第16話 誰だその美人

「ごめん。負けちゃったよ」


 試合終了後、素直はそう言って笑っていた。


 惜しかったなとか、あと一歩だったよなとか、ありふれた言葉で貞彦は素直を慰めた。


 点差は二三〇点に広がる。希望を持ち続けるには、少々厳しい点差と言える。


 けれど、消沈しているわけにはいかない。


 どれだけ差をつけられようとも、負けるわけには行かないのだ。


 首を振り、両頬を叩く。湧き出てくる弱気を吹き飛ばそうと、貞彦は気合を入れた。


 ひりひりする頬の痛みを我慢していると、背後から気配を感じた。


 振り向くと、背が高く、凛とした佇まいの女性が、貞彦を見つめていた。


「あれ? お前、なんでこんなところに……」


「お前なんて、水臭いですねさだくん」


 女性はからかうように貞彦に告げた。


 相変わらず、瞳を尖らせたままで。






「久田。たまには一緒に弁当でも食おうぜ……って誰なんだその美人?」


 黒田は、貞彦の隣に座る女性を見て、目を丸くしていた。


 制服を着用していないということは、外部の人間であることは間違いなさそうだった。


 真っすぐに伸びた背筋から、育ちの良さが伺える。凛とした清楚な佇まいは、百合の花を想起させた。


「ああ、こいつは俺の」


「もしかして久田の母ちゃんか?」


 食い気味に黒田は口を挟んだ。


 その女性は母と言われたことが気に食わなかったのか、ますます瞳を尖らせた。


「違うって、こいつは俺の」


「はじめまして。私は姫奈ひめなと申します。さだくんとは、とても深い仲なんですよ」


 姫奈は、遮るように言い放った。


 黒田は衝撃に身を震わせていた。


 てっきり澄香か素直とお付き合いしているものかと思っていたが、目の前の美人とお付き合いをしていると知った。


「ひ、久田。俺はお前のことを信じてたのに……ちくしょう!」


「いやだから勘違いするなっての! こいつはな」


「貞彦さん。お昼休みくらいは、休戦と致しましょう」


「さだひこ先輩! お昼一緒に食べましょう。ウィンナーもありますよ」


 澄香とカナミがやってきたおかげで、またしても貞彦のセリフは中断された。


 姫奈は、一瞬険しい表情をしたかと思えば、次の瞬間には涼し気に笑顔を浮かべた。


「さだくんがお世話になっております。私は姫奈と申します」


「ご丁寧にどうも。私は白須美澄香と申します」


「えっと、私は天美カナミって言います。ところで、この人はさだひこ先輩とどんな関係なんですか?」


「さっきから全然言わせてもらえないけど、こいつは」


 貞彦に二の句を告げさせないように、姫奈は貞彦の腕に抱き着いた。


「私は、さだくんとは一つ屋根の下で暮らしているんですよ」


『えー!?』


 黒田とカナミの声が重なった。


 思った以上に濃密な関係なんだと知らされ、二人はよからぬ妄想に支配された。


「誤解を招く言い方をするな! 姫奈は俺の家族だよ」


「そうだったのか。にしてもびっくりしたな。久田にこんな綺麗な姉ちゃんがいるなんてな」


「おそらくですが、姫奈さんは貞彦さんの、妹さんですよね?」


『うっそー!?』


 またしても声が重なった。


 すらっとした長身に、大人びた雰囲気は、貞彦よりも年上に見える。


 まりあと姫奈のどちらが年上かと問われてば、十中八九姫奈が選ばれると確信がもてる。


「バレてしまいましたか。改めまして、私は久田姫奈と申します。小学六年生です」


 姫奈の発言に、場の空気は凍り付いた。


 せいぜい年の差があっても、一つや二つ程度だと思ったが、姫奈は小学生だというのだ。


「危ないところだった。俺は危うく、小学生をナンパしちまうところだった」


「お前はほんとそればっかだな! というか、姉だったとしても人の家族をナンパすんな!」


「まあまあ、お昼休みは限られていることですし、とりあえずは皆さんでお昼に致しましょう」


 澄香がそう促し、一同は昼食を摂ることにした。


 素直も合流する。気丈に振る舞ってはいるが、どうにも歯切れが悪いように、貞彦は感じていた。


 貞彦の隣には、姫奈とカナミが陣取った。


 貞彦が何かをするたびに、口うるさく姫奈が注意を促す。妹というよりは、母親のような振る舞い。


 あまりにも口を出されるから、貞彦は動揺し、キャベツを服にこぼしてしまった。


「もうっ。相変わらずだらしがないですね、さだくんは」


 姫奈はすばやくキャベツを口に含み、汚れた個所を除菌シートで拭いていた。


「姫奈はほんと口うるさいな。俺は子供じゃないっての」


「大人だというのであれば、ダメな大人ですね。これからも一生、ダメな大人なんですね」


「もうすでに一生を確定するな」


「まったく、親の顔が見てみたいです」


「毎日見てるだろうが」


「やーいお前の父さんでべそ!」


「お前それ父さんが聞いたら泣くからな!」


「ダメな大人で、でべそな父親を持つさだくんは、ほんとどうしようもないですね。私がこれからも面倒を見て上げないといけないなんて」


「姫奈はさっさと相手を見つけて結婚でもして幸せになれよ」


「私を見捨てるって言うんですか!?」


「見守るっつってんだよ」


「姫奈はまだ小学生だから、難しいことはわかりませーん」


「急に子供ぶるな」


「それにしてもさだくんの近くには、随分と綺麗な方がいるんですね」


「唐突な話題転換だな」


 姫奈は鋭い目で周囲を見渡す。


 澄香、素直、カナミは二人のやりとりを見つめていた。兄妹間特有の会話に、なかなか入っていけないようだった。


「姫奈ちゃんは、さだひこ先輩とは仲がいいんですねえ。兄妹として」


 カナミは無理やり話題に食い込んでいった。


 微妙に棘のありそうな物言いに、緊張が張り詰めたように感じる。


「ええ。私とさだくんは、運命の糸で繋がっているのですから」


「繋がっているのは、血縁関係だけどな」


「血は水よりも濃いと言います」


「もしさだひこ先輩といい感じになったら、姫奈ちゃんはカナミの妹にもなるんですね。お姉ちゃんって呼んでくれてもいいんだよ?」


「はい。天美さん」


「ちょっと遠い!」


「兄妹というのは、生まれた時から一緒の関係なんです。それはもはや、恋人以上夫婦未満といった関係でしょう」


「どこに位置付けられてんだよ! もう俺には兄妹ってなんだかわからなくなってきたぞ」


 アホらしいやりとりは続いていく。


 澄香は微笑みながら話を聞いていたが、心配なのは素直だった。


 貞彦と姫奈を見つめ、一言もしゃべらなかった。何より、食いしん坊気味なくせして、弁当に一切手をつけていないことが気にかかった。


「わたしちょっと行ってくるね」


 素直はそう言って席を外した。


 その直後、善晴が目の前を通り過ぎて行った。


 何気なくスルーしていたが、わだかまりは残り続けていた。


 五分以上経っても、素直は戻ってこない。


 貞彦は落ち着かずに貧乏ゆすりが出ていて、姫奈に注意されていた。


「貞彦さん」


「澄香先輩、どうかしたのか?」


「いえ、私は貞彦さんのしたいようにすればいいと思います」


 澄香には見透かされていたようだ。


 なかなか戻ってこない素直のことで、頭がいっぱいになっていた。


 けれど、彼女をそっとしておく方がいいのかもしれないという、葛藤から動けないでいた。


 でも、澄香はあくまで貞彦のやりたいことを尊重していた。


 どうすればいいのかでなく、どうしたいかで動こう。そう思えた。


 貞彦は立ち上がった。


「悪い、ちょっと行ってくる」


「どこに行くんですか? 姫奈も一緒に行きます」


「あっずるーい。カナミも一緒にいく」


「……いや、トイレだから」


 こう言えば、二人もさすがに遠慮するかと思った。


「やれやれ。この年で、さだくんのトイレ介助をしなければならないとは」


「さだひこ先輩のおむつなら、カナミは替えてもいいですよ」


「さすがに引きさがれよ! 黒田、この二人とじっくりお話をしていてもいいぞ」


「マジか! 久田はまじぱねえな」


 ぎゃあぎゃあ喚く二人から背を向けて、貞彦は素直のことを探しに行くことにした。

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