第24話 自分自身の幸せ

「はなせ―。何が目的だ!」


 貞彦は両腕を掴まれて身動きが取れなくなっていた。


 がっちりと拘束されているため、身じろぎすることしかできなかった。


 貞彦は円形に囲まれていた。


 それぞれがサンタの帽子やら、トナカイのマスクなどで仮装をしていて、正体はわからない。


「貞彦せんぱ……あなたがヘタレだから『ラブロマンスを見届け隊』であるわたしたちからお仕置きを受け取ってもらう」


 貞彦の前に立った、ひと際小柄なサンタが言った。


「余計なお世話すぎる! ってかお前、素直だろ!」


「素直ではない。『ラブロマンスを見届け隊』隊長のスナスナだ」


「もう少し隠す努力をしろ!」


 貞彦のツッコミも虚しく、ついにはもう一人加わって抱えあげられてしまった。


「俺は一体何をされるんだ」


「ちょっとした荒療治だよ。くっくっく」


「悪役笑いが似合ってないな。ってか、甲賀先輩までこんなことに加担するなんて、意外だな!」


 貞彦の下肢を担当している、甲賀はびくっと震えた。微妙に気まずそうだった。


「……俺だって、正直こんなことをしたいわけじゃないんだ」


「じゃあなんで?」


「……カルナがやれって言うから」


「アンタ意外と立場弱いな!」


 貞彦がツッコんでも、トナカイマスク達は止まらない。


 えっさほいさと、貞彦を担ぎ上げながら、廊下を進んでいく。


「太田くんまで、加担してるのか……」


 右上肢を担ぐ、太田も気まずそうに顔を逸らした。


「美香子が、久田先輩のロマンスを手助けして来いって……」


「……で、光樹もか?」


「……すまん。ネコの命令なんだ……久田くんがうまくいかなかったら、もう一生『愛してる』って言ってくれないって」


「重っ! 俺は他人の人生まで背負わなきゃいけないのか!」


 ぎゃあぎゃあ喚いているうちに、目的地に辿り着いた。


 先導していた小柄な隊長は、サンタ面でもわかるくらいに、露骨な笑顔を見せた。


「いってこい! ヘタレ先輩!」


「うわああああ」


 開かれた部屋に向かって、貞彦は乱暴に投げ捨てられた。


 背後にはトナカイやサンタがずらりと並んでいた。


 親指をグッと立てて、得意気な表情をしていた。


「いてっ」


「貞彦さん?」


 見上げると、キョトンとした顔の澄香がいた。


 貞彦は痛みに耐えつつ、立ち上がった。


 周囲を見渡すと、シンプルながらも、卵色めいた清楚さの滲む雰囲気が見て取れる。なぜか良い香りがする。


「えっと、ここは?」


「いきなり来られたと思えば、不思議なことを言いますね」


 澄香は微笑み、貞彦の正面に向き直った。


 ちょこんとお辞儀をして、口を開いた。


「私の寝室にようこそ――貞彦さん」


 白須美家にお泊りをしていた時でさえ、一度たりとも入ったことはなかった。


 白須美澄香の寝室に、強制的に足を踏み入れたのだった。






 澄香に促されて、貞彦は澄香の隣に座った。


 女性のベッドに座るというのは、初めての体験だった。


 自分の鼓動がわかるくらいに、緊張していた。


 隣はおろか、前すらも見れない。


「貞彦さん」


「は、はい」


「そんなに緊張されていると、なんだか私も緊張してしまいますね」


 いつも通りの声色で、澄香は言った。


 本当に言葉通りなのか、貞彦には判断できなかった。


 ぐるぐると思考が巡る。こんな状況を作ってくれたことに、感謝だったり怨嗟だったりが、入り混じっている。


 何度も考えがループしたところで、貞彦は細かく考えることをやめた。


 どれだけ考えても、自分の気持ち自体は変わらないはずだ。


 どれだけヘタレでも、情けないとしても。


 澄香のことが好きだという気持ちだけは、嘘ではないのだから。


「その、今日のパーティー、澄香先輩は楽しかったか?」


「はい。みなさんと過ごすことができて、とても楽しかったですよ」


 澄香は、やはりいつも通りの笑顔だった。


「貞彦さんは、どうでした?」


「なんかめちゃくちゃだったけど、俺も楽しかったよ」


 暴れまわるナコ。男子限定クリスマス相撲。爆発するクリスマスケーキ。血で染まるプレゼント交換会。


 事件性を匂わせる内容もあったが、退屈をしている暇なんてなかった。


 思わず笑ってしまうような、くだらなくも賑やかな時間。


 とても、幸せな時間だった。


「澄香先輩」


「はい」


 澄香が返事をして、貞彦は顔を上げた。


 真っすぐに、澄香と向き合った。


「幸せは――見つかったのか?」


 貞彦が聞く。澄香の瞬きが、やけにはっきりと見える。


「実を言うと、私の中の幸せというものを、見つけているのです」


「それは、依頼を達成できたってことで、いいのか?」


 澄香は、ゆっくりと首を横に振った。


「いえ、まだです」


 貞彦はがっかりしたような、安心したような、両価的な気持ちを抱いていた。


 澄香は続けて口を開く。


「たくさんの仲間と、楽しい時を過ごす。流れていく平坦的な日常の中で、時折見いだせる特別な出来事。その繰り返しを、幸せと呼んでもいいのかもしれません」


「なんていうか、相談支援部のやっていたことみたいだな」


「他人の不幸は蜜の味という言葉は、間違ってはいません。けれど、他人の幸せは自分の幸せという言葉もまた、正しいのです」


「全然違うことを言っているように感じる」


 澄香は姉のように、年上の気品を漂わせて笑った。


「他人の不幸を楽しく思うのも、他人の幸せを自分の幸だせと思うのも、一体誰なのでしょうか?」


 貞彦は、一瞬考えた後に、言った。


「自分自身、だな」


「正解です。型にハマった幸せというものも、あると思います。けれど、本当に求めていくべきものはきっと、自分自身の中にしか、ないんです」


「昔、澄香先輩は言ってたな。他の誰かのためではなく、自分のために相談支援部で活動してるって」


 貞彦の言葉を聞いて、澄香は嬉しそうに顔をほころばせた。


「覚えていたんですね。私は私の、貞彦さんは貞彦さんの、相談者には相談者の、それぞれの幸せがあります。だから私の幸せを押し付けることに、意味なんてないんです」


 素直は言っていた。


 幸せとはきっと、決まっていないものなのだと。


 今になって尚、その意見は正しいように思える。


 貞彦にとっての幸せと、澄香にとっての幸せは、似たようなもので、きっと違うものだ。


 そうなると、澄香が幸せにしてくださいと言った意味とは。


 澄香の目的について、とある推測が思い浮かんでいた。


「幸せについて真剣に考えることで、探したり、見つけたり、できるのかもしれない」


「ふふ」


「澄香先輩はもしかして、俺たちにも……幸せを見つけて欲しかったのか?」


「答えは言いません。けれど、一つだけ気になりますね。貞彦さんの幸せは、見つかりましたか?」


 澄香はおどけるように言った。


 その答えには、掴みどころがない。しかし、確信めいているように感じた。


 突然の、ノイズ。


 ザっという不快音とともに、世界が歪む。


 今にも消えてしまいそうな、悲しい予感に包まれる。


 時間がない。


 根拠もなく、そう思った。


「貞彦さん?」


 澄香は不思議そうに、貞彦に声をかけた。


 貞彦は、澄香の両肩に手を置いた。


 ムードや順番なんて、考えられない。


 今言わなければ、収まりそうもなかった。


 貞彦は、震える体を押さえつけて、言い放つ。


「俺は、俺の幸せは……澄香先輩と一緒にいることだ。澄香先輩のことが――好きなんだ」


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