第1話 幸福ってなんだろう 仏教系幸福論
幸せにしてください、と澄香は言った。
まるでプロポーズの言葉だと、貞彦はツッコミを入れた。
けれど、ふと考えた。
そもそも幸せにしてくださいと言われたら、どうしたらいいのだろうか。
どのような状態を、幸せと呼ぶのだろうか。
幸せとは、一体なんなんだろうか。
「幸福について語った人物は、今までの歴史上でたくさんいます」
幸せについて本気出して考えていたら、澄香先輩が唐突に講義を始めた。
素直はワクワクに瞳を煌めかせている。
しかし、貞彦は思った。
澄香先輩とコミュニケーションが取れることは嬉しいが、これじゃあいつもと変わらんと。
「古代の哲学者アリストテレスは、幸福こそが究極の目標と唱え、幸福主義を打ち出しました」
「うんうん」
澄香はミニホワイトボードに、人物と考え方についてを羅列していた。
「一つ一つの説を詳細に説明していると、今日一日の時間があっても足りないため、いくつか紹介するだけに留めます。中世の哲学者パスカルは、『パンセ』という書物の中で幸福について考察しています」
「……うん」
貞彦は、わずかに動揺していた。
その名前には、聞き覚えがあった。
澄香との初デートの際、夜の海辺で語り合った時に聞いた名前だった。
そして、なんだか澄香と気まずくなってしまった
「『過去と未来しか見ていない。現在に目を向けない私たちは、生きることではなく、生きようと願っているだけ。幸せになる準備ばかりしているものだから、いつまで経っても幸せになれない』」
澄香は貞彦に向かってウィンクした。
覚えていますよね、と言わんばかりだった。
貞彦は、複数の意味でドキドキしていた。
「過去にあった幸せな時を慰めとし、未来の幸せのためにと、準備ばかりしている。昔は良かったとか、未来のために勉強をしようとか。そういった考えが、間違いであるなんて思いません」
「そう言われちゃうとなんだか今のこの瞬間っていうものをないがしろにしちゃってる気がするね」
素直は腕を組んで頷いていた。
「そうですね。肌に触れ、味を楽しみ、目で捉え、耳で聞き、香りを感じているのはまぎれもない今なのです。それは、意識した瞬間に過ぎ去ってしまうものだとしても、今の時間というものを大切にすれば良いのだと、私は思います」
過去を見すぎることで、未来を見据えすぎることで、今のこの瞬間を大切にしない。
そのこともまた、適切ではないのかもしれないと、貞彦は改めて考えていた。
澄香は再び、ホワイトボードを書き直した。
「幸福について、日本ではどのように考えられていたかの一例を挙げましょう。浄土真宗の開祖、親鸞聖人の言葉を書き留めた書物『
「日本で一番有名な仏教書って呼ばれている書物だったか?」
「はい。『歎異抄』の中でも最も衝撃的で、有名な言葉があります」
澄香は声色を整え、荘厳さを演出する低めの声を出した。
「『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』という言葉は、最も奥深く、そして最も誤解されやすい言葉なのです」
「どういう意味? 善人でも悪人でも救われるってこと?」
素直は頭の上にハテナマークを浮かべているようだった。
「善人ですら極楽浄土へ行けるのだから、悪人であればなおさら報われる。そういった意味です」
「えー! 普通逆じゃないの?」
素直はまっすぐに疑問をぶつけた。
澄香はニヤリとした微笑みを浮かべた。
素直の抱いた疑問は、澄香にとっては好都合であるようだ。
「
「悪人を対象に救うって言うと、なんだか悪いことを奨励しているように思えるな」
「そこが歎異抄の誤解を抱きやすいポイントです。そこで貞彦さんと素直さんに問題です。お二人は自分のことを、善人だと思いますか? 悪人だと思いますか?」
澄香は唐突に質問した。
貞彦は考える。
自分自身が、少なくとも悪人であるとは思えない。
しかし、善人なのかと聞かれると、自身をもって言うことはできなかった。
「俺は悪人ではないと思うけど、善人かと言われると、自信はないな」
「うーん。わたしも好きなように生きてるから善人かって言われると自信がないなあ」
二人の答えを聞いて、澄香は満足そうに目を細めた。
「悪人という意味合いを考えると、何か犯罪を犯したり、他者に迷惑をかけてしまう行動や性格を思い浮かべるかもしれません。けれど、そうじゃないのです。人は例外なく、悪人なのです」
澄香は穏やかに言い放った。
「悪人って言われると、なんだかしっくりと来ないって言うか」
「そう思うのも無理はないですね。しかし、そもそも善というものは絶対的なもので、煩悩にまみれ、間違いから脱することのできない私たちは、理想通りの善人ではいられないでしょう」
「うーん……そう思うところもあるかなー」
「全人類が悪人であったとしても、必ず救ってみせる。そんな全人類の救済こそが、弥陀の本願なのです。自分がどうしようもない悪人であると、親鸞聖人は考えていましたが、そんな悪人ですら救われるという思想は、とてもありがたいものでしょう」
善人ではなく、悪人を救う思想。
全人類が悪人であったとしても、全ての人を救うのだという、宇宙規模の優しさを感じる。
誰も彼も救われるという考え方には、それこそ救いがあるように感じる。
「そして、善人などいないというのに、善人ぶっている人々であったとしても、極楽にいける。だからこそ、善人ですら極楽へ行けるのだから、悪人はなおさら極楽に行けると言っているのです」
「それはわかったけど、じゃあ幸福っていうものは、弥陀の本願とやらが達成した時になるのか?」
貞彦は聞いた。
澄香は仏のような表情をしていた。
「弥陀に救われて念仏するものは、一切が障りならぬ幸福者である。救われた者は、天地の神も悪魔も妨げない。どんな大罪も、どんな善行も及ばない。正義も悪も超えた、絶対の幸福者であると言われています」
「救われるってことは、いいことも悪いことも、もはや関係がないってことか」
「救われた者が唱える念仏は、他力の念仏と呼ばれます。救われたことの嬉しさに、自然と唱える感謝の念仏。嬉しくて歌を歌うようなものです。ただ嬉しいから、念仏を唱えるのです」
絶対の幸福を確信して、嬉しくて感謝の念仏を唱える状態。
正義にも悪にも心を乱されない、絶対的な安寧。
それはきっと、さぞかし心地の良い状態なんだろうと思える。
何か積極的な成功だとか、金銭を多大に儲けることができるだとか、そういったことが幸福であるわけではないと、考えられていたように思えた。
ただ、救われたことを確信して、善も悪も関係がない、絶対的な心地。
それが、幸福というものなのだろうか。
貞彦はまだ、幸福といったもののイメージを掴めたわけではなかった。
何事にも心見だされない状態は、きっと幸福の一つの形として、間違っていないように思える。
けれど、幸福に関する疑問は残る。
ただ救われることを待っているだけで、いいのだろうか。
貞彦は疑問を感じて、澄香に聞いた。
「澄香先輩は、その弥陀の本願が達成された状態が、幸福な状態だって思うのか?」
澄香のことを幸せにする。
そのためには、澄香の思う幸せについて、知らなければいけないと、貞彦は考えた。
澄香は、幸せそうな笑顔を見せた。
不満な色は一切見えないのに、返ってきた答えは違っていた。
「私の思う幸福とは、また違うのかもしれませんね」
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