第5話 特別なあなたに

「今日は風紀委員室の大掃除と資料整理に参加頂き、感謝の念は絶えない。礼を言おう」


 珍しいことに、甲賀は貞彦に頭を下げた。


 なぜかは知らないが、風紀委員室の大掃除と資料整理が、突発的に行われることに決まったらしい。


 たまたま出会った竜也と雑談中に、その話題が出た。


 暇だったことと、考え事から一時的にでも解放されようと思い、手伝おうと貞彦は申し出たのだった。


 てっきり現風紀委員のメンバーで行うのかと思いきや、そこには元風紀委員長の甲賀とまりあもいた。


 受験勉強はいいのかと、貞彦は尋ねた。


「普段からきちんと勉学に励んでいれば、受験といえども焦ることはない。普段通りだ」


 と厳格な声色で甲賀は答えた。


 普段から勉学と運動の文武両道を心がけているようで、焦りや不安は感じられなかった。


 貞彦は久しぶりに、甲賀のことを尊敬した。


 一方、まりあと言えば。


「これも後輩たちへの愛のためだもの。うんうん。困っている後輩たちを手伝わないなんて、愛が廃るよ」


「本当に大丈夫なんですか?」


「貞彦ちゃんは、私が信用できない? この目を見て!」


 貞彦は、じっとまりあを見つめた。


 プレッシャーに耐えられなくなったのか、先に目を逸らしたのはまりあだった。


「おい。受験生」


「……よくぞ見破ったね。実は気分転換に来たんだよ。勉強中はやたらと部屋を片付けたくなるみたいな、あれだよ」


「こりゃ、まりあ先輩は落ちたな」


「貞彦ちゃんひどい!?」


 ごちゃごちゃと会話をしながら、部屋の隅に積まれた段ボールをひっくり返した。


 過去に行われた会議議事録、歴代風紀委員の写真など、様々な思い出が詰まっていた。


「わーこれって懐かしい」


 まりあは写真を見つけて、はしゃいだような声を出した。


 今よりは幼く見えるまりあと、びしっと直立している甲賀の姿。その他にも複数人の写っている写真だった。


「これは、俺たちが一年生の時の写真か」


「この時のがんちゃんには、まだ髪があって懐かしいね」


「今は剃っているだけだ! 決してハゲではない!」


「うわーほんとだ。がんちゃん先輩に髪があるとか、マジウケる―」


「……まりあ先輩、一年生の時も可愛いすね」


 写真を見て、各々がワイワイとはしゃぎだした。


 遠目で写真を眺めると、見覚えのある人物が写っていた。


「あれ、横を向いているのって、澄香先輩じゃないのか?」


 貞彦が言うと、甲賀とまりあはハッと気づいていた。


「ほんとだ。言われて思い出したよ。この時は生徒会と合同で写真を撮ったから、澄香ちゃんも写ってるんだね」


「白須美……先輩には、この俺ですら敵わないと思っていたな。あの圧倒的な正しさに、憧れを抱いていたな。どうして忘れてしまっていたのか」


 甲賀とまりあは、しみじみとしていた。


 白須美澄香の幻想が、どんどん解けているように貞彦は感じていた。


 みんな当たり前に、澄香が現三年生としていることを、受け入れていた。


 けれど、澄香の消失をきっかけに、その魔法はどんどんと解けていっている。


 この魔法が完全に解除された時、どうなってしまうのだろう。


 大見はすでに、澄香のことを忘れかけていた。


 今はまだ、残った思い出が、心を温めてくれている。


 しかし、この暖かみが冷めてしまった時には。


 全てを忘れてしまうのだろうか。


 唇に触れた感触も、耳に残るキスの水滴も、気持ち高ぶる柔肌も、幸福な思い出も。


 全部が全部、なくなってしまうのだろうか。


「サダピー先輩シケヅラしてるー。どうせなら楽しくやろーよー」


 貞彦を見かねてか、カルナが絡んできた。


「そーだよー貞彦ちゃん。愛を与えれば、与えられた人は嬉しくなって、また愛を誰かに与える。自分が愛を持っていることは、幸せの連鎖を生むんだよー」


 まりあも相変わらず、ラブリーに貞彦の手を握った。


 二人の女子に絡まれたことで、背後から不穏な気配を感じた。


 甲賀と竜也は、恨めしそうな目で貞彦を見ていた。


 これ以上、絡まれるのは怖いと思い、貞彦は無理やり元気を出した。


「げ、元気になっちゃったなー。それじゃあがんばっちゃおうかなー!」


 カラ元気で二人を振り払って、貞彦は掃除を始めた。


 嫌な視線は、絡みつくように離れなかった。






「それで、まりあ先輩とはどうなったんだ?」


 あらかたの掃除を終えて、休憩に入った。


 やることが無くなってしまうと、安里からもたらされた言葉を思い出してしまう。


 だから貞彦は、考えないように竜也に話しかけていた。


「どうもこうも、別に進展はないっすよ」


「そうなのか?」


「はい。いや、たまに遊びに行ったり、学校でも絡まれたり、ラインとか電話とかはしてますけど」


「それは大分、進展しているような気がするんだけど」


 貞彦が肯定的な意見を出すと、竜也はため息をついた。


「普通ならイケるってなるかもしんないすけど、相手はあのまりあ先輩っすよ?」


「まあ、ミスコン三年連続制覇はすげえよな」


「それもあるすけど……愛が足りないとか言って、全校生徒に向かってフリーハグしだすトンデモ女ですよ?」


 甲賀の乱~愛のバクダン大量バラマキ事件~について、貞彦は思い出した。


 後輩を上手く育てられなかったと早とちりした甲賀とまりあが起こした事件のことだ。


 あの時のことを思い出し、貞彦は頭痛に襲われた。


「なんていうか、まりあ先輩を振り向かせるのって、もう無理なんじゃないかって思うんすよ」


「ちなみに、それはどうしてだ?」


「いや、前にも言ったかもしんないすけど、まりあ先輩の愛してるって、俺らの言うおはようみたいなもんで、特別感がないっていうか」


「特別感ねえ。自分だけは、相手にとっての特別であって欲しいってことか」


「そうっす。まりあ先輩はみんなのことを愛してるから、俺も所詮はそのみんなのうちの一人でしかないんすよ」


 竜也が吐き捨てた瞬間。


「きゃあああああああああ」


 恐怖に駆られたまりあの悲鳴が聞こえた。


 貞彦より早く、竜也が反応して、まりあのもとへと駆け付けた。


「どうしたんすかまりあ先輩!」


「ご、ごごごご」


「地響き?」


「例のゴキちゃんが出たの! 竜也ちゃんなんとかしてえ!」


 まりあは半狂乱気味になって、竜也に抱き着いた。


「ほい。ゴキジェットだよー」


 カルナは竜也にゴキジェットを投げつけた。


 竜也は受け取り、迅速にゴキを処理した。


 対象は完全に沈黙し、ティッシュで何重にもくるんで、袋に入れた上でごみ箱に捨てた。


 一件落着した。


「ふう。もう奴は倒したよ。まりあ先輩安心してくださいっす」


 竜也が声をかけても、まりあはへたりこんだまま動かなかった。


 まだプルプルと、震えている。


「どうしたんすか?」


「こ、腰が抜けちゃって、立てなくなっちゃった」


「マジすか」


「竜也ちゃん、保健室までおんぶしてってくれないかな?」


 まりあは、ウルウルとした瞳で竜也に懇願した。


 こんな目をしたまりあのお願いを、断れる男子などこの世では誰もいないだろうと思えた。


 隣に澄香がいたとしたら、かろうじて断れるかもしれないと、貞彦は思った。


「しょうがないすね……道具だけ片付けてくるんで、それまでは待てるっすか?」


「うん。竜也ちゃんの愛を、待ってるよ」


「……その言い方はやめてくださいっす」


 竜也はどこか痛そうな顔をして、道具を片付けに行った。


 へたり込んだまりあを何気なく見ていると、スカートに汚れが付着していることに気づいた。


「まりあ先輩。スカートが汚れてるんじゃないか?」


「え? 貞彦ちゃん、どこどこ?」


 まりあは立ち上がって、スカートの汚れを探し始めた。


 貞彦が指をさすと、その位置の汚れを、まりあは払い出した。


 スカートの汚れが取れたところで、貞彦は気づく。


「あれ? まりあ先輩、立ててるんじゃ」


「あっ……」


 まりあはそう言って、再びへたり込んだ。


 まるでいたずらをする、子供のような表情。


「まりあ先輩。まさか」


「貞彦ちゃん。しー、だよ」


 まりあは口元に人差し指を立てて、内緒ねとポーズで示した。


 貞彦は、苦笑いで返した。


「まりあ先輩。お待たせしたっすよ」


「竜也ちゃん。おんぶーおんぶー」


「はいはい」


 竜也は仏頂面をしながら、まりあを背負った。


 まりあは竜也の首に、ぎゅっと両手を回している。


 その笑顔は、ただの後輩に向けるものにしては、少しだけ特別なものに見える。


「竜也」


「なんすか、久田先輩」


「お前ならきっと、大丈夫だよ」


 貞彦は、竜也にエールを送った。


 竜也の表情に、自信が戻る。


 少しだけ成長した、大人のような顔つき。


「ありがとうっす。貞彦先輩」


 竜也はそう言って、まりあを背負って保健室まで移動した。


「特別、か」


 貞彦は一人、呟いた。


 貞彦にとって、いつの段階で澄香は特別な存在となったのだろう。


 そして、澄香にとって、いつの段階で貞彦が特別な存在となったのだろう。


 風紀委員の事件の後、澄香とは心の形について話をした。


 近づきすぎることは痛みを生む。


 貞彦はそれでも、近づきたいと思うと、答えを出した。


 そして、澄香は貞彦の胸に顔を寄せた。


 あの時のドキドキ。今はまだ、覚えていられている。


「あれ?」


 貞彦の胸には、とてつもない不安が去来していた。


 貞彦はてっきり、澄香と想いを交し合えたと、思っていた。


 でも、本当にそうなのだろうか。


 刹那的とはいえ、幸福を感じるために、行為をもって示した。


 それはきっと、特別な相手だからこそできることだと思える。


 けれど、貞彦は気づいてしまった。


 澄香から恋愛的に好きとか、愛してるに準ずる言葉を、何一つ受け取っていないということに。

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