第1話 都合のいい展開

 ツッコミを入れたことで、少しだけ冷静さを取り戻した。


 安梨の依頼に関して、手伝いをすることは構わない。


 しかし、その前に問題がある。


 素性はわからず、どこから来たのかわからない安梨。


 今一番考えるべきなのは、衣食住をどうするかだ。


 当然、お金も持っていなかった。


 常識的な判断としては、警察や児童相談所に連れて行くといった手段が思いついた。


 相談支援部は決して、何でもできるというわけではない。


 学生の身分としてできること。法律やルールに反するようなことは、してはいけない。あくまで常識の範囲内でできることをするだけだ。


 警察や自動相談所について、澄香が説明を行うと、安梨はいやいやと首を振った。


「わたくしは、そんなところに行くのは嫌ですわ。誰も知り合いもいなくて、ここがどこかもわからないのに……せめて知り合えた皆さんのお傍に居させてくれませんか?」


 駄々こねて、安梨は涙を見せ始めた。


 どうしようかと迷っていると、澄香は貞彦に顔を近づけた。


 ひそひそ話の体勢。


「貞彦さんは、こういった場合はどういたしますか?」


「正直な話、俺は公的な機関に任せるしか、アイデアが思いつかないな」


「極めて常識的な判断で、素晴らしいことです。本当に何もわからないのか、意図的に隠しているのか、まだ判断はつきませんし」


 澄香は、素直も呼び寄せた。


 三人で顔を突き合わせる格好となり、貞彦は少し赤くなる。


「素直さんは、どう思います?」


「この子は嘘をついているって感じじゃないと思う。いいことじゃないかもしれないけどきちんとああああさんを知るためにも少しだけ一緒にいてもいいんじゃないかな」


「素直さんは優しいですね。そうですね、期間を区切った上でということであれば、考える余地もありそうですね」


「じゃあ、安梨を匿うのか?」


「イレギュラーな事態ですし、私の家で預かるということも、可能ではあります。部屋なら余っていますし」


 夏休みに訪れた、白須美家について思い返す。


 小高い塀に囲まれた、堅牢な作り。十人以上で訪れても、スペースが余るほどの広い邸宅。


 女の子を一人住まわすぐらい、わけがないように思う。


 とはいえ、貞彦には心配なことがあった。


「でもさ、それって危なくないか。澄香先輩に、万が一のことがあったらさ」


「貞彦さんは、私のことを心配してくれるのですね」


 澄香は笑顔を向けた。


 ほんの少し弾んだ声だと感じる。喜んでくれているのかなと、貞彦は推測した。


「澄香先輩はああああさんを泊めてもいい。でも貞彦先輩は心配。それならわたしにいい考えがあるよ」


 素直は手をグッドの形にしていた。


 貞彦は、嫌な予感を感じた。


 こういった予感は、大体は当たるのだ。


「澄香先輩さえ良かったらみんなで澄香先輩のお家にお泊りさせて貰えないかな?」






 貞彦は、緊張で死にそうだった。


 みんなでお泊りをしたこととはわけが違う。


 事が収まるまで、澄香の家で暮らすことになった。


 貞彦の父親は、出張で二カ月間家を空けることとなった。都合が良すぎる。


 しかし、姫奈を置いていくわけにはいかなかったため、どうしようかと考えていたら「姫奈もいきます。わーいお泊り―」と小学生らしい反応を見せていた。


 素直の両親も、澄香に対しては信頼を置いているらしく、あっさりと許可が下りた。


 とはいえ、澄香の両親から許しが出るのかという心配があった。


 しかし、その心配も杞憂に終わった。


 澄香は理由があって、両親と暮らしていないようだった。


 あんな広い家に、一人で住んでいるということは、寂しくないのだろうか。その理由は、どういう経緯があったのか。


 聞きたいことは山ほど浮かんだが、今は聞けるタイミングではなかった。


 みんなで夕食を作り、テレビを見てくつろぐ。


 安梨は、いちいち色々なことに驚いた。


 ガスコンロで火が付くこと、テレビの中に人がいると思い込んだこと。冷蔵庫で物が冷えていること。


 まるで、この時代の人間じゃないような反応だと思った。


 いや、それは考えすぎだろうと、貞彦は思った。


「お風呂が入りましたので、順番に入りましょうか?」


「わかりました。それではさだくん。いつも通り一緒に入りましょうか」


 姫奈がそう言い放ったことで、空気が一瞬にして凍った。


「貞彦先輩……いや……不潔……」


 素直は、ゴミを見るような目で貞彦を見ていた。


「嘘をつくな! 一緒に入っていたのは低学年の時までだろ!」


「姫奈がおっきくなってから、さだくんは一緒に入ってくれないじゃないですか!」


「そりゃそうだよ」


「兄妹仲がいいことはとても良いことです。うんうん。これは良いこと。何もおかしくなんてありません。大丈夫です。おかしくなんてないです」


「澄香先輩は必死に自分を納得させるな!」


「兄妹と言えども、男女として違いはわきまえるべきですわ」


「さすが安梨だ。珍しくまともなことを言ったな」


「どういう意味ですの?」


 駄々こねる姫奈に、説得を重ねる。


 結局、素直と姫奈と安梨の、三人でお風呂に入ることになった。


 澄香は他人に裸体を見せることに抵抗があるらしく、一緒に入ることは辞退した。むしろ他人に自慢できるプロポーションだとは思うのだが、貞彦はそう言いたいことをグッと堪えた。


 澄香の家で、二人きりになる。


 まるで恋人のようなシチュエーション。


 そう考えた時、貞彦の喉はカラカラだった。


「貞彦さん。お茶をどうぞ」


 澄香は貞彦の様子から察したのか、お茶を差し出した。


「ありがとう」


「どういたしました。特性のお茶ですよ」


「……まさか、何か入っているのか?」


「入っていますよ」


「やっぱり入ってんの!?」


「ええ。私なりの、愛情がたっぷり」


「最近の澄香先輩は、まりあ先輩に悪影響を受けてるな」


 貞彦はお茶に口をつけた。


 冷たすぎず、やけどもしない。適度な温度。


 染みわたるような温かさには、確かに澄香の愛も入っているのかもしれない。


「なあ澄香先輩、安梨のことを、どう思う?」


「どう、とは?」


「なんていうか、人間離れしているというか……いや、この表現は適切じゃないな」


「いいですよ。貞彦さんなりの言葉で、教えてください」


 澄香に言われて、貞彦は言いたい言葉を探した。


 そもそも、口調がおかしい。現実で「ですわ」とか言い出す時点で、違和感がある。


 記憶喪失という彼女。来たことがないはずの学校であっても、見覚えがあるという認識。


 変な名前。色々な物に、いちいち驚くこと。知識の偏りがあるんだろう。


 これらの情報を統合した言葉を、貞彦は探した。


 どれだけの語彙を漁っても、結局は先ほど抱いた印象が、言葉としては真実に近いようだ。


「この時代の人間じゃないような気がする。これは考えすぎなのかもしれないけど」


 貞彦の答えを聞き、澄香は満足気に頷いた。


「私も、貞彦さんとは同様の所感を抱きました。浮世離れしている理由としては、違った時代からきたからという論理が成り立つように思います」


「でも、常識的に考えた時にどうかと思う。そんなことが、現実にはありえるのか?」


「あり得るかどうかについては、なんとも言えませんね。ありえないとも言い切れないだけの経験を、私たちはしてきましたよね」


 過去の依頼で、あった出来事を思い出す。


 ネコの夢へとリンクしたこと。人が二人に分離したこと。世界がごちゃまぜになったこと。


 硬くて丈夫だった世界の在り方が、根本から揺るがされたように感じた。


 貞彦は、自分の考えが荒唐無稽だと、言い切れなくなっていた。


「さて、どういった事象から彼女が生まれたのか、貞彦さんはどう考えますか?」


「俺は、まだわからない。澄香先輩は?」


 澄香は笑顔だったが、目はほとんど笑っていなかった。


 そこに宿る印象は、まるで子供を突き落とすライオンのようだ。


「相談に乗り、アドバイスについては喜んで行いましょう。ですが、私としての推測を言ってしまう時期は、もう過ぎているように思います」


「自分で考えて、自分でなんらかの答えを見つけろってことなんだな」


「はい。それでこそ、貞彦さんです」


 澄香がそう言ったことで、今まで考えなかったことが、いよいよ現実に迫ってきたんだと感じた。


 澄香が、相談支援部からいなくなる。


 運動部なんかは、もうほとんどの三年生は引退している。


 文系の部活動についても、文化祭が終わった時点で、引退となるケースが多い。


 言うまでもなく、澄香も。


「澄香先輩」


「なんですか? 貞彦さん」


 澄香の笑顔。もう何十回と見つめてきた。


 これからはもう、相談支援部の後輩として向けられることは、無くなっていくのだろう。


 貞彦は、去来する寂しさを胸の中に閉じ込める。


 顔を伏せて、口元をほころばせ、強がりとして瞳で笑う。


 顔を上げて、笑って見せた。


「俺なりにがんばってみるよ」


「はい。がんばってくださいね」

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