第20話 安梨・アステリスカス・愛子・アタラクシアはどこにいる?

 貞彦は、澄香と共に秋明のことを探した。


 アドバイスを言うことはなく、ただ人形のようについてくるだけだった。


 安梨とかいうわけのわからない女の子を巡る結末は、貞彦と素直に託した。


 そう告げているように思えた。


 様々なクラスを巡り、秋明を探すが、どこにも見当たらなかった。


 演劇部の部室にいる可能性が高いと思ったが、あてが外れてしまった。


 確信ではなく、ただの勘が働く。


 物語が書けない時に、何をするのだろうかと、考えてみる。


 貞彦自身は経験はないのだが、きっとなんらかの資料を探るように感じる。


 絵が描けない時に、実際に絵を見るように。


 物語が書けなければ、物語からヒントを得るのではないだろうか。


 そう考えた時、足は勝手に動いた。


 図書室に足を踏み入れる。


 学校の歴史などの展示物があるのみで、がらんとしている。


 人の気配はほとんど感じない。


 かすかに耳をすますと、紙の擦れる音が聞こえる。ページをめくる、特有の音楽。


 音のした方へ近づく。


 本棚を超えると、全貌が見渡せた。


 秋明が、一心不乱に本のページをめくっていた。


 焦りが強いのか、表情は苦悶に満ちている。


 声をかけるのもためらわれたが、貞彦は息を飲み込む。


 素直にラインをして、図書室に来て欲しい旨だけを伝える。これで、安梨も一緒に来るはずだ。


 それまでの間、貞彦は秋明を繋ぎとめておこうと考えた。


「秋明」


 貞彦は呼ぶが、秋明は反応しない。


「秋明!」


 もう一度名前を呼ぶ。今度は強めに。


 秋明は、幽霊のように顔を上げた。


「君か……なんの用だ?」


「お前の探していた、物語の在処がわかったんだ」


「本当か!」


 秋明は勢いよく立ち上がった。


「少し信じられない話かもしれないけど……」


「もったいぶらないでくれ。僕には時間がないんだ」


 焦燥感。


 無理もない。本番は明日なのだ。


 しかし、きちんと説明をしなければいけない。


 安梨のためだけでなく、秋明のためとなるように。


 真実かどうかは、本当のところわからない。


 見つけられた、真実めいたことだけでも、正しく。


「お前につっかかっていた、変な女子のことなんだが」


「……彼女か。ただの他人なのに、なんでこんなにも僕はかき乱されなきゃいけないんだろうな」


 秋明はうんざりしたように言った。


「安梨・アステリスカス・愛子・アタラクシアって名乗っていたんだ」


 貞彦は安梨の名を告げる。


 秋明の顔色が変わる。


「あの物語で、僕が考えていた名前……」


「安梨のことを、本当に見たことはないのか?」


「いや、でも、そんなはずがないじゃないか」


「信じられないことは無理もない。けれど、そうとしか考えられないんだ」


 秋明は戸惑いのためか、手のひらで顔を覆っていた。


 おいそれと納得できるような内容ではない。


 それでも、秋明にだけは認めて欲しいと、貞彦は思う。


 物語を形にして、その願いが現実になるための道を作ったのは、秋明自身なのだから。


「荒唐無稽な話かもしれない。けれど、お前には認めて欲しいんだ」


「でも、そんな馬鹿な……」


「理由も理屈もわからない。けど、安梨はずっと願っていたんだ。見守ってくれていた誰かに、お礼がしたいって」


「見守っていたというけれど、僕が一体何をした。僕に、何ができたというんだ。恨まれこそすれ、感謝を言われる理由なんて、ないじゃないか」


「それは俺が決めることじゃないし、お前が決めることじゃないと思う」


「そんな想いなんて、そもそも現実であるわけないじゃないか。ただの物語で、ただの幻想で、この世界には存在するわけじゃないじゃないか!」


 混乱のあまり、秋明は叫ぶように言った。


 ありえない出来事が続き、秋明もいっぱいいっぱいになっているのかもしれない。


 実際に、安梨と話をするしかないかと、貞彦は説得を諦めかけた。


 すると、貞彦の前に人影が躍り出る。


 今まで沈黙を保ち、貞彦の後ろで佇み続けていた、澄香だった。


 笑みを浮かべてはいるが、目元は笑ってはいない。


 怒っているわけではないと思う。


 けれど、いつにない真剣さが含まれている。


「初めまして。相談支援部部長の、白須美澄香と申します。さっそくですが本題です。魔女もエルフも鬼も、存在しているといったら、驚きますか?」


 澄香は笑顔交じりに言った。


 秋明の瞳は混迷に揺れている。


 澄香の言っていることを、呑み込めないようだった。


「何を言っているんだあなたは。魔女も、エルフも、鬼も、この世界にはいないじゃないか」


「あなた様の仰る通りです。魔女も、エルフも、鬼も、この世界には存在しません。あくまで、私たちが今ここにいる学校で、日本で、あるいは外国では、実際には存在しないということです」


「なんでそんな、当たり前のことを……」


「では、私たちはなぜ――魔女、エルフ、鬼などの存在を知っているのでしょうか?」


 澄香は改めて問いをぶつけた。


 現実には存在していないもの。


 空想や虚構の世界にのみ存在するもの。


 それらのものと現実を、人は区別をつけることはできる。


 しかし、そもそもの問題を、澄香は浮彫にする。


 この世に存在しないこと。それは事実であるように思える。


 しかし、そうであるならば。


 なぜ、我々はこのような虚構の存在を認識している、知っていると言えるのだろうか。


「それは……物語で、見たりしたからじゃないか。小説だったり、漫画だったり、アニメだったりで」


「ということは、それらの存在は、どこに存在しているのでしょうか?」


「小説、漫画、アニメ、それらの物語の中の世界には、存在している」


「ええ。その通りですね。では、小説や漫画やアニメなどはこの世に存在しているわけですが、この世界の中にある物語の世界に存在しているということは、この世界に魔女やエルフや鬼は存在している、と言っても良いのではないでしょうか?」


 澄香は混乱を招くようなことを言った。


「たとえば、風船が一つあります。その中にもう一つ魔女やエルフや鬼などの入った風船を入れます。風船の中に風船があり、世界の中に世界が内包されています。そんな入れ子構造になっているのであれば、どうしてその大きな風船の中の世界に、それらの物は存在していないと言えるのでしょうか?」


 一つの風船が世界全体だとして、その中にもう一つ風船を入れる。


 その風船の中に風船がある。


 世界の中に世界があり、より内側の世界に虚構が存在しているのであれば、それは現実に存在していることと変わらないのではないかと、澄香は言っているようだった。


「……わからなくなってきたけど、何かが違うような感覚がある、としか言えない」


 秋明は絞り出すように言った。


 澄香は微笑んで両手を合わせていた。


 秋明の言った言葉こそが、欲しかった言葉とでも言っているようだった。


「あなた様の感覚は、全て正しいように思います。現代の哲学者、マルクス・ガブリエルは『なぜ世界は存在しないのか』という著作の中で、記しています」


 澄香は、静かに息を吸い込んで、言った。


「世界などというものは存在しない。しかし――世界以外の全ての物は存在するのだ、と」


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