで興味がないのであれば、打つ手は見つからない。


 しかし、そうでないのであれば、何かしらやりようがあるように思う。


 貞彦が腕を組んで考えていると、袖口をちょんちょんと引っ張られた。


「ねえ貞彦先輩。いちおーわたしにアイデアがあるんだけど」


 素直は珍しく、ぼそぼそとした声で言った。


 わずかにうつむいていて、普段の快活な様子とは違っていた。


「本当か? どんなアイデアだ?」


「口に出すのはちょっとアレなんだけど……わたしの読み通りだったら澄香先輩を引きずり出せると思う」


 素直は言った。


 なぜか体を揺らして、もじもじとしている。


 何をするのかはわからないが、貞彦は覚悟を決めていた。


 澄香ともう一度話をするためなら、なんだってしてみせると。


「言えないなら言えないで構わない。俺はなんだってやってみせるよ」


 貞彦が言うと、素直は顔を上げた。


 わずかに朱色を帯びているように見えた。


「……貞彦先輩の覚悟はわかったよ。じゃあ二つだけ言っておくから聞いてくれるかな?」


 いつになく真剣な素直。


 貞彦は無言で頷く。


「一つ! 今からすることに決して他意はないからね!」


「ああ。わかった」


 貞彦は首肯した。


 素直は口をもごもごさせている。


 なかなか言い出せないらしく、あうあうとしている。


 珍しい仕草に、貞彦はなんだかおかしくなった。


 素直は、両手で自分の頬を叩いた。


 そして、貞彦と真っすぐ向き直る。


「二つ! 夢の中だから――ノーカンだからね!」


 言葉の意味を理解すると同時に、素直の両手が首に回される。


 気が付いた時には、視界一杯が素直に染められた。


 貞彦はようやく理解した。


 素直にキスをされたことを。

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