第25話 最高の人生とは

 貞彦は言い切った。


 言いたくて言いたくて言えなかった思いを、勢いのままぶちまけた。


 鼓動は暴走して、もう死んでしまいそうなほどだ。


 それでもまだ、終わったわけじゃない。


 澄香自身の返事を聞くまでは、何も終わっていない。


 貞彦は澄香の答えを待った。


 その際にふと、見てしまった。


 澄香の笑顔の中にある、寂しさの欠片を。


「私のことを好きだと言ってくれて、とても嬉しく思います。ですが、とても大事なことが、聞けていません」


「大事なこと?」


「ええ。貞彦さんが私に好意を抱いてくれていることはわかりました。それで、貞彦さんは、これからどうしたいのでしょうか? 想いを伝えて頂いて、それで満足なのか、それとも――」


 好きだと言う想いを伝えて、相手の想いを聞いて、成立すれば交際に至る。


 当たり前だと思いすぎて、貞彦は、自身がどうしたいのかについて、言っていなかったことに気が付いた。


「俺は、澄香先輩と……男女としての付き合いをしたい。そういった意味での、好きだ」


「そうですか。貞彦さんのご希望は、わかりました」


 澄香の表情に、真剣味が帯びる。


 そして、ゆっくりと、頭を下げた。


「ごめんなさい。貞彦さんも聞いていたと思いますが……私は誰かと交際をするつもりはありません」


 ショックで、急速に脳裏が冷えていくようだった。


 けれど意外にも、悲観した感情へと向かうことはなかった。


 断られたことは、傷つきを生んだ。でも、さほどではない。


 なぜなら、諦めではなく確信として。


 貞彦は交際を断られることについては、理解していたからだった。


「それは澄香先輩が――本当はあの学校にいるはずがないことと、関係しているのか?」


 受験や進路について、まるで意識する必要がないこと。


 現三年生のデータ上にはいないこと。


 関りがあるのに、なぜか記憶が曖昧になっている、峰子やカラスの証言。


 今まで遭遇してきた、不思議な出来事の数々。


 不思議なことが起こり得るという、澄香自身の言動。


 すべてのピースが、うまくはまったわけではない。


 けれど、澄香の存在に関する疑問を成り立たせるには、充分だった。


「貞彦さんの解釈から、どのような答えが導き出されますか?」


 澄香は、口元に笑みを浮かべた。


 推理小説の犯人のような、挑戦的な笑みに見えた。


「少なくとも、澄香先輩は現在の三年生じゃない。峰子先輩が憧れてたって言っていたんだ。おそらく峰子先輩が下級生の時に、澄香先輩は副会長をしていたはずだ。でも、今は同学年……これは、おかしいじゃないか」


「そうですね。辻褄が合わないですね」


「かといって、サヤや安梨みたいに、元の実体がないとも思えないんだ。澄香先輩だけじゃなくて、峰子先輩やカラス先輩にも、澄香先輩の思い出があるみたいなんだ」


「それでは、私とは一体、どのような存在なのでしょうか?」


「それは……わからない。まだ俺の知らない、空白があるから」


 母との出来事、父への出来事などについて、貞彦は知ることができている。


 しかし、それ以降の澄香については、何も知らないことに気づいていた。


 澄香はやはり、貞彦の言葉について肯定を示した。


「そうですね。私にはまだ、貞彦さんにお話しをしていないことがあります」


「澄香先輩の過去はわかったけど、まだ全てじゃない。人付き合いが苦手で、自分の正しさを疑わなかった澄香先輩。その澄香先輩が、どうやって今の澄香先輩になったのかについて、まだ知らない」


「私が意図的に話していなかったことに、気づいていたのですね」


 澄香はふっと、目を閉じた。


 そして、決意をしたように、瞳を開く。


 澄香は、淡々と話を始めた。


「両親を亡くした後、叔父に引き取られましたが、私の気持ちは晴れませんでした。人に心を開こうとしない私に、叔父も困りかねていたようです。


 私がしていたことは、ひたすら勉強をすることだけでした。


 幸せになろうにも、幸せにはなれないという思い。


 自分の存在で両親を亡くしたという罪悪感。


 そういった考えから、逃げたかったんでしょうね。


 ありとあらゆる書物を読んだり、学びを深めていくたびに、技術として人間関係を築くことができるようになっていました。


 自分の納得ではなく、ただ、テクニックとして生きる知恵を手に入れていったのです。


 他人との衝突や奇怪な視線が無くなっていったことで、生きることはグッと楽になりました。


 それでも、内心は重苦しい鉛のような思いでいっぱいでした。


 いつしか私は、生きる意味について、考え始めていました。


 幸福が目的であると、思っている。


 けれど、それは手に入れられないものだとも、思っている。


 じゃあどうして私は、のうのうと生きているんでしょう。


 内心の苦しみを抱えて、どうして生きているのでしょう。


 そこにはきっと、意味があるのだと、生きることには何か、意味があるのだと、そう思い込みたかったのです。


 ところで、生きる意味について、私が見出した結論については、貞彦さんはご存じのはずです。


 ……はい、正解です。


 人生に意味なんてない。その通りです。


 この事実を見出した時、私は救われたのです。


 人生に意味なんてないのであれば、幸福であるとか、不幸であるとか、そんなことはもう、どうでもいいことじゃないですか。


 生きる意味になんて、すがらなくてもいいじゃないですか。


 この後は、そうですね。


 お伝えしなければ、なりませんね。


 私は自らの命を、断つことにしました。


 これで苦しみから解き放たれる、そう信じて。


 ――そして、私はここにいます。


 どういった意味なのか、わかりかねていますね。


 正直な話、私にもわからないのです。


 確かに実行したはずなのですが、気が付けば、私はここに一人で暮らしていて、峰子さんや来夢さんやカラスさんと同じ学年となって、学校に通っているのです。


 まるで、夢のようですね。


 悪夢なのかも、しれませんが。


 これはもしかしたら、神様のいたずらなのかもしれません。


 それとも、人生の宿題なのかもしれません。


 正確な理由はわかりませんが、私はもう、開き直ることにしました。


 今までの自分を捨てて、過去から目をつぶり、自分の性格を棚に上げて、ひたすら肯定的に生きてやろうと思いました。


 私という余計な残骸が、元通りに崩れ去るまで、理想的に生きてやろうと、そう思いました。


 だから決して、私は貞彦さんたちが思ってくれているような、良い人間などでは、ないのです。


 人はなぜ、果てしないマラソンを走り切ることがなぜできるのか。理由があります。


 ゴールがあるから――終わりがあるからです。


 私というイレギュラーな存在は、おそらくはずっと続いていかない。


 だから私は、耐えられたのです。


 貞彦さんの言う、なんでも肯定する白須美澄香というまやかしに。


 いずれ終わってしまうから――私はみなさんにとっての澄香先輩として、いられたのです。


 だから私は、貞彦さんだけでなく、誰かと交際をするわけにはいきません。


 いずれ消えゆく存在である私に縛られては――」


 澄香が言い切る前に、貞彦は澄香を抱きしめた。


 決して離れないように、強く。


「貞彦さん……」


「本当は、澄香先輩がどんな存在だろうが、関係ないんだ。ただ、好きで、一緒にいたい、だけなんだ」


「それが儚く、刹那的な幸せだったとしても、ですか?」


 澄香は問いかける。


 貞彦は逃げなかった。


「だとしても、構わない。それに、刹那的なのは、澄香先輩だって一緒だろ」


 一瞬の煌めき。まるで稲妻のような激しさ。そして、夢のような温かさ。


 人生の長さから測れば、ほんのわずかでしかない時間。


 大切な時間。


 針は動き続ける。


 ほんのわずかな時でも、幸せをと願う。


「私の方こそ刹那的ですか。ふふ。本当に、そうですね」


「それに『今のこの瞬間だけでも幸せを感じたい』。それは――いけないことか?」


 澄香は、ハッと表情を変える。


 そして、少し口を曲げる。


 子供が拗ねたような、澄香が見せるには珍しい表情だった。


「私のマネをするなんて、貞彦さんはいけない人ですね」


 そして、澄香は目を閉じる。


 澄香は、貞彦に言う。


「この瞬間だけでも――幸せを感じさせてください」


 貞彦は、澄香にキスをした。


 思考が溶ける。


 ふわふわする。


 離れる瞬間、寂しさを感じる。


 目を開く。


 目が合う。


 笑顔に迎えられ、嬉しくなる。


「ありがとうございます、貞彦さん。私は今、世界で一番幸せです」


「俺も……幸せだよ」


 澄香は貞彦を抱きしめ、言った。


「これで、私の幸福は成就しました」


 幸福に満たされているはずなのに、とてつもない喪失感に苛まれる。


 近くて遠い、矛盾した感覚。


「母からの呪いも、父からの呪いも、私には耐えがたいものでした。いかなる書物にも、私の幸福論は見出せませんでした。当然ですよね、自分自身で見つけるものだから」


 澄香のぬくもりを感じる。


 温かさが肌に残る。そのはずなのに、ここにはないようにも感じる。


「人性に意味なんてない。恒久的な幸福などない。幸せは、今のこの瞬間にしかない。これらの考えから見出した、幸せな人生についての答え。それは――」


 言わないでくれと、貞彦は思う。


 しかし、澄香は止まらない。


 澄香は、満足そうな声色で言った。


「最高に幸福な瞬間に――人生を終えることです」

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