第13話 悪の組織流洗脳術

 体育祭の前日、グラウンドには全学年の生徒が集められていた。


 今から行われるのは、体育祭に向けた決意表明だ。


 各学年の代表が、それぞれ白組と紅組に分かれて、体育祭に関する決意表明を行う。学生たちの士気を向上させることを狙いとして、伝統となっている。


 白組と紅組が交互に行うのだが、紅組はその方法を拒んだ。


 白組が決意表明を全員が行った後に、紅組が決意表明を行う。そういった形を取りたいと申し出があった。


 現行生徒会は協議の結果、その申し出を受け入れた。


 まずは白組の決意表明からだった。一年生の善晴が壇上に立つ。


 善晴は緊張の面持ちで周囲を見渡した後、学業とスポーツの両立は、学生生活の本分であり、全力で取り組む姿勢は尊いものであると語った。


 一年生とは思えない雄弁な様子に、周囲の空気は荘厳なものへと変わる。


 二年生の代表が決意表明を終えて、三年生の番となった。


 壇上には、生徒会長の峰子が昇った。


 普段の穏やかな笑みではなく、凛とした表情で視線を全体に向ける。


 真っすぐな立ち姿。一糸の乱れもない佇まいは、生徒会長としての威厳を漲らせていた。


「明日は待ちに待った体育祭です。この日のために、皆様方は日夜練習に励んできたのではないでしょうか。


 あくまで勝ち負けというのは、便宜上のものでしかありません。


 自らの知恵を用い、能力を最大限に発揮する。


 自分自身を学生生活の中で表現するということが、真の目的であるように思います。


 自身を表現し、戦い抜いた記憶こそが、皆様方の人生にとって、かけがえのない経験となるのですから。


 ただし、怪我には気を付けてくださいね。


 スポーツマンシップに則り、白組も紅組も、正々堂々と戦い抜きましょう!」


 統一された拍手が起きる。


 生徒会長らしい立ち振る舞いに、誰しもが尊敬の念を抱いていた。


「続きまして、紅組の決意表明となります。どうぞ」


 普通であれば、一人ずつが壇上に立つのが通例だった。


 しかし、その通例は裏切られる。


 数人が駆け出し、勢いよく壇上に登った。


 ボーリングのピンのように並び立つ、数人の生徒たち。


 その先頭には、風紀委員、副委員長のまりあが立っていた。


 その表情は、いつものように慈愛溢れる笑顔はなかった。


 どこか張り詰めているようで、下がった瞼からは切なさが生まれてくる。


 まりあは、震える手でマイクを握った。


「みなさん。こんにちわ。三年生の紅島まりあです……」


 まりあの言葉は、ここで途切れる。


 数秒が経過しても言葉を紡がないまりあに、心配の声が上がる。


 混乱が場を支配する最中、まりあは突然くずれ落ちた。


 どよめきが起きる。何が起きているのかわからず、教師たちも動けないでいた。


 我に返った教師たちが壇上に駆け付ける寸前、まりあは再びマイクを握った。


 まりあは泣いていた。


「私、とても不甲斐なく思っているんだ。この前の模擬戦で負けちゃって、それでみんなやる気を失くしちゃったよね……私の愛が、足りなかったからなんだって、ずっと思ってた……ごめんなさい」


 紅組のメンバーは動揺に揺れていた。


 みんなの天使、まりあが壇上で泣き崩れている。


 模擬戦で負けたことを悔やみ、自分のせいだと懺悔に心を痛めている。


 張り詰めた空気は、冷気をまとっている。罪悪感に押しつぶされそうだ。


 紅組のメンバーは、自分たちの不甲斐なさを責めていた。


 自分たちの至らなさから、まりあのことを悲しませてしまったのだと。


 消沈した空気に満たされた中、まりあを抱き起してマイクを受け継いだ者がいた。


 ネコとカナミだった。


「……二年生の猫之音ネコ」


「一年生の天美カナミでーす!」


「……このまま、負けっぱなしは悔しい」


「そうだよ! せっかくみんなでがんばる体育祭だもん。せっかくだから、勝ちたいよね!」


 大衆の中に、心を動かされた者がいた。


 今まで眠っていた闘志が、呼び覚まされているように思える。


 どこからか、力強い歌が聞こえてくる。


 静かな闘志の詰め込まれた、騎士たちを歌う闘争歌。


 歌っているのは、うさ耳パーカーのひねくれ少女、紫兎だった。


 せりあがる熱情。思い出していく本能。気持ちが一つになっていく。


「……もしここで負けたら、これからもずっと、思い出す。この時は負けたんだなって思い出をずっと」


「勝ち負けが全てじゃないかもしれない。でも、カナミはこのみんなと勝ちたいんです!」


 負ける悔しさが、反発心を呼び起こす。


 求められる言葉に、嬉しい気持ちが伴い、それが力になる。


 散漫だったチーム意識が、ようやく一つにまとまろうとしていた。


 貞彦、黒田、太田の三人が、壇上で円形に肩を組む。


 獣のように、その背後から何かが飛び出し、男子たちの肩に立ち上がった。


 一般生徒と比べて、低めな身長。可愛らしいが子供っぽい容姿。カールしたくせっ毛が風に揺れる。


 それでも、その瞳は誰よりも強さを秘めていた。


 素直は誰よりも高い位置で、目一杯息を吸い込んだ。


「紅組のみんなー! 一年生の矢砂素直です! わたしはもう負けるのは嫌だ! せっかくの体育祭を悔しさで飾りたくない! みんなもそうでしょ?」


 メガホンを持って、素直は目一杯叫んだ。


 問いかけに呼応して、所々で声が上がる。


 負けたくない。


 本当は悔しかった。


 まりあ先輩を悲しませたくない。


 様々な声が湧きだつ。思いが共鳴し、どんどんと士気が上がる。


 紅組のボルテージは、上昇し続けていた。


「勝っても負けてもいいなんて嘘っぱちだよ! わたしたちは負けない! そして――最高の青春を勝ち取っていこうよー!」


 歓声が上がる。


 死んだようだった者たちに、復活の息吹が吹き荒れる。


 紅組の心は一致する。


 体育祭で勝利したい。


 ただその一心に、願いは集約されていた。


 怒号のような声を浴びて、素直は壇上で、満足気に笑っていた。






「これで貸しが一つだからね、貞彦」


「ああ。助かったよ、紫兎」


 紫兎は久しぶりにギターを抱えていた。


 紅組の気力を取り戻すために、紫兎に歌って欲しいと貞彦は頼んだ。


 自分のために歌うわけではないと、初めは拒まれた。


 なかなか聞き入れてもらえなかったので、うっかり「なんでもする」と言ってしまったことで、紫兎は渋々ながら了承してくれた。


 念のため、何をして欲しいのか聞いても、紫兎は「内緒」と怪しい笑みを浮かべるだけだった。早まった決断だったのかもしれない。


 紫兎の願いに怯えていると、カナミが飛びついてきた。


「さだひこ先輩。私にも感謝してくださいね」


「ああ。ありがとう」


「ありがとうよりも、もっと嬉しい言葉が欲しいです」


「……可愛いぞ、カナミ」


 カナミはブルブルと身を震わせていた。


 恍惚とした表情をしている。とりあえずとても嬉しいらしい。


「さだひこ先輩に可愛いって言われて、とても嬉しいです」


「今回は、代わりにデートしろとか言わないんだな」


「もちろんしてくださいって言いたいところですけど、まずは体育祭で勝ってからですね。デートは成功報酬でいいですよ」


 そう言って、カナミも去って行った。


 協力を頼んだ手前、素直は何も言わなかった。


 何か言いたげな顔をしているが、必死に我慢しているようだった。


「貞彦ちゃん、素直ちゃん、おつかれ様」


 続いて、まりあが話しかけてきた。


 涙はすっかりと乾いて、いつもの聖母のような笑顔は健在となっている。


「まりあ先輩もありがとう。先輩の演技は、堂に入っていて、すごかったと思う」


「演技? 私は演技なんてしてないよ?」


「そうなの!?」


「うん。この前の模擬戦は、私の愛が足りなくて負けちゃったんだって、ずっと悔やんでいたんだ……」


 まりあはくすんとまた涙を浮かべた。


 壇上で浮かべたあの雰囲気は、演技ではなくマジのものだったらしい。


 けど、と貞彦は思う。


 本気の本気で悔しくて、悲しい気持ちがあったから、みんなの心は動かされたのかもしれない。


「私は、みんなが愛を持ってがんばってくれたらいいなって思うんだけど、気が変わったよ」


 まりあは、貞彦と素直の肩に手を置いた。


「二人とも、絶対に勝とうね。愛してるよ!」


 貞彦と素直は、顔を見合わせた。


 その瞳に、わずかの迷いもない。


『はい』

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