第17話 優しさよりも優しく

 貞彦は、素直を探して、校内を歩き回った。


 各教室には、まばらに人が集まっている。


 なんとなく、人気のないところに行っているような気がした。


 あてずっぽうで、相談支援部室まで移動する。


 普段は閉ざされている、扉が開いたままになっていた。閉め忘れるなんて、慌てていたのかもしれない。


 バレないように身をかがめ、隙間から部室を覗く。


 予想通り、素直と善晴が話をしているようだった。


 内容はよく聞き取れないが、一方的に善晴が話をしているようだった。


 相手を諭すような、穏やかな声色をしている。言い争いをしているというわけではなさそうだった。


 内容がわからない以上、貞彦は手を出すわけにはいかない。


 やっていることが光樹と変わらないなと、貞彦は苦笑した。


 話は終わり、足音が近づいてくる。


 やばいと思った時にはすでに遅く、気が付けば善晴が部室から出てきた。


 善晴は貞彦のことを見下ろしていた。


 冷たく、凍り切ったような瞳には、心底の侮蔑が内包されているように感じる。


 わずかに心が傷つけられる。明らかな敵意は、それだけで人に傷を負わせる。


「久田先輩か。盗み聞きとは、あいかわらず卑怯な輩だな」


「安心しろよ。俺には何も聞こえていない」


「ふん。なんでこんな奴に素直さんが……」


 善晴は舌打ちをした。言いすぎてしまったと、後悔しているように感じる。


「なんにせよ、決着がつけば全てが終わるんだ。素直さんは悪の呪縛から解放されて、自由になれるんだ」


「なんだ、もう勝った気でいるのか?」


「残念ながら、実力差は明白だったな。前回の模擬戦だって、紅組は手も足もでなかったじゃないか」


「ははは。おいおい、勝負において最も危険な場面っていつか、お前は知っているか?」


「なんだ、負け惜しみか?」


「勝利を確信した瞬間だよ」


 貞彦は、澄香の言ったことを丸パクリした。


 それでも善晴には充分に効果的だったらしく、息の詰まったような表情へと変わっていた。


「……僕たちは負けない。覚悟しておくんだな」


 善晴は、捨て台詞を吐いて去って行った。


 どっと疲れを感じたが、自分のやることはまだ終わっていなかった。


「素直」


 貞彦は素直を呼んだ。


 窓の外を眺めていた素直は、ゆっくりとこちらを振り向いた。


 表情は乏しく、冷たく閉ざされた扉のようだった。


「貞彦、先輩」


「飯も食ってないから、心配したんだぞ。ほら、早く戻って次に備えようぜ」


「戻れないよ。今更わたしはみんなに合わす顔がないんだよ」


「精一杯がんばってたじゃないか」


「がんばったところで負けちゃったら意味がないよ」


「まだ終わったわけじゃない。午後の競技で勝てばまだ、逆転は充分可能だ」


「もう無理だよ。わたしが……わたしが情けなかったからこのままじゃもうどうしようもないんだよ」


 自分を責めている素直は、まるで子供が駄々をこねているように感じた。


 負ける理由を自分に委ねて、全てを放棄しているように思える。


 現実を見ないことで、諦めてしまうことで、苦しみから遠ざかろうとしている。


 その姿勢が、間違っているだなんて思えない。


 苦しみや悲しみを、真正面から受け止めきれる人なんて、ほとんどいやしない。


 逃げることだったり、見ないふりをすることで、人生をよりよくしていこうとする者たちもいる。


 夢の世界に逃げ込むことで、自分自身を分かつことで、自分に適する生き方を模索している奴ら。


 世界という変化し続ける形に適応するのは、いつだって自分自身だ。


 そう考えた時、貞彦は素直に対して何も言えなくなっていた。


 今の素直は、押し寄せる重みに対して、適した在り方をとっているのだ。


 澄香ならきっと、そんな素直を肯定するだろう。


 悪いことではないと言って、素直は素直自身でいいんだと、きっとそう言って包み込むだろう。


 憧れている澄香先輩なら、きっと素直の心を認めて上げられるはずだ。


 貞彦は、素直にそう言ってあげようとした。澄香がするように。


「……お兄ちゃん」


 素直は俯き、ぼそりと言い放った。ここではないどこかに、言葉を発しているように感じた。


 脳裏によぎったのは、素直と正のやりとりだった。


 過剰な気遣いを見せる正に、怒りを露にした素直。


 優しくすることと、傷つけないことは一緒なのかと問う素直。


 貞彦は、素直が求めることに近づいた感触を得ていた。


 甘えたかったんじゃない。優しくされたかったんじゃない。


 生きていれば、必ずどこかに傷はついていく。


 時に大きな怪我となって、一生残る傷跡となってしまうのかもしれない。


 その傷跡に、触れないで包み込むこと。それを優しさと呼ぶのかもしれない。


 けれど、傷跡から感じる痛みだって、必要だ。


 それも含めて、自分自身の一部なのだ。


 貞彦は一歩踏み込む覚悟を決める。


 無礼にも、無作法にも、素直の傷口に塩を塗り込んでやることにした。


「甘ったれんな!」


 思った以上の大声で、素直は身を震わせた。


 素直は怯えた瞳で貞彦を見据える。


 これ以上怖がらせることに対し、貞彦は抵抗を感じた。


 それでも、今だけは前に進む。


「吉沢に何を言われたか知らないけど、そんなことは気にするな。正さんとうまくいかなくたって、それが今の現実なんだ! 良いか悪いかじゃない! それをわかった上でお前がどうしたいかを決めるんだ」


「わかんない……どうしたらいいかわかんないよ」


「俺だってわかんねえよ。だからこそ聞かせてくれ。素直はこの勝負に負けたいのか?」


「……負けたくない。勝ちたいよ。でも……」


「結果はやってみてからじゃないと訪れない。だから願いしか聞かない。素直はこの勝負に、勝ちたいんだな」


「……うん。勝ちたい。わたしは勝って自分が間違っていないんだって信じたいよ」


「だったら――俺がなんとかしてやる!」


 貞彦は言い放った。


 虚勢だ。はったりだ。自分でもそう思う。


 勝利を約束できるほど、貞彦は自分自身を信じてはいなかった。


 けど、そう願わない限り現実はやってこない。


 叶えたい願いがあって、満たしたい思いがあって、人に相談をする。少しでも、自分の願いに近づくために。


 それは求めていた物とは違っていたかもしれない。完全に、誰かの願いを叶えられていたかなんて、自信はない。


 ただ、今までのことが決して無駄じゃなかった。それだけはわかる。


 どいつもこいつも、結構自分勝手な奴ばかりだった。


 だからきっと、願いは完璧には叶わない。


 それでいいんだ。


 自分のためだけにがんばったことで、最高の結果になれば言うことはないんだ。


 願いを望むことと、願いを委ねることを一緒にしてはならない。


 あくまで、願いは自分のために願うべきだ。


「勘違いするなよ素直。俺は素直のためにやるんじゃない。あくまで、俺は俺のために勝ちたいと思った。やりたいことをやりたいようにしたいと思っただけだ。素直だってそうだろ」


 素直の瞳に涙が滲む。


 頑なに動かなかった素直は、駆けだして貞彦に近づく。


 まるでタックルのような衝撃を、貞彦は受け止めた。


「貞彦先輩。お願いがあるんだ。そうしたいと思ったら叶えて欲しい」


「なんだ? 言ってみろ」


「泣きたいから貞彦先輩の胸で泣かせて」


「ああ、いいよ」


「頭なでて。できれば優しくがいいな」


「お安い御用だ」


「わたしたちは勝てるって言って。そうすればきっと信じられるから」


「俺たちは勝てるさ。大丈夫だ」


 素直の頭を撫でる。柔らかな感触。撫でている自分にも、なんだか心地よさが分け与えられているようだ。


 素直は、声を上げてわんわん泣いた。


 嫌なことを全部、涙と一緒に流してしまうために。


 貞彦は、素直の頭を撫で続けた。


 素直が泣き止むまで、本当の兄のように、ずっとそうしていた。






「……なに? 俺と姫奈のやりとりを見て、正さんのことを思いだしちゃったのか?」


 素直は泣き止んだ後に、どうして昼食の場から逃げ出したのかを語った。


 色々な理由はあったが、それは貞彦と姫奈のせいだったらしい。


「うん……お兄ちゃんに甘えられて姫奈ちゃんはいいなーって」


「なんだか最近な、甘えるってレベルじゃないような気がするんだ」


 貞彦は、最近の姫奈の様子を思い返した。


 掃除のために部屋に勝手に入るだけならともかく、片付けや整頓も完璧にされている。まるで家宅捜索をされているようだ。


 口うるささに拍車がかかっていて「今日は誰と一緒にいたんですか?」とにらみつけるように聞いてくることもある。


 もはや妹気どりではない域にまで達しているように感じ、家に帰ることをためらってしまう。


「姫奈ちゃんもまだ小学生なんでしょ。多感な時期だから仕方ないよ。まだまだお兄ちゃんが大好きな時期なんだよ」


「やっぱり、母親がいないってこともあって、無理してる部分はあるのかもしれないな」


「そうなの? そういえば貞彦先輩の家族状況って全然知らないや」


「まあ、言ってないからな。でも今言うことじゃないから、この話題はまた今度な」


 貞彦と素直は、グラウンドに戻る途中である。


 素直は戻ることを決めていたが、少しだけ臆していた。


 また以前のように、みんながやる気を失ってしまっているんじゃないかと、恐怖していた。


 貞彦も同様の心配をしていたが、素直を安心させるためにも、不安を顔に出さないように努めていた。


 グラウンドに戻ると、まりあが謎の儀式をしていた。


 なぜか紫兎がBGMとして歌い、まりあが紅組の全員に向かって何かポーズをとっていた。


 両手でわっかを作り重ね合わせている。


 おそらく示しているのは、ハートマーク。


「あっ素直ちゃん! さっきは惜しかったねえええええ!」


 まりあはいきなり、素直に抱き着いた。


「まりあ先輩!? 何をやっているのかな?」


「素直ちゃんたちがとってもがんばってくれていたから、その気持ちを忘れないように、みんなに愛をおすそわけしていたんだよ。だからみんな、元気元気!」


 貞彦と素直は、周囲を見渡した。


 まりあに召集された紅組メンバーは、決して闘気を失ってはいなかった。


 負けたことを悔やんではいるが、まだ諦めちゃいなかった。


 貞彦は笑みを浮かべた。


「なっ、大丈夫だろ?」


「うん。そうだね。午後はみんなでリベンジするぞー!」


 素直が両手を振り上げると、呼応した紅組メンバーから歓声が上がった。

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