第8話 それでも、まだ
貞彦がショックを受けている間に、カナミが戻ってきた。
瑛理は何か続きを言いたげだったが、貞彦はその続きを聞くことはなかった。
なぜなら、カナミからの罰ゲームが執行されたからだった。
「瑛理先輩の罰ゲームが決定しました。それは……今日一日しゃべっちゃだーめ」
カナミは楽しそうに言い放った。
確かに、瑛理はしゃべらなければイケメンだと噂される人物である。
あくまで観賞用として置いておくには、しゃべらせなければいいだけの話である。
カナミは名案とばかりに、満面の笑みだった。
しかし、カナミの決定した罰ゲームのおかげで、瑛理の話の続きは聞けなくなってしまった。
貞彦は、カナミにばれないように、憎らし気な視線を向けた。
「あれ? どうかしましたか、さだひこ先輩?」
「なんでもない」
悪意には敏感なカナミに気づかれかけて、貞彦はちっちゃすぎる憂さ晴らしを止めた。
「それにしても、なんだか楽しいなあ。カナミにとっては、なんだか嘘みたいに思えるんです」
木枯らしの中でも、カナミはスキップで歩いた。
何かを演じるためではなく、楽しすぎて出てしまったような、そんな湧き出るようなステップ。
「カナミは今、幸せなのか?」
貞彦が聞くと、カナミは不思議そうに首を傾げた。
「そうですね、しあわせなんだと思います。カナミがカナミであってもいいって、思ってくれる人が身近にいるんですから」
カナミは貞彦と瑛理とサヤに向かって、順々に笑顔を見せた。
カナミはくるっと回って、貞彦に向き直った。
「カナミはきっと、前よりももっと、かわいくなったと思うのです」
「まあ、そうかもな」
「どうしようもない瑛理先輩を見ていて、自分の好きなように生きていてもいいんだって思いました」
「ああ」
「側にいてくれたさだひこ先輩やさや先輩の優しさで、カナミはカナミでいていいんだって思いました」
「それは僕たちだけの成果じゃない。カナミ自身が見つけたものなんだ」
サヤはかっこよく言い放った。
瑛理はしゃべれないことがもどかしいらしく、話の雰囲気などどこ吹く風で、電柱に上ろうとしていた。台無しである。
「自分も含めて好きなものが増えて、たぶん、自然なかんじで笑えるようになりました。そんなカナミはとっても魅力的だと、そう思いませんか?」
「前よりも確かに、魅力的になったのかもな」
貞彦が肯定すると、カナミは嬉しそうに笑った。
「そうでしょ? そんなカナミと――お付き合いしてみたいなあなんて、思いませんか?」
ウィンク交じりでカナミは言った。
冗談で済ませるテンションだったが、真剣味を感じた。
貞彦の思考が、一瞬止まる。
刹那に描かれた未来は、とても魅力的な色合いに満ちていた。
けれど、貞彦はその未来の可能性については、考えないようにした。
「俺さ、実は好きな人がいるんだ。とても手が届かないくらいの、遠い恋なんだけどな」
カナミは一瞬表情歪めた後、何でもないとでも言うように、笑みを見せた。
「やっぱり、そんな気がしていました。カナミはその人のことを、知っているような気がするんです」
カナミの言葉に、貞彦は焦燥を覚えた。
澄香のことを、忘れていっている。
カナミの記憶も、どんどん曖昧になっていっているようだった。
カナミは、記憶の違和感には気づかないまま、話を続けた。
「さだひこ先輩が見ている先は、いつもそちらだった気がします。カナミじゃ絶対に敵わないだろうなあって、くやしい気持ちだけが残っています」
「カナミはカナミで、可愛いって思うのは嘘じゃないよ」
「そんなやさしいところは、憎めないですね。でも、おぼえておいてくださいね」
カナミは顔を斜めに向けて、ハートマークが見えるようなポーズを取った。
きっと、カナミにとっての一番可愛いポーズなんだろうと、貞彦は思った。
「さだひこ先輩がカナミとのしあわせを望めば、それはすぐ手に入るかもですよ。今だけですけど、ね」
一同は解散し、ようやく日付が変わる。
罰ゲームを受けていた男が、そっと息を吹き返した。
「ぷっはあああああああ。やっと解放されたぜえええええええ!」
しゃべるなという命令を頑なに守っていた男、刃渡瑛理は解放感で叫んだ。
「約束を守ったことは偉いけど、うるさいな!」
「くっそーカナミの奴め。今度あったら絶対に俺が勝つからな」
「というか、随分と間が悪かったね」
「なんの話だ?」
「貞彦くんに、恋を諦めるかどうかって聞かれたことについてだよ」
「あーあの件か」
瑛理は呑気そうに両手を後頭部に置いていた。くつろぎのポーズだった。
「本当はもっと、言いたいことがあったんだろう?」
「そういえば、そうだった気がするな」
「何を言うつもりだったんだい?」
「うーん」
瑛理は腕を組んでうなり始めた。
瑛理は基本的に、その場のノリと勢いで生きている。そのため、その時に言おうと思った言葉など、覚えていないのだった。
「思い出した!」
「ほんとか?」
「多分だけど、澄香先輩のスリーサイズってどんぐらいなんだって、聞こうと思ってたんだ!」
「それは絶対に違う! というか、違うって信じさせてくれしょうもない!」
「いや、俺のことだから、信用できない」
「そこは信用しろ。さすがに瑛理だって、あの真剣な場面ではそんなことを言わない…………はずだ」
「三点リーダーがいつもより多いな」
「三点リーダーとか言うな!」
しゃべらなかった反動なのか、くだらない会話がいつもよりも繰り広げられていた。
サヤに叱られたので、瑛理はもう一度、きちんと考えてみた。
ピコンと音がなりそうな閃きが起きる。
「思い出した。損得で考えたら得だろうけど、苦労するのもいいんじゃないのかって」
「うん」
「『人間はより善く、かつ、より悪くなければならない。最悪のものは、超人の最善のために必要である』」
「それは確か、ニーチェの超人思想の話か。なんでまたその話を?」
「すべての喜びは永遠を欲する。この幸せが終わって欲しい。でも、戻ってきて欲しい。永遠の喜びを手に入れるためには、超人にならなきゃいけないって言っているように俺は思うんだ」
「ああ」
「そのためには、諦めるんじゃなくて、絶望しろ。絶望した後に、這い上がれ。誰かの助けを得ずに、自分の力で手に入れた先に、自分の生き方があるんだ。そんなニーチェの後ろ向きのようで前向きなメッセージを送りたかったんだ」
「まあ、わからなくはないよ。あえて落として、這い上がる強さを持って欲しいって意図を伝えることはね。でもさ」
サヤは、やれやれとでも言うように、肩をすくめた。
「あの言葉だけだったら、完全に逆効果だよね」
瑛理は、てへっ、とでも言いたげに舌を出した。
サヤはイラっとした。
「まあ、それでも立ち上がれたんなら、貞彦くんも成長するでしょう。俺みたいな、強い人間にな」
「うるさい黙れ」
サヤにたしなめられて、瑛理はまた舌を出した。
サヤはますますイラっとした。
「ところで、罰ゲームでしゃべるなって言われていたじゃないか」
「そうだな」
「もしもその時に刃物を持った暴漢に襲われて、声を出さなきゃ襲われて死ぬような場面だったとしても、約束を守ったのかい?」
瑛理は、キョトンとした表情をしていた。
なんでそんなことを聞くのかとでも、言いたげだった。
「そりゃ当たり前だろ。約束だからな」
その答えを聞いて、サヤは青ざめた。
「瑛理……君はこれから、人と罰ゲームをかけた勝負事はしない方がいい」
「えーなんでだよ?」
ぶー垂れる瑛理から目を逸らしつつ、サヤは貞彦に心からのエールを送っていた。
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