第16話 甘いスイーツと淡い予感

「貞彦さん。よくがんばりましたね」


「本当に凄いよ貞彦先輩。本当に紫兎先輩をバンドに参加させちゃうなんて」


 白須美家でのお泊りバーベキューを終えた翌日、紫兎は体験として『りあみゅー』に加入することとなった。


 満と或は大いに喜んでいて、貞彦はほっとした。習志野だけはいつも通り無表情だったけど。


 ミュージックフェスティバルまでは一週間を切っていた。


 今から練習して本番に間に合うのだろうかと心配だったが「なるようにしかならない。精一杯を尽くすだけだ!」と或は強気に答えていた。


『りあみゅー』はどうやらトリを飾るらしく、それだけ注目度の高いバンドなんだと、改めて理解した。


「澄香先輩がアドバイスをくれたり、バーベキューの提案をしてくれたからだよ」


「それはあくまでツールにすぎません。きちんと貞彦さんが考えて、貞彦さん自身が行動した結果なんですよ。えらいえらいです」


「子供扱いはちょっと勘弁して欲しいな」


 澄香と貞彦がじゃれあっている中、素直は少し拗ねたような表情をしていた。


「どうしたんだ?」


「いやさー。今回の件ではわたしはほとんど何もしてない気がしてさ。これではいけないなって思ってるんだよ」


 拗ねているというよりは、反省をしているようだった。


「いえいえ、素直さんが楽しんで場を盛り上げてくれたことも、きっとひと役買っているはずですよ」


「それにミミちゃんと張り合って貞彦先輩にひどいことしちゃったし……」


「俺はもう気にしてないからさ。そんなに落ち込むなよ」


 貞彦は素直の頭を撫でた。


 くすぐったそうにしていたが、徐々に素直の表情は和らいでいった。


「あの、相談支援部のみなさん……」


 声をかけられて振り向くと、峰子が引きつった顔をしていた。


「こんにちは実根畑さん。ところで、どうしてこんなところに?」


 澄香が涼し気な笑顔で聞くと、峰子の頬はぴくぴくと動いた。


「その言葉をそっくりそのままお返ししたいですが、あえて答えます。ここが生徒会室だからです!」


 峰子が怒鳴るようにツッコむと、澄香はくすくすと笑った。


 貞彦たちは、生徒会室に訪れていた。


 ミュージックフェスティバルも開催間近となり、忙しさには拍車がかかっていた。


 ステージや日程の確認、メンバーの最終調整、当日の人員配置など。目まぐるしく働いている峰子を、労おうと集まったのだった。


「峰子先輩はいつも大変そうだから、せめて力になれないかと思ってさ」


「貞彦くんの心遣いはとても嬉しいです」


「私も、実根畑さんにはいつも感謝していますよ。ですので、こうして見守っているのです」


「アイスを食べながらですか? 見せつけながら食べるという行為は、拷問って言うんですよ。知っていましたか白須美さん?」


「大丈夫。峰子先輩の分もちゃんとあるよ」


 素直は紙袋を取り出した。


 峰子は甘いものを目の前にして、瞳を輝かせた。


「ダッツさんとダッツさんじゃないものと、どちらがよろしいですか?」


「そこでダッツさんを選ぼうとする私は、決して欲深くないと信じてもいいですか?」


「ダッツさんを選ばれるんですか。そうですか」


「がっかりとした顔をしないでください。えっ、そんなにいけませんか? いいじゃないですかダッツさんの魅力には抗えないんです。頭脳労働の後は、特に甘いものが欲しくなるじゃないですか」


「仕方がないですね。これを差し上げましょう」


 澄香は泣きそうな顔をしながら、自らの持っているカップアイスを差し出した。


 冗談とはいえ、非常にレアな表情を拝めて、貞彦は少し気持ちが昂った。


「なんで白須美さんの食べかけなんですか! それに、あなたのそんな顔は初めて見ましたよ」


「亡くなったおじいさまも、ダッツさんのバニラ味が大好きでした……」


「どんどん食べ辛い感じにしないでください」


「それでは、口を開けてください。あーん」


「やめてください白須美さん。他の人に、他の人に見られてしまいます! 恥ずかしいからやめてええええええ」


 顔を赤らめて峰子は拒んだ。


 それでも澄香はお構いなく、峰子の口にアイスを運んだ。


 峰子はアイスを口に含み、恥ずかし気に咀嚼をしていた。


 綺麗な先輩同士の可愛らしい絡みを見て、貞彦は少しドキドキしていた。


「澄香先輩と峰子先輩の絡みはやっぱりおもしろいね」


「そ、そうだな」


「貞彦先輩。どうして赤くなってるの?」


「暑いからだよ」


 貞彦は苦し紛れに誤魔化した。


 最近ふざける機会が少なかったのか、澄香先輩は絶好調だった。


「おいしいですけど、もう大丈夫です。これ以上は羞恥心で死んでしまいます」


「それは残念です。では実根畑さんには、ダッツさんじゃない方を進呈いたしましょう」


「……ちなみに、そちらは一体なんなのですか?」


 峰子の表情は疑わし気だった。


 散々澄香に弄られたせいか、疑心暗鬼になっているらしい。


「とっても、いいものですよ」


「怖い怖い。その笑顔がとても怖いです」


「でももしかしたら、実根畑さんは知らないものかもしれません」


「意味ありげに言わないでください。もう聞くことも怖くなってきましたが、本当に何を持ってきたんですか?」


 澄香は、ニッコリとほほ笑んだ。


「ゴディバ様です」


「さすがに知ってますよ! 馬鹿にしないでください!」


「ショコリキサーカーニバル~ホワイトチョコレートマンゴーラズベリー~です」


 澄香は現物を取り出した。


 スケルトンカップに、山盛り盛られたホワイトチョコレートとクリーム。マンゴーソースとラズベリーチップに彩られたドリンクは、幸せを詰め込んだような輝きを放っていた。


 峰子は、釘付けになったまま口を開いた。


「始めからそちらにしておけば良かったです!」






 峰子は休憩を取ることにした。


 スイーツを一口味わう度に、眉間の皺が減っていく。


 顔色も良くなって、幸せそうな表情を浮かべていた。


「こんなに素敵なものをいただけるなんて。最近は疑問に思っていましたが、白須美さんは本当にいい人だったんですね」


「私はちょっと、実根畑さんに対して遠慮がなさすぎたのかもしれませんね」


 澄香は相変わらず笑顔だったが、貞彦は気付いた。澄香の笑顔が、微妙にぎこちないことに。


 いつでも笑みを浮かべている澄香にも、微妙な表情の変化があった。澄香は笑顔の中に表情があるのだと、貞彦はいつの間にか知っていた。


「ミュージックフェスティバルの準備は間に合いそうなのかな?」


「おかげさまでなんとかなりそうです。急遽開催することにしたイベントだったので、とても大変でしたけど」


「それでも開催にまでこぎつけたんだから、峰子先輩はやっぱりすごいよ」


「ありがとうございます。みなさんのためというのもありますが、私ももう三年生ですから、今のうちにがんばってみたかったという気持ちもあります」


 貞彦は胸が締め付けられるように感じた。


 澄香も峰子も三年生だ。


 そう遠くない未来。これからのことを思うからこそ、澄香や峰子は一生懸命に何かを残そうとしているのかもしれない。


「そういえば、この前はお誘いいただいたのに、参加できずに申し訳ありません」


「いえいえ。実根畑さんがお忙しいことはわかっていましたから。気に病む必要はないですよ」


「でもまさか、その出来事が急なメンバーの追加に繋がっているとは思いませんでしたが」


 峰子は表情に疲労が滲んでいた。


 開催直前に紫兎が加入したことで、間接的に峰子の仕事を増やしていたらしい。


「ごめん。峰子先輩」


「貞彦くんが謝る必要はないのですよ。湊さんが参加することで、皆さんがより楽しめるのであれば、それはとても良いことだと思いますから」


 疲れていようとも、峰子は笑顔を見せた。


「それに、メンバーの追加だけでなく、楽曲の追加もあったため、より盛り上がるかもしれませんね」


「楽曲の追加? また参加者が増えたのかな?」


 素直が聞くと、峰子は首を振った。


「いえ『りあみゅー』の方々が申し出てきました。でも、少し不可解な条件があるのです」


「不可解な条件?」


「はい。実際にその曲を披露するかどうかは、その時になるまでわからないそうなんです」


 どういう意味なのか、貞彦は真意を探ろうと考えた。


 スケジュールの問題なのか。それとも、紫兎が加入して間もないからこそ、まだ完成に至っていないということだろうか。


 澄香も疑問を抱いたらしく、親指を絡ませていた。


「ちなみにその申し出は、誰からあったものなのですか?」


 峰子は言っていいものかと思案しているようだったが、観念して口を開いた。


「どうやら、湊さんの希望があってのことだそうです。これ以上詳しいことは、私にもわからないです」


 紫兎本人が望んだこと。


 そう聞かされて、貞彦は紫兎と話した夜について思いを馳せていた。


 普通の少女のように、明るく笑う姿。普通っぽい青春を楽しんでみようという、健全に思える言葉。


 でも、最後に言っていたことはなんだっただろうか。


 これでまだ終わりじゃない――覚悟をしておいてね。


「まだ、何かあるのかもしれませんね。貞彦さん」


 澄香の言葉に、貞彦も同様の思いを抱いた。


 湊紫兎との物語の本当の結末は、ミュージックフェスティバルで訪れるのだろうと、貞彦は思った。

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