第25話 絆を結ぶように

「くそっ! どうしたらいいんだ澄香先輩のあんちくしょう!」


 澄香が退席した後、貞彦は一人、愚痴る。


 本当にこの場からいなくなったのか、入念に三回は確認したので、聞かれてはいないはずだった。


 そう思っていた矢先。


「久田さん聞こえていますよ?」


「はい! ごめんなさい!」


 刺々しい声が聞こえてきて、貞彦は反射的に謝った。


 土下座せんばかりの勢い。


「あははははは。私ですよ」


 出てきたのは峰子だった。


 貞彦の様子がおかしかったのか、涙目になるほど笑っていた。


「って峰子先輩か! 脅かさないでくれよ」


「ごめんなさい。貞彦くんがあまりにも恐れている様子だったので、ついからかいたくなってしまって」


 峰子はそう謝罪したが、笑いは止まらない。


 普段の峰子とは違い、あまりにもおふざけが多いように貞彦は感じていた。


 澄香の夢の中という特殊な場所にいるせいなのか、それとも他に理由があるのか。


 貞彦には判断できなかった。


「それにしても、すごいですね白須美先輩」


「峰子先輩は過去の澄香先輩を知っているんだよな。その時も、こんな感じだったのか?」


「弁明するわけではないのですが、いくらなんでもあそこまでは激しくなかったと思います」


 峰子が言うには、過去の澄香はあそこまでではなかったらしい。


 本当かどうかは知らないが、今はただ、信じようと思った。


 そうなると、わからないことがまた増える。


「じゃあなんで、今の澄香先輩はあんなに絶好調なんだろうか……」


 貞彦が呟くと、峰子は意外にも、笑みを浮かべた。


 どこかで見たような、そんな穏やかな微笑み。


「ここは、現実の世界とは大幅に異なっている場所のようです」


「まあ、そうだよな」


「であるならば、私たちが携えている常識というものは、そっくりそのまま通用しないのかもしれません」


「そうだよな。夢の話、だもんな」


「ええ。私からアドバイスができるとすれば、ただ一つです。ある意味、渡会さんが過去に言っていたこととは真逆のことです」


「来夢先輩が言っていたことって『どんなに筋が通っていて正しいと感じるストーリーができていても、それが正しいとは限らない』だったか」


「そうですね。私が言えること。それは『信じられないような出来事でも、ここではすべて正しい』です」


 来夢が言っていたことと真逆ということは、筋の通らないことや不条理ですらも、起こりうると言うこと。


 常識を捨てろと、そう言っているように感じた。


「私にはなんとなく、白須美さんが絶好調な理由がわかります。彼女はきっと、はしゃいでいるだけなんですよ」


 峰子は、不自然なほど自信満々に言い放った。


 なんらかの確信に基づくものなんだろうが、貞彦にはその正体が一向にわからない。


 けれど、わからなくても別にいい。


 常識とか論理とかが意味をなさないのであれば、わからないことですら正しいのだ。きっと。


「わかったよ、峰子先輩の言うことを信じてみる。けど、一つ聞かせてくれないか?」


「はい、なんですか?」


「峰子先輩はどうして、澄香先輩の気持ちがわかるんだ?」


 峰子は、いたずらっぽくウィンクをしていた。


「女の勘、ですよ」






 それから、停滞した波乱万丈の日々が続いた。


 矛盾しているようではあるが、事実である。


 事件は生徒会室で起こり、その度に澄香と衝突したり、一方的に蔑まれたりしていた。


 まだまだ幼い甲賀やまりあが訪れる。来夢は相変わらず人見知りで怯えていた。


 カラスに至っては、少し擦れただけの普通の少年といった様相だった。


 一体何があって今の唐島カラスになったのかは気になったが、夢の中の出来事なので、本当はどうなのかはわからない。謎のままだった。


 様々なことは起きるのだが、ほとんどの出来事は生徒会室のみで完結される。


 停滞は不安を呼ぶ。


 このままでいいのだろうかと、貞彦は悩んでいた。


 不安に苛まれる中で、変化があったとしたら一つだけ。


「どうぞ」


「あ、ありがとう」


「なぜそんなに怯えた様子なのですか?」


「いや、別に」


「まあ興味ないですけど」


 素っ気ない態度ではあるが、澄香はコーヒーやお茶を淹れてくれるようになった。


 ほんの小さな変化ではあるが、実はとてつもなく大きなことではないかとも思う。


 例えるなら、いつも威嚇ばかりしている猛獣が、手を舐めてくれたくらいの驚くべきことだ。


 貞彦はふと、過去のことを思いだした。


 同じ場所で時間を共にして、少しずつ仲良くなっていく物語。


 澄香から聞かされて、実際に自分で触れた、あの物語を。


「なんていうか、王子様とキツネみたいだな」


「今、なんと言いましたか?」


 ぼそっと呟いた一言に反応して、澄香は貞彦の隣に立っていた。


 無表情の仮面を張り付けたような様子だが、なんとなくそれだけではなさそうだった。


「いや『星の王子様』の王子様とキツネが徐々に仲良くなっていくシーンを、ふと思い出してさ」


「無学な輩かと思っていましたが、文学を嗜むなんて意外ですね」


「ほっとけ」


 この物語を教えてくれたのは、澄香先輩だったじゃないか。


 とは言えなかった。


「それにしても、気に食わないですね」


「何が?」


「久田さんが王子様だとしたら、私はキツネということになりますか?」


「まあ、配役的にはそうなるのかな」


 澄香はキッと瞳を吊り上げた。


「それだとまるで、私が久田さんに『なつかせて』と言っているみたいではないですか。不快です」


 そう言われて、貞彦は星の王子様での一節を思い出した。


 王子様は、絆を結ぶためのコツについて、キツネから話を聞いた。


 毎日同じ時間に、同じ場所に来て欲しい。少しずつ、ゆっくりと近づいて欲しいと。


 そうすれば、絆が深くなる。なついた相手はかけがえのない存在となる。


 王子様が訪れる時間が近づくと、なんだかソワソワしてくる。


 小麦が揺れるのを見るたびに、王子様の金髪を思い出して、なんだか嬉しくなる。


 なつく人が増えることで、世界がまた一つ、素敵な物に見えてくるんだと、キツネは教えてくれていた。


 そう考えると、澄香がぷんすかしている理由にも合点がいく。


 澄香がキツネだとすると『私と仲良くなってください』と、言っているようなものなのだ。


「はは。あははははは」


「何が可笑しいんですか? さらに不快感が募ります」


「ご、ごめんごめん。でもなんだか、堪えきれなくってさ。ははは」


「人を馬鹿にするのも大概にしてください。私は久田さんと仲良くなりたいだなんて、思っていませんからね」


 澄香は語気を強めていった。


 なんだかツンデレしてるような言い方に聞こえたので、貞彦はますますおかしくなった。


「あはははははは」


「なんなんですか! もうっ!」

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