第19話 小さな願いを叶えたい

 安梨が竜胆を見たことがあると言った理由。


 それは、竜胆が秋明から物語を見せてもらったことがあったからだと推測できる。


 そして、竜胆を見たけれど、安梨のテンションにあまり変化がなかった理由。


 見たことがあることは真実だろうけれど、安梨にとっての探し人でないと、無意識的に気づいていたんだと考えられる。


 どのような原理かはわからないが、外側から安梨の物語を眺めた者は、安梨にとっては見守られているような感じといった、実感として還元されるのだろうと思える。


 理屈上、物語の内側から、外側が見えるはずなんてない。


 この世界が、実は神が作った劇場の舞台だとする。


 人はただの演者で、神から眺められているだけの、傀儡であるとする。


 舞台という限られた世界で生きる人間には、神のことを見ることなどできない。


 けれど、感じることはできる。


 誰かはわからない。この世界のものでないような、言いようもない不可思議な視線。


 ただ感覚として捉えられる、不思議。


 もしかしたらそういった超感覚めいたものは、神を感じている瞬間なのかもしれない。


 安梨の物語を見ていた人物。


 それは当然、秋明だろう。


 人間を眺める神のごとく、物語のキャラクターを秋明が眺める。


 けれど、安梨は感じていたのだ。


 世界の外側の存在を。


 語り得ぬ超越された存在を、感じていたのだ。


 感じて、力づけられて。


 そして、感謝がしたいと。


 ただそれだけのために、安梨はきっと、世界を飛び越えてきたんだと思える。


 ちっぽけすぎて、笑ってしまいそうになる。


 だって、安梨にとっての神様は、彼女に何をもたらしたんだろうか。何も良いことなんて、もたらしていないように思える。


 都合よく世界を描いて、悲しみや憎しみを充満させた展開を進めて、最終的には悲劇で締められる悲しい物語。


 秋明は安梨に、一体何を与えたと言うのだろう。


 励ましの声を送ったわけではない。ぬくもりも、その息吹すらも届けてはいない。


 心を慰める言葉や、安寧の感情を与えたわけでもない。


 ただ見つめていただけだ。


 安梨が得たものは、誰かに見られている、見守られているだけという感覚だけだ。


 たったそれだけのことのために、安梨は秋明にお礼を言いたいんだと、話していた。


 笑ってしまう。


 本当にささやかで、ちっぽけで。


 だからこそ、叶えてあげたくなる。


 安梨の真正面に、秋明を対峙させてあげたくなる。


 貞彦の心は、雨が上がったかのように晴れあがっていた。


 やるべきことが、はっきりとしたからだ。


「竜胆先輩」


「なんだい?」


「秋明は一度、安梨と真正面から話をしているんだけど、安梨のことを特別気にしたそぶりは見せなかったんだ。俺はどうにもそのことが気にかかるんだけど、何か知らないか?」


 貞彦が聞くと、竜胆は頼もし気な笑みを見せた。


「僕が思うに、秋明も本当は気付いているんだと思うよ。はっきりと彼から聞いたわけじゃないけど、僕はそう思うんだ」


「疑うわけじゃないけど、それは本当なのか?」


「ほとんど間違いはないと思う。だって、安梨ちゃんと実際に触れ合ったことで、秋明は物語の結末が書けなくなったみたいだからね」


 貞彦は、コンテスト前に秋明が相談に来ていたことを思いだした。


 悲劇的な結末に対して、迷いが生じていた。


 これでいいのだろうか。


 これで、本当にいいのだろうか。


 自覚的かどうかはわからない。


 けれど、安梨と知り合った。言葉を交わした。友好的な内容じゃないけれど、関係した。


 そんな相手を、不幸にしてしまいたくはない。


 そう思っているんじゃないかと、貞彦は考えていた。


 バラバラだったピースが、一つにまとまっていくように思えた。


「最後に一つだけ、気になることがあるんだ」


「僕で答えられることなら、出来る限り答えるよ」


「今回の本質には関係ないかもしれないけど、秋明はどうして悲劇にこだわっているんだ?」


 貞彦の疑問を聞いて、竜胆の表情は曇る。


 竜胆と秋明の関係性に何かあるんだと、物語っているようだった。


「僕と秋明は、とてもよく似ているんだ」


「まあ、兄弟なんだもんな」


「うん。だからこそ、よくないこともあるんだ。誤解させないように言うよ。傲慢かもしれないけど、僕は割と器用な方だと思うんだ」


「まあ、そう見える」


「友達を作ることも、勉強をすることも、運動についても。これは自慢だけど、比較的コツを掴むのは上手いと思うんだ」


「竜胆先輩くらいに完璧だったら、もう嫌味にすらならねえよ」


「ありがとう。それで、秋明の外見は僕ととても似ているんだ。彼が悪いわけじゃないんだけど、両親だったり周囲の人物は秋明に大きな期待を抱いた」


「大きな期待? 竜胆先輩みたいになれっていうことか?」


「その通りだ。僕によく似ている彼であれば、僕のようになんでも器用にできるんだと、思われていた節がある。彼自身のことは考慮されず、勝手に期待されていたんだと思う」


 竜胆の口調には、熱がこもっていた。


 その熱量の分だけ、秋明に対する思いがあるようだ。


 完璧に近い竜胆。その兄とそっくりに生まれてしまった、弟の秋明。


 彼自身が悪くない。勝手に期待されて、勝手に裏切られたと騒がれただけのことだと思う。


 けれど、それは他人であるから言えることだと、貞彦は思った。


 期待を裏切ってしまったと本人が感じていたとしたら、その気持ちに対して、どうしたらいいのだろうか。


「始めはがんばっていたんだけど、僕と比べられて、期待に応えられなくなってきてから、彼はすっかりふさぎ込むようになってしまっていた」


「それは、きついな」


「顔を隠すような極端な髪形も、多分僕と似ていることを隠すためなんだろうね」


「できる兄がいることが、重荷になっているのかもな」


「多分だけど、秋明は自分自身の境遇を、悲劇的だと感じているように思うんだ」


「間違ってはいないのかもしれないけど」


「感じ方は自由だと僕も思うよ。けどさ、僕のことを意識しないようにしようとしても、きっと割り切れないように思う。だから、嗜好や感じ方が悲劇的なんだ」


「なんていうか、もったいないように思うな」


「そうだね。自分自身の価値を、自分で見つける。少なくとも僕はそうしてきた。能力だけじゃなくて、そういった考え方も身に着けた。強要をするつもりはない。けど自分のことを好きでいられることが、とても幸福なんじゃないかと思うんだ」


 貞彦は、澄香が言っていたことを思いだした。


『幸福であれ』


 そう澄香は告げた。


 神の啓示のような、シンプルな一言。


 力強く、眩しい願い。


 どうかどうか、その願いを叶えて欲しいと、貞彦は思っていた。


 貞彦がやることは、はっきりと決まっていた。


 細かいプランなんてない。


 そのための戦略もなければ、戦術も見当たらない。


 行き当たりばったり。


 けれど、ゴールははっきりと見えていた。


 秋明と安梨を、正面から向き合わせる。


 良い結果を生むとばかりは思わない。


 ただ、貞彦はそうすることこそが、自分自身のできることだと確信していた。


 貞彦は立ち上がった。


「竜胆先輩ありがとう」


「別に僕は何もしていないよ。今日初めて話をした君に言うのもなんだけどさ」


 竜胆はなんの躊躇いもなく、貞彦に向かって頭を下げた。


 ただ弟を想う、兄の姿に胸を打たれたようだった。


「弟のことを、よろしくお願いします」


 貞彦は神妙な面持ちで頷いた。


 同時に、あまり関係のないことも考えていた。


 ミスターコンテスト三年連続優勝。


 これはモテるわ。


 口には出さなかったが、自分が女子だったらこんな人に惚れるのかもしれないと、考え出していた。

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