Empty nest syndrome

閑話 さよならを思う時

「無理を言って、申し訳なかったですね。唐島さん」


 相談支援部室には、澄香とカラスの二人きりだった。


 そこら中の灯はすでに落ちて、校舎は夜で満たされている。


「別にいいってことよ。面白い物も見れたしな」


 カラスは体育祭の中で、密かに撮っていた写真を楽しそうに並べていた。


 個人種目で、瑛理が側転をし出して失格になった場面、移動式玉入れで、怒った生徒たちの間で玉当て合戦へと変化したハプニング。


 騎馬戦で、素直が澄香を破った瞬間など、名場面集が作られていた。


「唐島さん一人が、なんだか悪者のような扱いになってしまったことだけは、心残りです」


「あー? んなことはどうでもいいって。いい人ぶるってのは性に合わねえのよ」


「良い人や良いことについての信念を、きちんと持っているからこそ、言えるセリフなのかもしれないですね」


「白須美さんは相変わらずだねえ。斜に構えている俺がバカみたいじゃん」


「それで、吉沢さんは許してくれたんですか?」


「許してくれたんじゃね?」


「疑問形、ですか」


「真実を話して謝罪した瞬間、色んな感情がないまぜになりすぎたんだろうな。気絶した」


「あらあら」


 澄香は、今までに交わした契約書を眺めていた。


 愛おし気に指を置いて、時折小さく笑いだす。


 その時の思い出が、無機質な紙から流れ出ているのかもしれない。


「カラスさんから見て、あの二人をどう思いますか?」


「俺の意見を参考にするのか? なんでも自分で決める白須美さんが」


「人の意見を聞いた上で、自分の考えと折り合いをつけて、決める。それは人の意見に従うということではないでしょう。人の話を聞いた結果、考えてその意見が良いと思えば従うだけです」


「めんどくさい人だな、ほんと」


 カラスは、貞彦や素直について考えた。


 未熟な面もあるが、人の言葉にしっかりと耳を傾けたり、自分で考えて何かしらの答えを出すことはできる。


 人に頼ることも、できるようになってきたように感じる。少なくとも、奴らが入部してきた時に比べると、段違いに成長していると言える。


「ま、俺は直接関わっていたわけじゃねえから参考程度だけどな。もう、いいんじゃねえの?」


 澄香は押し黙った。


 カラスの意見に対して、質問を考えているのだろうか。


 それとも、反論をしようとしているのだろうか。


 澄香の思考がわからない以上、カラスは澄香の答えを待ち続けた。


「私も、同じ意見です。貞彦さんも素直さんも、以前よりももっと立派になられたように感じました」


 澄香はとびきりの笑顔を見せた。


 なんの憂いもないような笑み。


 後輩たちの成長を、本気で喜んでいるのだろう。


 だからこそ、気にかかる。


 それならなぜ、澄香の瞳から雫が零れるのだろうか。


「俺が言っちまうのもなんだけど、そんなに深く考えなくてもいいんじゃないか?」


「いえ、そういうわけにはいかないのです。私がお節介を重ねる時期は、もう過ぎたということです」


「なんか昔の白須美さんと随分と違ってるな」


「空の巣症候群という状態を、知っていますか?」


「子どもが家を出たり結婚して出て行った後に、憂鬱を感じるってやつか?」


「ええ。子供が巣立った空っぽの巣を見た親鳥の気持ちから、この名前がつけられたのです」


「今の白須美さんは、そんな感じってわけか。ってか、自分でわかるのか」


「わかっていることと、防げることとは別問題です。私は嬉しいと同時に悲しみを覚えています」


「別に、部活動を引退するってことが、全ての終わりってわけじゃねえと思うけど」


 カラスは、本当に何気なく言った。


 なぐさめるつもりで、軽い気持ちで。


 しかし、澄香にとって、相談支援部から引退するということの重みは、カラスには想像もつかないほどだった。


「冗談でも、誇張でもなく、すべての終わりです。それこそが私の目的でもあるのですから」


「その目的って奴を、俺には教えちゃくれないのか?」


「乙女の秘密です」


「乙女ってたまじゃないよな」


「オトメさんって言うと、なんだかおばあ様みたいじゃないですか?」


「お、トメさんじゃねえよ。誤魔化そうとするんなら、もういい。とりあえずは聞かねえよ。俺には関係ないしな」


「はい。そうして頂けると、助かります」


 澄香は、仲よくしているようで、実のところ、本当に心を許しているわけではないように思える。


 ふんわりと優しさで包み込むけれど、その中心には誰も入れさせない。


 こんなにも人と関わっているのに、実のところ、彼女は孤独であるように思える。


 自身の信念で、孤独であるように自らを律しているように感じた。


 そうしている理由が、きっと目的と関係あることなんだろうと、カラスは思った。


「最後に、興味本位で聞いておくよ。白須美さんが巣立ちを促すのは、一体いつにするんだ?」


 澄香は、迷いなく口を開いた。


 初めから、澄香は決めていたようなあっさりさだった。


「次の文化祭での依頼が、私の相談支援部としての最後の仕事となるでしょう。ちょうどキリもいいですから、ね」


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