第3話 目、耳、心を傾ける
結局、紫兎は見つからなかった。
翌日になって、どこに行っていたのかを聞いたら、普通に帰ってしまったらしい。
貞彦はとりあえず、苦言だけは呈しておいた。
紫兎は不満げな顔をしていた。
澄香の家で寝泊まりし出してから、一週間が経過していた。
初めは何事にもおっかなびっくりだった安梨も、随分と馴染んできた。
掃除や洗濯だけでなく、料理まで一緒にするようになっていた。案外がんばりやなのかもしれない。
意外と言うと失礼かもしれないが、素直も料理はできるようだった。調味料をふんだんに使った、豪快な味ではあったが。
女子四人で台所に立つ姿はなんかいいなと、貞彦は見えないようににやけた。
とはいえ、何もしないのも申し訳なさが顔を出す。
何か手伝おうと思い、台所に立つ。
「さだくんは大丈夫です。座って姫奈の愛情たっぷりの料理を、待っていてください」
「そうだよ。貞彦先輩の気遣いは嬉しいけど邪魔になるから」
姫奈と素直に止められて、貞彦はすごすごと引き下がった。
素直も悪気はないのだろうが、物言いがストレートすぎて、少しだけ傷ついた。
可愛い後輩に、綺麗な先輩。
世話焼きな妹に、謎の少女。
いつからこの世界はラブコメのようになってしまったんだろうと、貞彦は運命の奇妙さに首を傾げた。
テレビを見ていると、全国各地で行楽の様子が映し出された。旅行か。あまり遠出をしない貞彦にとっては、なんだか遠い世界だと感じた。
「貞彦さん。お隣よろしいですか?」
ボーっとしていると、澄香がやってきた。
見慣れてきたとはいえ、制服意外の澄香の姿を見ると、少しだけドキドキする。
「どうぞ」
「では、失礼します」
澄香は貞彦の隣に座る。
密着したりはしないが、野球ボール一個分くらいしか空いていない。少し身じろぎするだけで、触れてしまいそうな距離に澄香がいる。
今まで重ねてきた時間。その結果としての、距離。
「料理の方はいいのか?」
「はい。素直さんや姫奈さんもお上手ですし、安梨さんも慣れてきている様子なので、もう見守っていなくても大丈夫だと判断しました」
「そうか。なら安心だな」
会話が途切れる。
部室で話をするのであれば、もう少しうまく話ができる自信はある。
けれど、澄香の家だとそうはいかない。
それはそうだろうと納得はできるが、貞彦自身でうまく説明ができなかった。
「貞彦さん。まだ緊張していますか?」
「い、いや」
「わかりやすくて、可愛いですね。では、貞彦さんに安心してもらうために、私の気持ちをお伝えしましょう」
「気持ちなんて、そんな大げさな」
「そんなに深い話じゃないんですよ。わからないから、怖かったり緊張したりする。感情や気持ちがわかれば、それだけで人は安心するものなのです」
「確かに、俺は澄香先輩の考えていることが、よくわからないことがけっこうあるな」
「それも無理のない話です。ですので、少しだけお伝えしましょう」
澄香は、貞彦に向かって、わずかに顔を寄せた。
「同年代の男性を、一人だけで招くことは、初めてのことです。なので……私も少し、緊張しているんですよ」
緊張を誤魔化すかのように、いたずらっぽい笑み。
その様子からは本心を感じられて、貞彦は緊張はほぐれていった。
澄香の気持ちがわかって、自分と同じだと知って、安心する。
本当だと、貞彦は思う。
前より鮮明に、澄香の姿が見えるようになった。
そして、澄香に抱く感情も、前よりもくっきりとしている。
「そういえば澄香先輩」
「なんですか?」
「文化祭での相談支援部の活動のことなんだけど」
「はい。出張相談室のことですか?」
「ああ。依頼を解決するのに、今までだったら何日もかかっていたのに、そんな一時間の中で話を聞くだけで、解決なんかするのかなって思ってさ」
相談支援部の文化祭における活動として、出張相談室というものを行うこととなっている。
模擬店ブースの一角を借り、お悩み相談を受け付けるというものだ。
二日間の文化祭で、一時間ずつ実施する。
しかし、今までの活動では、問題の把握から道筋立て。実行に移して解決に図るまで、非常に時間がかかっていた。
人の悩みなど、一朝一夕で解決できるようには思えなかった。
澄香は優し気な笑みを浮かべた。
「解決する必要なんてないのです。ただ、話を聞いて上げればいいのです。気の利いたアドバイスや、綺麗な言葉など、そこには必要ないのです」
「え? それでいいのか?」
「はい。そのぐらいの時間設定では、悩みの核心に触れることは困難でしょう。ですので、目的はあくまで、相談者の気持ちをスッキリさせてあげる。それだけでいいと思います」
悩みを解決させるのではなく、あくまで話を聞いて上げて、スッキリしてもらうだけ。
澄香が提示した目的は、思いのほかシンプルなものだった。
「人の話を聞く上で、傾聴という技術があります」
「傾聴?」
「傾聴とは『耳』『目』『心』を傾けて、真摯な気持ちで相手の話を聞くことです。傾聴の特徴は二つあります。『受容』と『共感』です」
「なんだか、普段から澄香先輩がやっていることのような気がする」
「とてもいい観点ですね。『受容』とは、相手のことを受け入れること。ありのままに受け入れるのです。内容や人格などに、善悪の判断を加えず、正誤の判断もつけず、ただ、ありのまま、それでいいんだと受け入れることです」
「なるほどな」
「『共感』というのは、相手の話に、その通りだと思うことです。うんうんわかります。そうですよねと、相手の気持ちに共鳴するかのごとく、寄り添うことです。否定されていると感じる相手に、話をしたくはないでしょう?」
「澄香先輩がなんでも肯定するのは、傾聴の技術とやら使用していたからなのか」
なんでも肯定するといった澄香の本質が、少しだけ見えたように感じた。
澄香が実践しているのは、理論に基づいたものであったのかもしれないと、貞彦は理解した。
納得するとともに、少しだけがっかりしたような気持にもなる。なぜだろうか。
貞彦の気持ちを察したのか、澄香の笑みには、動揺の色が混じった。
「私は、貞彦さんが思うほど、決して完ぺきではないのです。もうご存じかとは思いますが」
澄香のかげりを見出してしまい、貞彦自身も動揺していた。
なんでこんなにも、気にしてしまうんだろうか。
ちょっとしたことが、ほんのわずかな変化が、どうして自分自身を狂わせるのだろうか。
「前に澄香先輩は、一定の距離を取るような生き方がいいって言ってたな」
「はい。その思いは今も、変わってはおりません」
「きっとそれが、澄香先輩の生き方なんだと思う。否定はしない」
今までの関りの中で、人は自分で学んだ、様々な生き方を実践しているように思えた。
愛が全てだから、愛を与えようとしたり。
人の気持ちがわからないから、わからないままでいいやと開き直ったり。
人生のむなしさに気づき、真っ向から立ち向かっていこうとしたり。
どれもが、正しさを内包している。
けど、全て正しいということは、どんなことを選んでもいいはずだ。
澄香の生き方を否定する気はない。
ただ、自分の考え方や、生き方を知って欲しい。
その上で、澄香の生き方になんらかの変化があるのであれば、それはそれでよいように思う。
伝えよう。
「人と近づくことで、感じる苦痛も含めて、俺は案外好きだなって思ったんだ。押し付ける気はないけど、ただ、澄香先輩にも伝えたかったんだ」
澄香は笑みを浮かべていた。
その笑みは、貞彦にとっては初めて見るようなものであった。
どんな感情を孕んでいるのだろうか、想像することも容易ではない。
けれど、澄香を見ている自分自身も、つられて笑顔になってしまう。
なのできっと、澄香の笑みの意味合いは、とてもいいものなんだろうと思えた。
「そうですね。貞彦さんもきっと、正しいのですね」
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