第7話 停滞

 澄香を探して、一ヶ月以上が経過していた。


 新たな手掛かりは、何も見つからない。


 近くの病院をさり気なく見てみたり、生徒たちに聞き込みを行っても、芳しい成果は得られていなかった。


 時間が経つにつれて、どんどん澄香を遠くに感じるようになった。


 物理的に離れたことで、心にも距離が出来ているように感じる。


 貞彦の日常は、続いていた。


 好きな人がいなくても、成立している。


 そのことが、なんだかショックだった。


 素直と戯れて、クラスメイトや同級生たちとあいさつをする。家では妹と他愛のない話をする。知り合えた先輩や後輩と、時々雑談をする。生徒会や風紀委員で、無茶ぶりをされる。


 広がった交友関係が、様々な出来事を連れてくる。


 貞彦は思う。


 この日々は、けっこう幸せなものだと。


 停滞的な思いは、いずれ歩みを止めて腐ってしまう。


 その恐怖から逃げるように、日常の楽しさでごまかす。


 貞彦はどうすればいいか、よくわからなくなっていた。


「おっ。そこにいるのは貞彦くんだな。ひっさしぶりー」


 軽快な声で、軽薄そうな表情の男が、貞彦に声をかけた。


 刃渡瑛理だった。


 貞彦は聞こえないフリをしていた。


「あれ? 聞こえないのか? さっだひっこくーん。君の親友の刃渡瑛理だよ!」


 違うわ、というツッコミが喉から出かかった。


 なんとかグッと堪えた。


 それにしても、ネコと言い瑛理と言い、なぜ勝手に人を親友扱いするのかと、疑問を抱いていた。


 貞彦が親友と思っている相手は、サヤだけだった。


「……そういえば、貞彦くんの妹さんって、まだ小学生だったよな」


 瑛理は、聞こえるか聞こえないかの声で、ボソッと言った。


 特に何かをしようと言う言葉ではない。


 けれど、そのほのめかすような雰囲気が、マジっぽくて怖かった。


「……よう」


 貞彦は、心底嫌そうに瑛理に応じた。


 瑛理はパッと明るい表情を見せた。


「なんだ貞彦くん聞こえてるじゃん。てっきり聞こえてないのかと思ったよ」


「なあ、お前うちの妹にどうするつもりだったんだ?」


「え? 何が?」


 貞彦の問いかけに、瑛理はキョトンとしていた。


 あまりにも純粋な笑みに、貞彦は心底恐ろしくなった。


「いやほんと、うちの瑛理がすまない」


「サヤが謝る必要はないと思うんだが」


「そうですよ。悪いのは全部、この瑛理先輩なんですから」


 いつのまにか、カナミがこの場に加わっていた。


 あまり誰かと関わることなく、ほどほどに他人と距離を置いて過ごしてきた。


 瑛理は好き勝手をしすぎるあまり、誰かと距離が近くなることはなかった。


 可愛いと他者から思われることに注力してきたカナミも、本質的には二人と変わらないのかもしれない。


 他者との交流を楽しむためではなく、嫌なことを回避する目的があったのだから。


「なんだカナミ。いたのか」


「カナミもけっこう唐突だよな。何か用でもあるのか?」


 瑛理と貞彦に聞かれ、カナミは甘えるような声で答えた。


「カナミは今、とーっても暇なんです。お優しい先輩たちが、遊びに連れていってくれないかなあなんて、期待しています」






「うーん。だいぶはしゃぎましたね」


 カナミは伸びをしながら言った。


 カラオケに行って瑛理と張り合うように好き勝手歌い、ボーリングでも瞳に炎を宿すごとく、本気で挑んでいた。


「くそっ……カナミに負けた……ちくしょう!」


 瑛理は四つん這いになり、両手を地面に打ち付けていた。


 カラオケの点数やボーリングのスコアで、カナミに負けたことを本気で悔しがっているようだった。


 瑛理はセンスはいいのだが、いかんせん経験がなかった。


 体力に関しては自信のないカナミの勝因は、経験の差であったと言える。


「そんなに本気で落ち込まなくてもいいじゃないか。別にこの世の終わりというわけでもないんだし」


 サヤは呆れたように言ったが、瑛理はとても真剣だった。


「だってカナミに負けたんだぞ? 体力はからっきしなカナミに負けたんだぞ? いつも可愛いフリして弱っちいポーズで満足しているカナミに負けたんだぞ?」


「瑛理先輩がカナミのことをどう思っているかが、よーくわかりました。これは罰ゲームを考えなくちゃいけないですね」


 カナミは急にドS顔になり、貞彦まで戦慄した。


「カナミはちょっと、お花を摘みに行ってきます。その間に、どんな罰ゲームがいいのか、考えておきますね」


 カナミが踵を返すと、空気の読めない瑛理はあっけらかんと言い放った。


「そっちの方向に花壇はなかったぞ」


 瑛理が真顔で言い放ったことで、カナミは少し嫌そうな顔をしていた。


 サヤはため息をついた。


「瑛理……そういう意味じゃないんだ」


「じゃあどういう意味なんだ?」


「デリカシーというものをどこに置いてきたんだい?」


「え? 置いてきたつもりはないけど?」


 瑛理があまりにもなんでもない風に言うため、サヤは頭痛をこらえるように頭を押さえていた。


「まったく、君という奴は……」


「そういえば、貞彦くんは澄香先輩とはどうなったんだ?」


「ここで聞くのかお前は!? 完全に油断してたわ」


 唐突に話を振られて、貞彦は大いに動揺した。


「貞彦くんとはいい感じだったように見えるのに、最近姿を見ないから、どうしたんだろうなーって思ってさ」


「どうしたって言われても……。澄香先輩にもいろいろあるんだよ」


 濁すような言葉でしか返せない。そんな自分が、なんだか情けなくも思う。


「ふーん。そうか。ならいいや」


 予想に反して、瑛理はあっさりと引き下がった。


 もっとしつこく追及されるかと思いきや、拍子抜けだった。


「……もしもさ、もしもの話なんだが」


「ん、なんだ?」


 あまりにも淡白な反応をする瑛理に対して、逆に興味が湧いてきた。


 人格がいいと思ったことはない。はっきりと心を許したわけじゃない。


 けれど、刃渡瑛理の考えについては、興味がある。


 自分勝手な奴だけども、少なくとも自分に対して嘘はつかない、ある意味では誠実な人物として。


「もしも……叶う見込みの薄い恋なんてものをしていたとしたら……お前はどうする?」


 ある意味、祈るかのように貞彦は言った。


 諦めないで追い続けるべきだ。


 自分の思いを信じるべきだ。


 そういった耳障りの良い、優しいことばの羅列を欲していた。


 自分が諦めないための、外部からの理由が欲しかったのだ。


 しかし、貞彦の願いをまるで考慮しない一言が、瑛理から放たれたのだった。


「そんなのは諦めた方が――得に決まっているじゃん」

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