第29話 頼りになる可愛い相棒

「ふうっ」


 額の汗を拭い、一息つく。


 魔法のような力で、ぽんと自分の思い描く光景を再現できる。


 なんて、そんな甘いことはなかった。


「まあ、そんなにうまくいくわけないよなあ」


 一人で呟き、苦笑する。


 貞彦は一人で、畑を作っていた。


 野菜を植えるわけではない。


 一つ一つ植えているのは、純白の鈴のような、すずらんの花。


 澄香が母親と見に行った、幸福を象徴する花。


 すずらんで、白須美家の庭を埋め尽くそうと思った。


「我ながら、狂気の沙汰だな……」


 夢の中じゃなかったら、完全にテロ行為である。


 夢の中でも、テロ行為にあたるかもしれない。


 テロだろうが狂気だろうが、やるったらやると決めた。


 澄香のためでなく、やりたいからやるのだ。


 誰のためでもなく、ただ自分のために。


 とはいえ、作業をしている時の無気力感は半端じゃない。


 土を掘り返して、植えて、固定する。


 ひたすらの作業の繰り返し。


 好きでやっていることではあるが、作業が地味すぎる。


 最初の一時間くらいは楽しかった。


 五時間を超えてくると、疲労を感じた。


 一週間ほど経過した頃には、なんでこんなことをしているのかと、思ってはいけない疑問が湧いてきた。


 その間、澄香は一度も顔を出したりはしなかった。


 ほんの少し部屋のカーテンが揺れることがある。もしかしたら、たまに覗いているのかもしれない。


 けれど、一度として声をかけてきたりはしなかった。


 黙々と時間が過ぎていく。


「……ねえ。なんでそんなことをしてるの?」


「……俺もわかんなくなってきた」


 貞彦はかろうじてそう答えた。


 そして、話しかけられることがおかしいと気づいた。


「って誰だ!?」


 貞彦が振り向くと、そこにはわんぱくそうな見慣れた顔があった。


「素直じゃないか!」


「そうだよ。相談支援部の頼れる後輩! 矢砂素直の参上だよ!」


 素直はどや顔で言い放った。


 貞彦はとりあえず、素直の頬を軽く引っ張った。


「いひゃくない」


「そうか。夢か」


「ってか何すんじゃー!」


 大きく振りかぶった素直から、拳を浴びせられた。


 痛みは感じなかったけれど、衝撃で吹っ飛ばされた。


 どうやらまだ、夢を見ているようだ。


 素直はぷんぷんと怒っていた。


「もー! 全然目覚めない貞彦先輩をわざわざ手伝いに来てあげたのに!」


「悪い悪い……ということは、本当に素直なのか?」


「素直ちゃんに本当や嘘があると思うのかー!」


 両手を振り乱しながら、怒りを表現している姿は、もはやギャグにしか見えない。


 けれど、貞彦は胸が温かくなったように感じた。


 恥ずかしくて言えないけど、最も信頼できる心強い味方が駆け付けてきたのだ。


 思わず口元に笑みが浮かんだ。


「というか、俺は今までどれくらい眠っていたんだ?」


 全然目が覚めないからという表現に、不安を覚えていた。


 澄香の夢に入ってから、どれくらいの期間が経過したのか、皆目見当もつかない。


 時間の感覚が現実とは違うため、現実では一カ月とかへたすれば一年とか経っていないかとか、心配だった。


「今のところ二日間眠り続けてるよ」


「そっか。まだ二日だったか……」


 貞彦は安心して、息をついた。


「貞彦先輩! あからさまに安心したでしょ。そんな悠長な考えじゃいけないんだよ」


「いや、もっと時間が経ってるかなーって思ってたからさ。なんでそんなに切羽詰まった感じなんだ?」


 貞彦が疑問を口にすると、素直はびしっと指を指した。注意喚起のポーズ。


「澄香先輩はいいとして貞彦先輩は寝る時になんの対策もしてこなかったでしょ」


「まあ……そうだな」


「そろそろ姫奈ちゃんをごまかすのも限界だし眠り続けちゃうと貞彦先輩の体も危ないからね」


 言われてみれば、素直の言う通りな気がする。


 寝ている間にもエネルギーは消費されるし、水分はとらなければいけない。


 なんの対策もしないままで眠り続けることで、自分自身に危険が及ぶ可能性は考えられる。


「そうだよな……」


「あとはね……これ以上目覚めなかったら――わたしは貞彦先輩にオムツをつけてあげなきゃいけないハメになる」


 素直は淡々とした声色でいった。


 平坦な瞳の奥には、なぜか力強さがみなぎっている。


 覚悟を決めた、女の目だった。


「それだけは絶対に嫌だ!」


 貞彦は大声で拒否した。


 信頼している後輩に、脱がされてオムツを履かせてもらうなんて、最悪の罰ゲームだと感じた。


「だいじょうぶだよ。事故だと思って気にしないことにするから。わたしは貞彦先輩のアレを見ていない風で接するから……」


「もう早く終わらせよう! とっとと澄香先輩を起こして現実に帰ろう!」


 貞彦は焦りのあまりに、非常に雑なことを言った。


 いつまででも時間をかけるつもりでいたけれど、悠長なことを言ってはいられない。そう思いなおした。


 時はもう、一刻を争うのだと思った。


「ようやく事の重大さがわかってきたみたいだね。それじゃあ最初の質問に戻るけどさ。なんでそんなことをしているのかな?」


「えっと、話せば長くなるんだが」


 貞彦は、今までの経緯と、自分のやりたいことについて説明を行った。


 澄香が一番幸福であった時間は、きっと母親とのすずらん畑の思い出じゃないかと考えた。


 貞彦は、その状況を再現しようとしている。


 幸せになんてなれないと考えている澄香に、再び幸せを感じてもらいたい。


 すずらんの花言葉はなんたって『再び幸福が訪れる』なのだから。


 これからもきっと、幸せなことがあるんだと感じてもらいたいんだと、貞彦は言った。


 素直は、うんうんと頷きながら、最後まで話を聞いていた。


「貞彦先輩のやりたいことはわかった。なんていうか……重いね!」


 素直のストレートな物言いに、貞彦はちょっぴり傷ついた。


 てっきりこのままボロカスに言われるのかと思ったが、素直はニッと笑顔を見せた。


「でもいいんじゃないかな。貞彦先輩がそうしたいって言うならわたしは全力で手伝うよ!」


 素直は腕まくりしていた。


 やるべきことに、微塵の疑いもない。


 その快活さに、太陽の如き情熱に、いつだって助けられていた。


 奥底から、やる気が沸き上がってくる。


 貞彦は、最大限の感謝の意を込めて、素直の頭に手を置いた。


「ありがとな、素直。お前ってほんと――可愛い奴だな」


 素直は、嬉しそうに歯を見せつつ笑った。


「でっしょー。えっへっへーありがとっ!」

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