第28話 自ら答えを出すこと
その日から、何度も澄香の家に訪れたが、反応はなかった。
チャイムの音が響くだけ。
ノックの音はむなしく消える。
やっとたどり着いたと思った先で、また袋小路に迷い込んだ。
どうしても届かない思いに、辟易する。
「うーん」
貞彦は腕を組んで唸っていた。
「貞彦くん、また悩みだしましたか?」
「悩みって言うか……まあ、悩んでいることは間違いじゃないんだけどさ」
「色々と悩んで、八方ふさがりだって途方に暮れそうですか?」
「いや、今回はそこまで深刻だとは思っていないっていうか」
「またパターンに入りましたね。でもそろそろ、うじうじと悩んでいる描写に飽きてきていると思うので、そのプロセスは短縮しましょう」
「効率的だなあ!」
貞彦はツッコんだ。
とはいえ、うじうじとヘタレて悩んでいた経験が活かされたのか、以前ほどの深刻さを感じてはいない。
絶望感や沈鬱な気持ちよりも、違和感の方を強く感じていた。
「峰子先輩」
「……なんですか?」
「澄香先輩の様子が、なんだかおかしいような気がするんだ」
「おかしいって、どのようなところがおかしいと感じるのですか?」
「なんというか、今接している澄香先輩は、澄香先輩っぽくないっていうか」
貞彦は、自分の受け止めている感覚を、なんとか言葉に出そうとした。
しかし、上手く言えなかった。
自身の感じているニュアンスを、上手くは表現できていなかった。
「今の澄香先輩って多分、過去の澄香先輩に近いんだろうと思う」
「確かに貞彦くんが言うように、過去の白須美さんの様子が、一番近いのかもしれませんね」
「そうなんだ。過去の澄香先輩に近いだけで、澄香先輩っぽくないと思うんだ。なんだろう、極端すぎるというか、単純すぎるというか」
貞彦の疑問に対して、峰子は笑顔を見せていた。
貞彦はなんだか、その笑顔に見覚えがあるような気がした。
笑顔に秘された思慮が、一体何を物語っているのかについては、やはりわからなかった。
「まあ何はともあれ、まずは相手の心を開くことが必要なのではないでしょうか」
「心を開くこと、か。難しいな。峰子先輩、何かいいアイデアは……」
貞彦がそう言いかけた時、峰子からデコピンが飛んできた。
子猫を嗜める母親のような一撃。
峰子は、姉のような貫禄で口を開く。
「貞彦くん。私はあなたを、そんな風に育てた覚えはありませんよ」
「そうだな。育てられてないから、当然だな」
「私を頼ってくれることは嬉しいです。しかし、私の出したアイデアで喜んでもらえたとして、本当にそれでいいのですか?」
峰子に言われて、貞彦は押し黙った。
貞彦には身に覚えがあった。
澄香先輩ならこうするという答えを、選んでいたから、澄香の心を遠ざけてしまったのかもしれないと。
自分自身で出す答えを、他人に求めた。
求められていたとしたら、耳障りの良い言葉なんかじゃなかった。
正しさでも、その場における適切さでもないのだろう。
ただ、自分自身の素直な気持ちを言うべきだったのだ。
他人の言葉ではない、自分自身の言葉を。
「私が言えることはきっと、ここまでです。貞彦くん。あなたは――あなたが思うままの答えを出してください」
「俺が思うままの答え、か」
「はい。好きな人が、自分のために精一杯考えてくれたんですよ? 時間をかけて、想いを込めて、その相手のためだけに色々な物を消費する。そんな物が貰えたとしたら、単純に嬉しいじゃないですか」
峰子は笑った。
恋する乙女のような華やかさで、笑みを見せる。
何をしてあげたのかということや、どんなものをプレゼントしたのか。そういったものが価値などではない。
誰が、誰のためにすることかということが、重要なんだと思えた。
「ありがとう峰子先輩。俺なりに、一生懸命考えてみるよ。それに、プレゼントもまだ渡せてないしな」
「プレゼント?」
峰子はあからさまに、不思議そうな表情をしていた。
その表情を見て、訝しさを感じる。
自身がそう感じた原因を探ってみて、思い出す。
そういえば澄香へのプレゼントは、峰子と一緒に買いに行ったんだということを。
「峰子先輩もプレゼント選びに付き合ってくれたじゃないか。忘れちゃったのか?」
貞彦が問うと、峰子はポンと手を打った。
合点がいったというポーズを見せているようだった。
「……そうでしたね。きちんと、渡せるといいですね」
微妙に歯切れが悪い気はした。
「ああ。がんばってみるさ」
「ええ。それでは、貞彦くんの健闘を祈ってますよ」
峰子はそう言って、貞彦から背を向けた。
まるで決別のポーズにすら、貞彦には見えていた。
貞彦は一人、考えていた。
今までの思考とは、内容が多少違っていた。
どうすれば、澄香が心を開いてくれるか、喜んでくれるか。
そんなことばかり考えていた。
他人のことを考えられることは、決して間違ってはいないと思う。
けれど、答えの出し方が不完全だった。
相手のことばかりを考えて、自分の気持ちに目を向けることができていなかった。
相手がどうしたら喜ぶかってことばかりで、自分がどうしたいかということを、考えていなかった。
鋭利で冷血で、そして寂し気な白須美先輩に。
白須美澄香に、自分は何をしたいんだろうか。
不幸の呪縛に囚われて、幸福になろうという意欲が削がれている。
どうせダメなんだという呪縛。縛っているのは自分自身だろう。
幸福になるためには、まずは自分で幸福を求めなければならない。
幸福を求めたことで、必ず幸福になれるという保証はなされない。
しかし、求めなければ絶対に手に入らない。
本当はずっと、澄香は求めている。
幸福を。自分自身の幸福を。
求めているけれど手に入らなかったものを、それでも追い続けて欲しい。
呪縛を解くのではなく、自らで解き放って欲しい。
それがきっと、幸福を求めるということなのだ。
「よしっ。決めた」
澄香自身が何を選ぶかはわからない。
願うことはできたとしても、強制はできない。
できることなんて、初めから決まっていた。
幸福になるための、お手伝い。
それだけだ。
澄香の人生で最も幸せだった記憶を、上書きしてみせよう。
澄香が言っていた、すずらんの花言葉について思い出す。
再び幸せが訪れる。
目を閉じる。
なあに大丈夫だと、強がる。
夢の中であれば、きっとなんだってできるんだから。
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