エピローグ 君と駆け抜けた日々が嬉しい

「紅組の勝利と、精一杯戦った白組の健闘を祝して、かんぱーい!」


『かんぱーい!』


 体育祭は紅組の勝利で終わり、お互いの健闘を称えて、お疲れ様会が開かれた。


 近くのファミレスを貸し切る、盛大な催し物となっていた。


 ワイワイとしたおしゃべりは、騒音と言っても差支えがないほどだ。


 相談支援部のメンバーは、角の席に陣取っていた。


「澄香先輩が敵になった時はどうなることかと思ったよ」


「ほんとだよな。悪者扱いされた時なんか……ショックで死ぬかと思った」


「その節は、本当に申し訳ありませんでした。私なりの意図があったとはいえ、ひどいことを言ったと思っています。特に貞彦さんに関しては、どうお詫びをして良いのやら」


 澄香は本当に申し訳なさそうにしていたので、貞彦は文句の言葉も引っ込んでしまった。


 澄香はきっと、貞彦や素直の成長を見守りたかったのだ。


 敵役に回ったり、試練を与えるようにこてんぱんに叩きのめしたり。


 これからの相談支援部のことを思って、あえて突き放したんだろう。


 結果的に、貞彦たちは試練を乗り越えられたと感じていた。


 澄香がいなくなっても、相談支援部は大丈夫なんだと、示すことができたように思えた。


 けれど、貞彦は言い知れぬ寂しさにも襲われていた。


 澄香との別れが、本格的に近づいていると、如実に感じたからだ。


「さだくん。暗い顔はダメですよ。しょうがないですね。私がなぐさめてあげます」


「って姫奈はなんでここにいるんだよ」


「なんでいるんだなんて……ひどいです。姫奈だって相談支援部の仲間じゃないですか」


「それは違う。確信をもって言える」


「私だって、さだくんのがんばりをほめてあげたいんです。いいですよね澄香さん」


「はい。貞彦さんのことを、存分に褒めてあげてください」


「誰に許可を取ればいいか、わかっていて偉いなお前!」


 貞彦がツッコむと、紅組のチームメイトたちが、わらわらと集まってきた。


「なあ貞彦。なんでもするって約束、忘れてないよね? そうだな……よし貞彦、ちくわになれ」


「人の力を超えさせるな!」


「カナミもがんばりましたよね。カナミもなでてください。場所は指定してもいいですか?」


「怖すぎて嫌だ」


「久田。俺、小学生でもいいかなって」


「寄るな黒田」


「なあ貞彦くん。小学生の妹がいるって聞いたんだけど」


「ネコ―! 彼氏が浮気してるぞー」


「……光樹くん。今夜は良い夢を見ようね」


「おう貞彦ー! 俺にも女っけをわけろー!」


「或……その対応はほんとダメだと思う」


「うむ。おっぱいがいっぱいだな」


「瑛理、退場」


「わかった。僕が責任を持ってボコボコにしておく」


「サダピー先輩たちマジ騒がしくない? あたしらもまーぜてー」


「貴様ら、風紀を乱すな―!」


「甲賀先輩にだけは言われたくねえ」


「愛が、愛が溢れてるね」


「まりあ先輩! 離して! 当たってる!」


 もうしっちゃかめっちゃかだった。


 貞彦は隙を見て逃げ出し、一旦ファミレスの外へ出た。


 そこには、ベンチに腰掛けたカラスがいた。


 両手で愛おしそうに撫でているのは、カメラだった。


「おう。貞彦、お疲れー」


「カラス先輩こそ、お疲れ様。本当に、ありがとうございました」


 貞彦は頭を下げた。


 突然の助っ人ではあったが、カラスの助言に助けられたことは、事実だった。


 勝てたのは決して、自分たちだけの力じゃない。そのことは痛いほどに理解していた。


「別にお礼なんて言う必要はないんだぜ」


「それでも、言わせて欲しかったんだ。カラス先輩の力がなかったら、きっと勝てなかった」


「まあ、それは事実だろうが、本当にお礼なんていらねえんだ。俺もとびっきりの報酬が手に入ったしな」


 カラスはそう言って、ニヤリと笑った。


 爽やかに見えるが、相変わらずどこか胡散臭かった。


「ところで、なんでカメラなんか持ってるんだ?」


「言ってなかったか? それはな、俺が写真部だからだよ」


「カラス先輩は写真部だったのか。なるほ……」


 納得しかけた時に、貞彦にひらめきが訪れた。


 そういえば、まだ解消していない疑問があった。


 善晴がなぜ、相談支援部の活動している写真を持っていたのか。


 自分で撮っていた可能性もあるが、わざわざそんなことをする理由は思い当たらない。


 それに、善晴のことだから、問題が起きていたらその時につっかかってきそうだと思う。


 貞彦の中で、今までの出来事が連鎖的に連なる。


「なあカラス先輩」


「なんだ?」


「吉沢くんが相談支援部の写真を持っていたのって、もしかして……」


 カラスはカメラを貞彦に構えて、写真を一枚とった。


 そこには、ひくひくと頬をひきつらせた、貞彦のマヌケ顔が写っていた。


「察しの通り、吉沢に写真を渡したのはこの俺だ。素直って子に惚れてたみたいだから、写真を見せて焚きつけたら、見事に思い込みにハマってたな」


 カラスは、心底愉快そうに笑っていた。


 獲物が這い回るのを、楽しく見下ろしているような笑みだった。


 出来事を大きくしたのは、間違いなく相談支援部だ。


 その責任は、他人に押し付けてはいけないと思う。


 けれど、そもそもの原因を作った犯人が、ここにいた。


 貞彦は怒りを爆発させるために、息を吸い込んだ。


「あんたの仕業か!」







 貞彦らしくない、あまりの剣幕で怒りをぶつけたせいか、カラスはあっさりと謝罪をした。


 写真部としては、卒業アルバムの制作や校内行事のまとめなども管轄している。


 イベントであるからには、盛り上がりが欲しいといった思いもあり、けしかけたのだという。


 後日、善晴にも謝りにいくという条件で、貞彦はなんとか怒りを収めた。


 お疲れ様会を終えた帰り道。


 貞彦は素直に、今回の件の発端について話をした。


「なんだかカラス先輩の手のひらで転がされていたような感じだったんだね」


「まったく、はた迷惑な」


「そうだよね」


 そう言う割に、素直の表情は晴れやかだった。


 貞彦に同意するのであれば、もっと率直に怒りそうなものだ。


「なんだか、スッキリした顔をしてるな」


「見て見て。お兄ちゃんから珍しく連絡がきたんだよ」


 素直ははしゃぎながら、自らのスマホを貞彦に見せた。


 正からのメッセージだった。


「『今度の休みに、久しぶりにどっか行くか。食べたいものを考えておいてくれ』か。良かったじゃないか素直」


「うん! せっかくだからうんと高い物を頼んじゃおっかなー」


 素直は太陽のようにニコニコとしていた。


 早く落ちていく夕暮れ時に、また新たな光が昇ったようにすら見える。


 正と素直のわだかまりは、完全に溶けたわけではないのだろう。


 でも、ほんのちょっとだけ前に進んだ気がする。


 止まっていた時間を、取り戻していくことにも時間がかかる。


 その一歩を、踏み出せたように感じた。


「良かったな。素直。お前が嬉しそうにしていると、俺もなんだか嬉しくなってくるな」


「貞彦先輩が素直だ! 明日はきっと槍が降るね」


「世界滅亡レベルなんだな」


 楽しく会話をしていると、突然素直がよろけた。


 慌てて支える。脱力しているようで、重みのほとんどが貞彦に寄りかかる。


「大丈夫か?」


「大丈夫だけどちょっと疲れちゃったみたい」


 素直は眠そうな表情をしていた。


 笑って、泣いて、戦って。拗ねて、意地を張って、自分を貫いた。


 そんな怒涛の一日だった。


 疲労を感じるのも無理はないと思った。


「いいよ。お前は寝てろ」


「わわっ」


 貞彦は、素直をおんぶした。


 暴れられないか心配だったが、素直はすんなりと受け入れた。


 軽く、華奢な体。


 どこにあれだけの力があったのだろうかと、不思議でしょうがない。


 素直は、おんぶされることを受け入れて、貞彦に完全に身を委ねた。


「昔はよくお兄ちゃんにおんぶされてたなあ」


 素直は懐かしそうに言った。


「お兄ちゃんじゃなくて、残念だったか?」


「ううん。そんなことないよ」


 素直は貞彦の首にしがみつくように、手を回した。


 落ちないように。


 離れてしまわないように。


「貞彦先輩だからいいんだよ」


 声色から眠気が伝わってくる。


 子供みたいに、信頼に溢れた甘えるような色が含まれていた。


 貞彦は、そんな素直のことを心地よく思った。


 穏やかな呼吸音。寝息が聞こえる。規則正しく上下する素直を感じる。


 起こさないように、貞彦はゆっくりと歩き出した。


 素直が寝ていることを確認し、貞彦はほっと息をつく。


 悪いようなことをしたり、絶望したり、叱咤したり、本当に目まぐるしい一日だった。


 それでも、結果としては満足のいくものが得られた。


 正しさの正体は、結局のところわからない。


 それぞれに応じた正しさがあって、何らかの指標では決められない正義がある。


 これでいいのかどうかなんて、わからない。いつも通り、わからない。


 ただ、素直がそうであったように、貞彦も自分のためにやることをやった。


 それだけのことだと思った。


 その結果、勝負には勝つことができた。


 いいか悪いかじゃない。


 ただ、嬉しかったのだ。


「素直と一緒に戦えて、俺は嬉しかったよ。ありがとう。それと、お疲れ様」


 素直が起きていたら、きっとまた珍しがるのだろう。


 そんな反応も楽しいなと思いつつ、貞彦は素直の家に向かった。

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