第4話 最期の言葉

「粗茶ですの」


「どうも」


 何はともあれ、貞彦は白須美家に上がらせてもらった。


 もはや乗っ取られて、安梨家と言えるのかもしれないが、細かいことは気にしないことにした。


「それで、安梨に聞きたいことがあるんだ」


「まあ、サダサダにはお世話になりましたし、わたくしにわかることでしたら、なんでもどうぞ」


「絶対にわかるから安心してくれ。俺と澄香先輩の……その、キスシーンを直接見てたのか?」


「ええ。思い出すと……きゃっ」


 安梨は両手を頬に当てて言った。恥ずかしがっているような仕草。


 こっちのほうが恥ずかしいと思いながらも、貞彦は話を続ける。


「あの部屋では、澄香先輩と二人きりだったはずなんだが、一体どこから見てたんだ?」


 そう問われて初めて、安梨は気まずそうに顔を逸らした。


「安梨さーん?」


「い、いえ。わたくしは何も見ていませんわ。キスの後に何か会話をして、そこからサダサダがスミスミを押し倒したことなんて……ちっとも知りませんわー!」


「ちょっと待て。それは俺も知らない! 記憶にないぞ!」


「隣で見ていたスナスナが真っ赤になって絶句していたことなんて、気のせいですわー!」


「素直にも目撃されていたのかよ!」


 一人で勝手に懺悔する安梨をなだめるのに、さらに二〇分を要した。


 詳しく話を聞くと、澄香の部屋には、もともと穴が空いていた。隣の空き部屋と繋がっており、そこからなら澄香の部屋が見えるそうだ。


 澄香の部屋になる前、そこは父親の部屋だったらしい。


 穴が空いていることに気づいていた澄香は、その穴から父親の様子を伺っていたらしい。


 自分の部屋となった後も、思い出として残してあるとのことだった。


 そのことは安梨だけが知っていて、澄香からも「内緒ですよ」と口止めをされていたらしい。


 今回、貞彦と澄香がいい感じになったことで、野次馬根性丸出しで、安梨と素直はそこから覗き込んでいたようだった。


「お前らはほんと……」


「ごめんなさい。どうしても気になってしまって」


 安梨はしゅんとしていた。


 素直に謝られると、これ以上責めることに意味などない。


「まあ、それはもういいよ。ところで、その後のことって、安梨は覚えているのか?」


「その後?」


「俺、実は覚えていないんだ。澄香先輩とキスした後、澄香先輩は言ったんだ。『最高の人生とは。最高に幸福な瞬間に――人生を終えること』だって」


「何かを話していたと思えば、なんだか悲しいことを、話していたんですね」


「その言葉を聞いた時から、朝までの記憶がないんだ」


 安梨は、貞彦が澄香を押し倒したと言っているが、その記憶は貞彦にはない。


 それどころか、眠るまでの記憶もなかった。


 澄香の言葉を聞いた後に、気絶するように意識が消失して、気が付けば朝を迎えていた。


 事実としては、それだけだった。


「奇妙ですわね。そういえば、スミスミと一度目が合ったのですが、その時でしたわね。スナスナが眠り始めたのは」


「マジか。まあもう、何が起きても驚かないよ」


「不思議に思いましたが、二人の動向が気になったので、観察を続行することにしました。そしたら、スミスミはベッドから降りて、わたくしたちのいる部屋に押しかけてきました」


「押し倒していたらしい俺は放置か……」


「『あまり見られていると恥ずかしいです。あと、素直さんを運んであげて欲しいです』と言われたので、渋々従うことにしました」


「まあ、そりゃそうだよな」


「それでわたくしとスナスナは、ベッドで眠りました。そういえば、明け方の時間に、一度だけスミスミに起こされましたね」


「ほんとか!」


「ええ。その時のスミスミの表情は、とても印象的でした」


「どんな表情をしていたんだ?」


 安梨は、真剣に顔をこわばらせた。


「達成感に満たされていたように見えるのに、なぜだかとても寂しそうでしたわ」


「……そうか」


「わたくしは少し怖くなって、スミスミに縋りつきました。スミスミはわたくしの頭を撫でて、子供をなだめるみたいな手つきで離しました。そして、こう言いました」


 安梨は、澄香をまねるみたいに、穏やかな笑みを浮かべる。


「『私はちょっと、遠くに行ってきます。私のことは気にせず、好きなだけここに居てもいいですよ』そう言って、ここに住む上でのいくつかの注意事項を教えてくれました」


「ちょっと、遠くにか。いつ戻るとか、何か言っていなかったか?」


「当然わたくしも聞きました。けれど、ただ笑みを返されるだけで、何も答えてはくれませんでしたわ」


「そっか」


 貞彦の気持ちは更に沈んだ。


 あまりいい方向へ繋がりそうな情報とは言えない。


 改めてわかったこと。


 それは、澄香はやはり、あの時を最期にするつもりだったんだということだった。


「あっ!」


 突然、安梨が叫んだ。


「どうしたんだ?」


「一つだけ思い出しましたの。もしサダサダがスミスミのことをわたくしに聞きに来たら、伝えて欲しいことがあるって、言っていたんですの」


「なんでそんな大事なことを早く言わなかったんだ」


「本当に忘れていたんですの! うーん、でも……」


 反論をしたかと思えば、安梨は表情を歪めた。


「……本当に、聞きたいんですの? わたくしは正直な話、サダサダにはあまり嫌な気持ちをしてもらいたくはないですわ」


 安梨は後ろめたそうに言った。


 安梨の様子やセリフからして、あまりいい言葉でないことは明白だった。


 聞かないという選択肢も、確かに存在する。


 けれど、貞彦はその選択肢は選ばない。


 少しでも澄香に繋がるヒントがあるのなら、嫌なことであろうと、受け止めようと心に決めていた。


「安梨が悪いわけじゃないさ。俺は、どんな言葉が来ても、受け止めるつもりだから、大丈夫だ」


「サダサダ……覚悟は、いいですの?」


 安梨の問いに、貞彦は頷いた。


 貞彦の覚悟の強さを信じて、安梨は凛とした口調で、言葉を放った。


「『私のことを探してくれているのだとしたら、そのことは嬉しく思います。けれど』」


 安梨は一度言葉を区切った。


 決定的な言葉を、躊躇っているのかもしれない。


 わずかな逡巡が駆け抜けて、安梨はさらに言った。


「『私のことは忘れて――あなたは幸せに生きてください』」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る