第22話 夢がない夢の話

 真っ暗闇の中、ポツンと取り残される。


 見えない流れに捕まって、奔流に飲まれている感覚。


 昇っているのか、落ちているのかもわからない。


 抵抗しても無駄ならば、黙って受け入れるしかないと思った。


 貞彦は瞳を閉じて、覚悟を決めた。


 どうなっても構うもんかという、決死の覚悟を。


 体の力を抜いて、行きつく先を待った。


 体が投げ出される。


 まぶたを刺激する感覚は、よく知っているはずの光。


「ん」


 貞彦は目を開けて、周囲を確認した。


 豪奢な机に、柔らかそうな二人掛けのソファーが複数組み。


 積まれた書類に、型落ちのノートパソコン。棚に見えるのはちょっとしたお茶菓子。


 貞彦は驚いた。


 まるで知らないところにでも飛ばされる。そんな覚悟をしていた。


 しかし、澄香の心で辿り着いた先には、見覚えのある光景。


「ここ、生徒会室じゃないか」


 貞彦は一人呟いた。


 貞彦がいるのは、通っている高校の生徒会室だった。


 特に変わった様子もない。


 その上、誰もいない。


 てっきり、澄香の夢に入ることに失敗してしまったのかと疑われる。


 今のところ、ここが澄香の夢の中だという確証を得る事実は何もない。


「よし。悩んでいても、仕方がないよな」


 貞彦は立ち上がった。


 じっと何かを待っていることで、事態が進みそうにはない。


 自分の足で、自分の目で、この世界を確かめることにした。


 貞彦は部屋の出口まで移動し、ドアノブに手をかける。


「どこにいくんですか?」


 刺々しい声に刺されて、貞彦は背筋をピンと伸ばした。


 聞き覚えがあるのに、誰の声かなんてわからなかった。


 なんというか、自分の持っているイメージとのギャップに戸惑いを感じているように思う。


「どこって、ちょっとそこまでだけど……」


 怒られたことを気にしつつ、恐る恐る振り向く。


 声の主を視界に捉えた時、貞彦はまた驚きに顔を歪ませた。


「そういってまた、サボるおつもりでしょう。まったく、生徒会長というのは称号が泣いていますよ」


 貞彦を呼び止めた相手は、白須美澄香だった。


 しかし、貞彦の接している澄香とは、似ても似つかない。


 ピシッとした着こなしの折り目正しい制服。硬質で鋭い雰囲気。


 何より、チャームポイントとも言える笑顔がまったく見られない。


 氷を押し付けられたかのような、冷たい目線。無機質な表情。


 白須美澄香に悪の心が宿ったと言われれば、うっかりと信じてしまいそうだった。


「生徒会長……誰が?」


「何を言っているのですか? 久田さん、あなたに決まっているじゃないですか」


「久田さんって……いつも通り、貞彦さんって呼んでくれた方がいいんだけどなあ」


「私がいつそんな呼び方をしましたか? それではまるで、私が久田さんと交友関係にあるみたいじゃないですか」


「えっ、俺と澄香先輩って、そんなに距離があったっけ?」


「澄香先輩って言うのも、いよいよおかしくなったんですね。同学年の人を先輩と呼ぶわけがないじゃないですか」


「同学年……俺たちがか?」


「頭でもぶつけたんですか? それとも、もうすでに認知症ですか? アミロイドβが早く溜まってしまうほど、脳にゴミを量産しているのですね」


「いや、何を言っているかよくわかんねえよ」


「無教養の人はこれだから困ります」


 澄香はため息を吐いた。


 貞彦は、大変だ大変だと、パニックになっていた。


 なんでも肯定してくれる澄香先輩が、相手をド否定してくる澄香先輩になっていた。


 脳内ではある意味、軽いお祭り状態になっていた。


「ボケっとしていないで、さっさと席に戻ってください。生徒会主催の企画について、まだ何も考えていないんでしょう?」


「生徒会主催の企画って、なんのことだっけ?」


 貞彦はすっかり、混乱状態に陥っていた。


 脳内で状況の整理を行う。


 今いる場所は、生徒会室で間違いはなさそうだ。


 あと何故か、貞彦は生徒会長に抜擢されているという設定らしい。


 澄香の立場はまだわからない。


 わかっていることは、澄香が同学年であること。


 そして、普段の澄香の性格とは真逆と言えるほどに変わってしまっているということだ。


 この世界でなんだって起こり得るのであれば、夢の世界ではもっと不思議な出来事が起きても、おかしくはないのだろう。


 理屈としては納得するしかないが、感情としては納得していなかった。


「本当に使えないですね。おめでとうございます。久田さんは、歴代生徒会長の中で最も使えない男として君臨することができましたよ」


「歴代の生徒会長のことを、全員は知らないだろ!」


「私に意見をするとは、いい度胸ですね」


「意見というよりはツッコミだ」


「この違いをはっきりとさせたことで、生じる効果は変わりません。久田さんの品位が落ちるだけ……いえ、この件に関してだけは、私が間違ってますね」


「突然間違いを認めた!? いやでも、この流れは嫌な予感しかしない!」


 貞彦がそう言うと、澄香は邪悪さを隠し切れない笑みを浮かべた。


「珍しく察しがいいじゃありませんか。私が間違っていたことは一つです。久田さんには、もうすでに落ちる品位などなかったのです」


「やっぱり嫌な流れだった!」


「うるさいです」


 貞彦のツッコミに嫌な顔をして、澄香は淡々と処理した。


 そして、うんざりとした様子で言った。


「ごちゃごちゃと抜かしていないで、さっさと自身の仕事を全うしてください」

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