第27話 ほんの少し届かない

 また一つ、奇妙な事態となった。


 大雨が降った日以来、澄香が生徒会室に姿を現さなくなった。


 澄香が生徒会室に来なくなって早三日が経過していた。


 貞彦は、大いに焦っていた。


「澄香先輩が今日も来ない……どうしようどうしよう」


 貞彦は部屋の中を行ったり来たりしていた。


 先日、澄香から聞かれた質問。


 人生に意味はあるのかという内容だった。


 あの時には正解のように思えた答えも、今となっては自信がまるでなかった。


 自分は何か、とてつもない間違いを犯してしまったんじゃないだろうか。


 思考に絡み取られるたびに、不安は数珠繋ぎで膨れ上がる。


「随分と落ち着きがないですね」


「だって、これが落ち着いていられるかっての。何かあったんじゃないだろうか。悪い男に引っかかったりしているんじゃないだろうか」


「思春期の娘を心配するお父さんみたいになっていますね。その姿はとても面白いですけど」


「心配だあああ。澄香先輩――――!」


 貞彦は悲痛な様子で叫んだ。


 その様子を見て、峰子は心底おかしそうにひとしきり笑った。


 そして、なんだか嬉しそうにほころぶ。


「貞彦くんは本当に、白須美先輩が好きなんですね」


「そりゃ好きじゃなかったらこんなに心配しないっての!」


「あらあら、本当に余裕がないんですね。恥ずかしがっている姿が見られないのは残念ですが」


 峰子はそう言って立ち上がった。


「そんなに気になるのでしたら、直接会いに行けばいいのではないでしょうか」


 あっけらかんと言う峰子。


 貞彦はすがるような目線を向けた。


「どうやって? 自慢じゃないけど、生徒会室から出られないんだぞ」


 貞彦は心底真剣に言った。


 しかし、貞彦のリアクションに反して、峰子はキョトンとしていた。


「いつ、誰が、どのようにして、そのようなルールを規定したのでしょうか?」


「いや、それはわからんけど」


「貞彦くんはまだ、常識に囚われているようですね」


 峰子はそう言って、両手を重ねるようにこねくり回した。


「はい」


 掛け声とともに、両手から何かを投げるように動作する。


 原理など全くわからないが、そこには幾何学的な模様の扉が出現した。


 峰子は、どや顔で口を開く。


「どこでも~」


「言わせない! その先は絶対に言わせないからな!」


 貞彦は峰子の口を無理やり塞いだ。


 この先の発言は危ない。


 咄嗟に感じての行動だった。


「貞彦くんって、意外と大胆なんですね……」


「もうツッコまない。もうツッコまないぞ!」


「これを使えば、白須美先輩のところに行けるはずです」


「えーっと。なんで?」


 常識を捨てろと言われて、意識をするようにはしていた。


 けれど、まだついていくことはできていない。


「夢の中とはいえ、猫之音さんは空を飛んだり、怪獣を倒したり、自由な力を発揮していましたね。それはどうしてだと思いますか?」


「アホだから?」


 ついていけていない腹いせに、貞彦は酷いことを言った。


「わかりました。本人には、きちんと報告しておきますね」


「やめてください」


 貞彦は、プライドをかなぐり捨てて土下座した。


 夢の中であれば、なんだってできる気がしていた。


 悪い意味で。


「夢の中とはいえ、猫之音さんは空を飛んだり、怪獣を倒したり、自由な力を発揮していましたね。それはどうしてだと思いますか?」


 峰子は仕切り直した。


「えっと、なんていうか、ネコはすげえ自由な心を持っているように思うんだ」


「その考えは、とてもいいですね。ええ、きっと正解です。常識に囚われない自由な発想と、そうなって欲しいという願いの力。その力がきっと、奇跡を呼ぶのです」


 峰子は、にっこりと笑った。


 見る者を安心させる、慈愛に満ちた笑顔だった。


「さて、来なくなった相手と出会う方法はとてもシンプルです。こちらから、会いに行けばいいのですよ」






 どこにでも移動ができるドアのような何かをくぐると、白須美家の玄関だった。


 直で澄香の下に行くのかと思いきや、そううまくはいかなかったらしい。


 白須美家にお世話になっていたため、家の間取りは把握していて、澄香の部屋にはスムーズに辿り着いた。


 ノックをしようとして、躊躇う。


 どれだけ言い訳を重ねても、不法侵入である。


 強引なやり方をしてしまったことに、良心が痛む。


「ええい、何をいまさら!」


 貞彦は迷いを振り払った。


 常識よりも、今は大切なことがある。


 澄香の無事を確かめることが、今は何よりも大切だった。


「白須美さん」


「ん――――!?」


 貞彦が呼ぶとくぐもった声が聞こえた。


 中の様子がわからないので、どのような状態なのかは判然としない。


 ただ、何か切迫した雰囲気だけは伝わってきた。


「白須美さん、俺だ! 大丈夫なのか?」


「な、なんで私の家を知って……というか、どうしてここに!?」


「悪いとは思ったんだけど、生徒会に来なくなったことが心配で……ひどいめにあったりしているんじゃないかって」


「今まさに、私はひどいめにあっていると思うんですけど!?」


「俺がこの前、間違ったことを言ってしまったんじゃないかって思って。だから、直接話したいんだ」


「いや、お願い帰って! ここに来てはダメです」


「それは聞けない。俺はもう、澄香先輩のことを失いたくないんだ――開けるぞ」


 強引な行動の果てに、嫌われたって構わない。


 澄香の無事を確認したい。その気持ちが強く宿っていた。


 貞彦は、覚悟を決めた。


「今は……着替え中なのでやめてください!」


「失礼しました」


 貞彦は、ドアノブから手を離した。


 嫌われることすら覚悟をしていた。


 しかし、犯罪者になるつもりはなかった。


 澄香から反応があるまで、貞彦は廊下で正座して待っていた。






「住居侵入、性的暴行未遂。あなたって本当に、最低のクズですね」


 入ってきたものはしょうがないと、居間で話をすることになったが、澄香は早々に罵倒を始めた。


 反論しようにも、妥当すぎるため、貞彦は何も言えなかった。


「言いたいことがありすぎて、逆に何も言えませんよ。私からの評価は一切変わらないとは思いますが、念のため弁明を許します」


「澄……白須美さんが生徒会室に来なくなったから、心配になって……」


 貞彦の言葉を受けて、澄香は顔を逸らした。


 気まずそうに見えるのは、きっと気のせいではなさそうだった。


「久田さんに心配される必要はまったくありません」


「それじゃあ、どうして生徒会室に来なくなったんだ?」


 ストレートな追求に、澄香は怯んだように口を結ぶ。


 けれど、負けないためなのか、絞り出すように言う。


「久田さんには、関係のないことです。それに、久田さんだって認めたじゃないですか」


「それって、人生に意味はないってことについてか?」


「はい。人生に意味がないのであれば、極端な話、私の一挙一動には、なんの意味もない」


 澄香は、拳を握りしめて俯く。


 わなわなと震える。


 我慢していた何かが、噴き出てくるような感覚。


 マグマよりも熱く、氷像よりも冷たい。矛盾を運ぶ激情。


 澄香は言う。


「なんの意味もないのであれば――私が生徒会室に行かなくたって、どうでもいいじゃないですか!」


 吐き捨てるような口調だった。


 激情に駆られる澄香とは対象的に、貞彦は冷静だった。


 貞彦は、澄香を見た。


 今まで側で見続けていた、白須美澄香のイメージ像とは似ても似つかない。


 まるで拗ねているような行動。


 冷静かつ穏便な情緒とは程遠い。


 でも、きっと。


 その切迫性が、その悲鳴のような切実さが、澄香の抱えていたものの正体なんだと、思えた。


「いつも、こうなんです。私たちの求めるところに、幸福などありはしないんです」


「それって、白須美さんの父親の言葉なんじゃ」


 貞彦の発言に、澄香は訝し気に眉を曲げた。


「久田さんがどうしてその言葉を知っているのかはわかりません。ただ、私にとってはどうあがいたって事実だということだけは、よくわかりました」


 澄香は貞彦に背を向けた。


 決別を言い渡すような、拒絶を帯びた背中。


「帰ってください。私はもう、久田さんに会いたくありません」

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