エピローグ 夏の終わりに

「みんなのおかげで、ライブは無事に成功できた。本当にありがとな。かんぱーい!」


『かんぱーい!』


 或が乾杯の音頭を取ると、みんなは一斉にグラスを掲げた。


 ミュージックフェスティバルは無事に成功を迎えた。


『りあみゅー』のメンバーは協力をしてくれた相談支援部にお礼がいたいと申し出た。


 そういった経緯もあり、相談支援部室で打ち上げを行うこととなった。


「それにしても、湊紫兎がいきなり告白をするなんて、俺は驚いちまったよ」


「そうだね。打ち合わせにはなかったことだから、どうなることかとヒヤヒヤしたよ」


 紫兎は足を組みながら、クッキーを頬張っていた。


 普段の紫兎とあまり変わりないようには見えたが、心の内はわからなかった。


「とはいえ、楽しくライブが出来たんだから、良かったんじゃないかな」


「まあそうだな。だけど、これで終わりじゃないからな。情熱が続く限り、俺たちは疾走を続けていこうじゃねえか」


 或は熱く語っていた。


 少しバカなのかもしれないが、何事にも情熱的なところは嫌いにはなれなかった。


 じゃれつき始めた或と満を横目に、紫兎の様子を改めて観察した。穏やかにアイスコーヒーを飲んでいる。


 露骨に見すぎたのか、目が合った。


「何か用かな? 私をフッた貞彦くん」


「いや……というかなぜ、くん付けになってるんだ?」


「それは気のせいじゃないかな。貞彦さん」


「どんどん距離が出来ている!」


「というか、君は誰ですか?」


「他人!?」


 貞彦を弄れるくらいには、紫兎は元気なんだろうとは思える。


 けれど、紫兎の言葉を全て信用するわけにはいかない。心の内では、何を考えているのかはわからないからだ。


「冗談はさておいて。ありがとう貞彦。君のおかげで、けっこう楽しめたよ」


 紫兎はにっこりと笑顔を向けた。


「俺の方こそありがとう。紫兎の歌声は凄かった」


「思わず、恋でもしちゃいそうになったのかな?」


「そんなわけないだろ。なんだか紫兎のいいようにされているみたいで、気に食わないしな」


 本当は、紫兎と恋人になることもいいかと揺れていたが、貞彦は少しだけ強がった。


「そうこなくちゃね。何事にも囚われない。そんな自由さこそが、私の求めるものなんだから」


 紫兎は満足気に笑う。


 その姿はペシミストを気取るには、あまりにも眩し過ぎる。


 貞彦は、自分の見解を伝えることにした。


「お前って実は、ペシミストなんかじゃないだろ」


 貞彦が言うと、紫兎は意外そうな表情をしていた。


「どうしてそう思うんだい?」


「悲観的とか言う割には、誰よりも人は自由であるべきだって願っている。ただのひねくれた、理想主義者だろ」


「私が理想主義者ねえ。くくっ。おもしろい発想だね」


 紫兎はくぐもった声で笑った。おかしさを精一杯抑えているような笑い方。


「まあ、貞彦がそう思うんなら、それでいいんじゃないかな?」


「ああ。そうだな」


 貞彦はそう言って、机に置いていたコーラに口をつけた。


「あれ?」


 コーラだと思って飲んだら、中身はアイスコーヒーだった。紫兎の飲んでいたドリンクと、間違えてしまったらしい。


「ごめん。間違えて紫兎の分を飲んじまった」


「……そのアイスコーヒーは貞彦にあげるよ」


 紫兎はなぜか、貞彦の方を見ずに言った。


 いつの間にかフードを被っていて、貞彦から表情は見えなかった。


「いや、それはさすがに悪いよ」


「大丈夫だよ。それはあげるから」


「それじゃあ、その代わりに俺のコーラをやるからさ」


「それもいらない」


「いや、なんでだよ」


 貞彦は思わず、紫兎の方へ身を乗り出した。


 紫兎はますます貞彦と距離を置いた。


「だって、それを飲んだら間接キスになっちゃうじゃない」


「前に間接ケツだとか言ってた奴が何を言ってるんだよ」


 貞彦が言うと、紫兎は立ち上がって逃げ出した。


 出口まで移動して、ドアノブに手をかけた。


 慌てていたせいか、フードがめくれて表情があらわになる。


 真っ赤だった。


「貞彦のバ――――――――カ!」


 紫兎はそう吐き捨てて、部室から出て行ってしまった。


「一体なんなんだよあいつは」


「貞彦さん」


「貞彦先輩」


「久田さん」


 女子三人から、非難轟々の瞳が浴びせられた。


 なんだろう。とても気まずい。


「貞彦さん。あれはさすがに」


「うん。あれはないよね」


「久田さんには、圧倒的にデリカシーが足りない」


「え、え、いや、なんというか……ごめん」


 貞彦は、わけがわからなくとも素直に謝った。


 相手を否定しない澄香にまで言われてしまったことで、貞彦は余計に縮こまった。


「久田さんのラブコメに期待していたというのに、情けない」


「習志野、なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないんだよ」


 ほとんど絡みのなかった習志野にまで責められて、なんだか納得がいかなかった。


「めんどくさいからノエルでいい。あたしは他人の恋愛やら関係性やらを眺めるのが好きなの」


「それはまた、いいご趣味で」


「ええ。だからあたしは『りあみゅー』にいると言っても過言じゃない」


「そうなのか? 音楽が好きでやっているんじゃないのか?」


「別に好きでもなんでもない」


 今明かされる衝撃の真実に、貞彦は釈然としない気持ちになった。


 また疑問が生じる。


 他人の恋愛や関係性を眺めることが好きなのに、ノエル以外のメンバーは或と満。二人とも男性だ。


 それなのに、加入しているということに、なんらかの違和感を感じた。


「その趣味とバンドに加入していることに、どんな繋がりがあるんだ?」


「ん」


 ノエルはあごで示した。


 その先では、或と満がじゃれついている。


 或はいたずら小僧のような目をして、満に抱き着いていた。


 満は必死に抵抗をしている。しかし、ほとんど抵抗とも呼べないような弱々しいものだった。


 満は真っ赤になっていた。


 その表情は、なんだか先ほどの紫兎と似ているように感じた。


 そういえばと、貞彦は思い出す。


 満には気になる人がいると言っていたことを。


「まさか……」


「ふふ。いい。とてもいいよ。美男子同士の絡みを間近で拝めるなんて。最高だわ」


 そういえば今回は、他人のラブコメを見せつけられていないなーとか思っていた。


 別にそうならないといけないわけではないのだが、なんとなく今までの流れから、結果的に見せられるんじゃないかと邪推していた。


 貞彦はようやく知ることが出来た。


 今回は少し、特殊なパターンだったんだと。


「そっちかよ!」






 波乱含みの夏休みが終わり、貞彦は通学路を歩いていた。


 その途中で、紫兎を見かけた。


 打ち上げの日以降、紫兎と出会うことはなかった。


 橋の下での単独ライブも、行っていない様子だった。


 少し心配をしていたのだが、無事を確認出来て貞彦は安心した。


 紫兎は大きなカバンを抱えていた。


 てっきりギターでも持っているものだと思ったが、違うもののようだった。


 気になったので、貞彦は紫兎に話しかけた。


「紫兎おはよう」


「どちらさまでしたっけ?」


「他人!?」


「おはよう貞彦さん」


「一歩だけ近づいた! ってか何を持っているんだよ」


 紫兎は重そうにカバンを持ち上げると、貞彦の眼前に持って行った。


「画材セットだよ」


「画材セット? 紫兎は絵も描けたのか」


「いや、全然。なんとなく始めようと思って」


 貞彦は驚いた。


 ある意味では、紫兎は歌にこだわっていたように感じる。好きで好きでたまらないからこそ、人を操ってしまうような力があることに、嫌気がさしていたんじゃないかと、貞彦は思っていた。


 だからこそ、純粋に歌が好きなんだろうと、貞彦は感じていた。


「え、なんで? バンドや歌はやめちまったのか?」


「やめたわけじゃないし、またやりたい時にやると思う」


「じゃあ実質休止みたいな感じか?」


「そんな感じだね」


 なんだかもったいないと思ったが、それも自分自身の身勝手な気持ちなんだろうと思った。


 紫兎はカバンから、ノートを取り出した。


「ほら。私の書いた絵だよ」


 少しだけ期待したが、線は定まらず、形もはっきりとしないものが書かれていた。


「へたくそだなおい」


「貞彦の生き方ほどじゃない」


「ということは、俺はすごいがんばって生きてるんだな!」


 紫兎は貞彦の隣に並んだ。


 しばらくは無言で歩く。


 まだまだ熱気は衰えず、汗が滲む。


 降り注ぐ光に呼吸まで熱くなる。


 けれど、吹き付ける風からは、涼し気な響きを感じた。


 そっか、夏が終わったんだなと、貞彦は思った。


「人生は苦しみばっかりなのか?」


 ふと貞彦がそう聞くと、紫兎はにっこりとほほ笑んだ。


 天使のような笑みだった。


「ああ。その通りだよ。絵を描いている時なんかは、特に思い通りにいかない。不自由さばかりで、嫌になってしまう」


 紫兎は人生は苦しみだと相変わらず言った。


 けれど、その内容は随分と違っていた。


 貞彦はなんだか嬉しくなった。


「そっか。その通りだな」


「だからこそ、少しでも良くなろうと願う。努力をする。時に快楽に溺れて、嫌なことから目を逸らす。そういうものなんだろうし、それでいいのかもしれないね」


 紫兎はふっと目を閉じる。


 蝉の鳴き声は、もう聞こえない。


 新しい季節の到来を感じる。


「気が向いたら、貞彦のことも描いてあげよう。まあでも、そんなにはかからないかもしれないね。私ってきっと、天才だから」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る