第1話 希望の可能性

「お困りのようだね」


「うわああああああ」


 眉間にしわを寄せながら、本と格闘していた貞彦のもとに、生首が現れた。


「ってサヤじゃねえか! 驚かすなよ!」


 生首かと思えば、壁から首だけ出した刃渡サヤだった。


 サヤは当然のように壁をすり抜けると、貞彦の前に立った。


「ごめんごめん。久しぶりだったから、ちょっと驚かせたくなっちゃってさ」


「サヤってそんなキャラだっけ……ってか、瑛理はどうしたんだ?」


 瑛理とサヤは、一心同体というか、存在は同一のはずだ。


 しかし、貞彦の部屋に侵入しているのは、見たところサヤしか見当たらなかった。


「ああ、瑛理なら心配ないよ。ちゃんと気絶してる」


「ちゃんとって言葉に気絶って付けても成立するんだな!」


「それで、最近は親友である君とあまり絡んでないと思って、こうして会いに来たわけさ」


「……家に来ることはまだ、百歩譲って理解できる。でも、すり抜けてくるのは反則じゃねえか?」


「常識だよね」


「常識を語る顔して、非常識なことをしてるんだよ!」


 貞彦はツッコんだ。


 瑛理の悪影響が強すぎて、サヤにも及んでいるのかもしれないと、悪寒に苛まれた。


「なあサヤ」


「なんだい?」


「ちょっと見ない間に、瑛理に似てきていないか?」


 貞彦は何げなく言った。


 途端に、サヤから表情が消え去った。


 真っ白に燃え尽きた灰のように、色素が薄くなった。


「僕はもう、お終いだね……今までありがとう」


 サヤはなんだか、最終回のような雰囲気で言った。


「いやいやいや、消えるんだとしても、このタイミングじゃないだろ!」


「僕が瑛理と似ているだなんて、この世の恥でしかない」


「似ているっていうか、同一人物だろうが!」


 しばらく見ない間に、サヤはとてもめんどくさいキャラになっていた。


 仕切り直し。


「それで、貞彦くんは何を読んでいるんだ?」


「これだけど」


「へー。幸福論ねえ。貞彦くんが普段読んでいるものとは、毛色が違うようだね。どういう風の吹き回しだい?」


「……実はさ」


 貞彦は、端折りつつも事の顛末を話した。


 素直や峰子に伝えた内容と比べて、ぼかしたりしながら伝える。


 本来いるはずのない人物という意味合いであれば、サヤと澄香は、似通っているように考えられる。


 サヤに話すことで、なんらかのヒントが得られるように思えた。


「……なかなか、信じ難い話だな」


「まあ、うん言いたいことはわかる」


「本来いるはずのない人物が実在する。しかも、他者に影響を与えることができるなんて、まるでファンタジーの世界だよ」


 サヤは口元に手を当てながら、探偵のようなポーズをしていた。


 それっぽい表情だが、貞彦は言いたいことを言うことにした。


「お前が言っちゃいけないセリフじゃねえか!」


 貞彦がツッコむと、サヤは『そういえばそうだった』とばかりに合点顔を見せていた。


「まあいいや。でもどれだけファンタジーな出来事だったとしても、諦めきれないことがあるんだ」


「うん。澄香先輩のことだろう?」


「ああ……ただ、正直、不安なんだ」


「何がだい?」


「澄香先輩ともう一度会いたい。その気持ちは間違いないんだ。でもさ」


「ああ」


「本当に澄香先輩ともう一度会えるのか……澄香先輩は、この世界に本当にいるのか……何一つ確証が持てないんだ」


 貞彦はうつむいた。


 サヤは、ふざけていた空気を押し込めて、貞彦を見つめていた。


「追いつきたくて、追いかけて。掴んだと思ったら、それは砂のように落ちていったんだ」


「彼女の儚さはまるで、蜃気楼のようにも見えるね」


「今度こそって思って追いかけている。けどさ、もし見つからなかったら……」


 声色はどんどんと弱まる。


 喪失の恐怖は、貞彦の心の奥へと、根深く蝕み続けている。


「歩いて行った先に希望なんてなかったら、徒労に終わってしまったらと思うと……怖いんだ」


 貞彦は、素直な弱音を吐きだした。


 後輩の前で情けなくありたくないといった、強がりもある。


 先輩にいいところ見せたいといった、見栄もあった。


 言い出せなかった気持ちが、あふれ出した。


 貞彦は、言ってから後悔をした。


 いきなり弱音を伝えてしまって、困らせてしまったんじゃないかと思った。


 貞彦は、恐る恐るサヤの顔を見た。


 サヤは意外にも、穏やかな笑みを浮かべていた。


「君が不安を吐露した相手が、僕で良かったね」


「そうなのか?」


 貞彦が聞くと、サヤは得意げな表情をしていた。


「澄香先輩と同じ事象ってわけじゃないとは思うけど、存在の状態は似通っていると思うんだ」


「サヤは、やはり何かわかるのか?」


「まあ僕も、確信をしているわけじゃないんだ。けれど、僕の存在と似ているという意味合いから考えると、救いはあるように思うんだ」


 サヤは、存在を誇示するかのように、両手を広げた。


 なんとなく、天使の羽のような祝福を感じる。


「もしも、澄香先輩が僕と同等の存在であるのであれば、元となる存在がなければいけない。そこには意志もあり、生命があり、なんらかの実体があるはずだ」


 サヤは貞彦を安心させるかのように、微笑んだ。


「そう考えると、とある可能性が浮かび上がる。澄香先輩は――どこかで生きているかもしれない」

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