第3話 まだいたのか
澄香のことを探しているうちに、冬休みが終わっていた。
寒さは本格的に増しており、三年生組は受験勉強に精を出し始めていた。
どこか物悲し気な雰囲気が、あたりを支配していた。
貞彦は一人、歩いていた。
もしかしたらどこかにいるのかもしれない。
澄香の行方について、思いを馳せながら。
何気なく歩いていた。そのつもりだった。
気が付けば、貞彦の足は自然とある場所に向いていた。
「……来ちまったな。誰もいないって、わかっているのにな」
貞彦は、白須美家の前に佇んでいた。
檻状の門の先に、大きな邸宅が見渡せた。
荘厳で気高そうな外観も、主のいない今では、ただの空っぽの器にしか見えなかった。
貞彦は、ひょんなところから始まった、共同生活のことを思い出していた。
安梨を巡る出来事から、少しの間ではあるが、澄香や素直と一緒に暮らした。
女性ばかりなこともあってか、非常に姦しかった。男性が一人だけということで、立場がないと思うこともあった。女性家計のパパとは、このような思いをするんだと、学ぶことができた気がした。
一緒に暮らすことって、すごいことだ。
価値感や趣味、食べ方や見たいテレビだって違う。時に、細かな争いに発展したこともあった。風呂の順番一つで、不機嫌になったり気遣いを感じたりした。
朝起きて、顔を洗って、台所へ向かう。
大抵いい匂いがして、そこでは澄香が料理を作ったり、コーヒーを片手に本を読んでいた。
その姿に見惚れているうちに、いつも澄香が貞彦に気が付いた。
そして、一日の一番最初の笑顔を、澄香から貰うのだ。
「おはようございます。貞彦さん」
「おはよう。澄香先輩」
たったこれだけのやりとりで、一日の活力がみなぎってきた。
誰かが側にいる。
好きな人が側にいることは、これほどまでにすごいことなんだと、感じた。
貞彦は自嘲的に笑って、目を閉じた。
すがりつくようにこんなところに来て、バカみたいだなって思った。
ここはもう、楽しみが過ぎ去った後の、がらんどうの楽園だ。
誰もいるわけ、ないのに。
「あれ? サダサダじゃありませんの? こんなところに突っ立って、どうしたんですの?」
誰もいるわけないとか思った矢先、安梨に声をかけられた。
安梨はエコバッグを抱えていた。バッグからフランスパンがはみ出ている。ちょっと夕飯のお買い物に行った帰りといった風貌だった。
貞彦は目を丸くしていた。
「え……え?」
「どうしたんですの。まるで幽霊でも見るような眼をして」
「お前という存在は、幽霊と大差ないだろ。というかお前まさか、まだ澄香先輩の家に住んでたの?」
「ええ。スミスミが使っても良いって言ってくれていたので、お言葉に甘えていますわ」
「マジかよ……」
安梨の件が終わった後、貞彦たちは白須美家をあとにした。
その時にてっきり、安梨もどこかへ行ったのだと思っていた。生みの親という責任をもって、秋明が引き取ったのだと思いこんでいた。
「じゃあ、澄香先輩の家に何度か来た時にも、いたってことか?」
「もちろんですわ。サダサダとスミスミが良い感じだったので、わたくしとしては気を遣って姿を見せずにいたのですわ」
「ああああああああ」
貞彦は完全に、二人きりだと思っていた。
別に何かを聞かれたわけではなさそうだった。けれど、そうわかっていたとしても、なんとなく襲われた恥ずかしさには敵わなかった。
「サダサダとスミスミのキスシーンは、とてもドキドキとしてしまいましたわ」
安梨は頬に手を当てて、恍惚とした表情で言った。
「ん?」
貞彦は訝しげに首を傾げた。
あの場では、澄香と貞彦しかいなかったはずだ。
にもかかわらず、安梨の表情はとても真に迫っていた。本物を目にしたのでなければ、出せないほどに生々しい表情。
「なんでお前が俺と澄香先輩の……その……」
「キスくらいで言い淀むなんて、サダサダは情けないですわね」
「くそっ。なんか安梨に言われるとムカつく」
「ところで、キスをする場所によって意味合いが変わるということはご存じですか? 唇へのキスは愛情と言うことは容易に想像がつきますよね」
「聞きたいことはあるけど、興味はあるから聞こうか」
「まぶたへのキスは憧れ。首や首筋へのキスは執着心。耳へのキスは誘惑などと言われています」
「……へー」
貞彦はライブの時に、澄香から耳にキスされたことを思い出した。
そこまで深い意味はなかったのかもしれない。
けれど、その時の熱や、裏にあったかもしれない意味を考えてしまうと、改めて意識してしまっていた。
「ちなみに、最大限の友情と愛情を表すキスのセリフを教えてもらいました」
「最大限の友情と愛情?」
「ええ。それは『俺の尻にキスをしろ』ですわ」
「それは絶対に騙されてるぞ!」
貞彦はツッコんだ。
「おかしいですわ。男性同士における最大限のスキンシップだとお伺いしたのですが」
「男性同士ってとこがさらにおかしいだろ。ってかそれを教えたのは誰だよ!」
「えーっと確か、ノエルさんという方ですわ」
紫兎も所属している、高校生バンド『りあみゅー』のベーシスト。
男同士の行き過ぎた友情が大好物。
「あの子とは仲良くしちゃいけません」
「なんだか理不尽なお母さんみたいなことをサダサダが言っている気がしますわ! あの方はわたくしの新しい扉を開いてくれそうな、そんな気がするんですの!」
「しっかりと閉じとけそんなもん!」
貞彦と安梨は、ぎゃーぎゃーと騒ぎ出した。
ツッコみつつ、貞彦は思った。
あーもう全然話が進まねえ、と。
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