第17話 恋の熱気に囚われて
あっという間に、ミュージックフェスティバル当日になった。
グラウンドには生徒達が集っている。
自由参加なイベントにも関わらず、全校生徒の六割以上は参加しているようだった。
ライブだけでも充分に盛り上がるイベントではあるが、地域に根差した飲食店も屋台として参加していた。
貞彦はホットドッグとコカコーラゼロを購入した。
グラウンドの北側に、ステージが設置されていた。夕方から夜にかけて、ライブが行われる。ステージの上下にはライトが取り付けられている。
ぞくぞくと観客が集まってきた。わずかに距離を取りながらも、放射状に広がりつつ集結する。
ひしめく人波から、目的の人物を探す。雑多にまき散らされた砂上から、宝石を探し出せと言われているようだ。
ステージ間近のしきりロープ。後ろ姿だけでもわかる。楽しみに心弾ませる、期待を秘めた黒髪を見つける。
「澄香先輩」
澄香は振り向き、朝日のような笑顔を見せた。
「貞彦さん。こっちですよ」
誘われるがままに進む。
軽く手を上げて、謝罪を示しながら進む。嫌な顔をされていたが、トラブルなく進むことができた。
「お待たせ。澄香先輩」
「全然待ってはいないですよ」
「ちょっとわたしもいるよ」
澄香の脇から素直が顔を出した。人込みに覆われて、小さな素直の姿はまるで見えなかった。
「悪い。見えなかった」
「わたしのことがちっちゃいって言うのかー!」
素直は両手を上げて怒った。
それでも、貞彦の頭上にすら届かない。
「まあ、うん」
「ライブが見れない体にしてやろうか!」
「まあまあ。素直さんに貞彦さん。今日のところは全力で楽しみましょう」
澄香に言われて、素直は一先ず怒りを収めた。
納得がいかなそうな表情をしていたが、貞彦の右隣に移動していた。どうやら、言葉ほど怒ってはいないようだった。
イベントの開始まで、五分を切っていた。
ざわざわと、生徒達の雑談が響く。憧れの人が出ていると、黄色い声をあげている。ただ単に楽しそうだからと、シンプルな理由も聞こえる。一体感を感じるためか、無料配布のペンライトを、弄り回している人々。
期待感が高まっている。なんとなく面白い物を求めて、これだけの人が集まっている。
天国は地上にだってある。
紫兎の言葉を思い出していた。
これから始まる出来事に触れることで、その真意を知ることはできるのだろうか。
ステージのライトが灯る。ざわめきが止む。
特別な時間の幕開けに、会場を包む空気が切り替わった。
壇上には生徒会長の峰子が現れた。
「皆さんこんばんは。生徒会長の実根畑です。お忙しい中、お集まりいただき、誠にありがとうございます。。生徒会主催のミュージックフェステイバルを無事に開催することができたのは、何より生徒さん方の多大な尽力のおかげだと感謝しております」
峰子は軽くお辞儀をし、感謝の意を示した。
「このイベントの開催にご協力いただいた先生方、町内会の皆様にもお礼申し上げます。さて、長々とした挨拶は必要ないので、最後に一言だけ申し上げます。この瞬間を、全力で楽しみましょう」
峰子が言い終わると同時に、ファンファーレが響く。
にぎやかに足音を立てながら、ダンス部の面々がステージ上に駆け上がってきた。
アクロバティックなダンスが披露され、歓声が沸き上がった。
「わー。すごいすごい」
素直はぴょんぴょんと跳ねだした。楽し気に笑顔を振りまいている。
貞彦も内なる興奮に震えていた。爆音に閉ざされて、否が応にも感情は膨れ上がる。
音に踊らされ、演技に魅了されるたびに、楽しさが湧き出てくるようだった。
「いよいよ、始まりましたね」
澄香は呟く。淡々とした口調にも、熱がこもっていた。
会場の誰もが、興奮を共有している。
異様だが心地よい空間は、徐々にヒートアップしていく。
一生徒のカラオケから、音楽部やバンドの演奏まで、内容は多岐にわたった。
下手ではないのだが、わざとらしい低音を響かせたり、大げさにポーズを取り、アピール行動を振りまく輩もいた。
黒田だった。
見なかったことにして、貞彦は何も言わなかった。
合唱部や吹奏楽部の演奏もあり、洗練された技術には感動を覚えた。
あっという間に時間は過ぎていくが、熱狂が収まることはなかった。
終わりが近づくたびに、なぜか寂しさを感じる。
楽しくて仕方がないのに、むなしさが押し寄せてくるようだ。
それはきっと、確信があるからだ。
今のこの瞬間は特別なもので、特別なものは続いていかない。
終わってしまうことで、また普段通りの生活へと戻っていってしまう。
宝物を手放さなくてはいけないような、そんな気持ち。
まだ行かないで欲しい。この時間が終わらないで欲しい。
もしかしたら、こんな気持ちのことを紫兎は――。
「楽しかったミュージックフェスティバルも、いよいよラストナンバーとなってしまいました。最後に登場するのは今大注目の高校生バンド『りあみゅー』の皆さんです。知っていますか? 『りあみゅー』とはリアルミュージックの略なんだそうです。本物の音楽を皆さんに届けたい。そんな願いが伝わってきますね!」
司会の口上を聞いて、バンド名の意味を始めて知ることができた。
「いよいよですね」
「紫兎先輩の歌が聞けるなんて楽しみだよ」
澄香と素直は言った。
貞彦も、楽しみにしていた。
普通の青春を楽しもうとする紫兎が、一体どのような音を奏でるのかと。
ステージの光が消える。
壇上に人が現れる。四人の人影。表情は見えない。
会場全体が、期待感に胸を躍らせている。生唾を飲み込む。呼吸が浅く早くなる。鼓動が速度を上げる。嵐の前の静けさ。
やがて、光が灯る。
「盛り上がっていこうぜ!」
或が会場に呼び掛け、歌が始まる。
貞彦は呆気に取られていた。
本物の音楽が何かはわからないが、なんとなくこうだろうといった想像はあった。
流れるような旋律。組み合わさった音の奔流。感情の込められた激しい声。
細かいジャンルは知らないが『りあみゅー』メンバーたちは、なんとなくロックバンドであると思っていた。
けど、違ったようだ。
実際に流れてきたのは、ポップで愛らしさが想起される音づかい。
例えて言うなら、アイドルソングだった。
おあつらえたように、メンバー全員がフリフリとした派手な衣装を着ていた。
確定した。
『りあみゅー』はどうやら、アイドルグループ的なバンドだったようだ。
「お前ら絶対にロックとかしてる感じだったじゃん!」
貞彦のツッコミは、押し寄せる音にかき消された。
紫兎は歌いながら、気持ち悪いくらいに笑顔を振りまいていた。
ありふれた笑顔で、ありふれた恋を歌っていた。
淡い恋心を歌う、どこにでもありそうな一場面。
告白する勇気の出ない、そんな弱気な主人公。ふと見せた笑顔に、偶然見た弱さに惹かれている。ありきたりで、思わず共感を呼ぶ。そんな歌だった。
あなたが好きです。
そんな単純なワンフレーズが、穴だらけの心に染みわたる。足りなかったものが満たされる。
歓声の波。振り乱されるペンライト。響き伸びていく音。紫兎の歌声。
誰もがみんな、恋をしているような錯覚に陥る。
誰もがみんな、大切な人を心に浮かべる。
澄香と素直を思わず見てしまう。
目が合って、ドキドキする。
恥ずかしくなって、ステージ上を仰ぎ見る。
紫兎は歌う。翼のように手を広げて。可愛らしい笑顔を振りまいて。切なげに目を閉じる。いつものうさ耳パーカーは腰に巻き付けていた。
紫兎と目が合う。勝ち誇るような笑み。悔しさよりも、愛しさが勝っている。思い出す、憂いを帯びた表情。笑顔で彩りたくて、思わず抱きしめてしまいたい衝動を感じる。動揺する。ドキドキ。
一瞬、音が止まる。
それだけで切なくなる。もたらされた空白に、終わりの寂しさを見る。
ラストの大サビでは、熱狂が破裂した。
演奏が終わった瞬間、割れんばかりの拍手が響き続けた。
「貞彦先輩。すごかったね」
素直は潤んだ瞳で貞彦を見つめる。上気した頬。切なげな眼差し。揺れる口元。大人びた表情。そんな顔をしないでくれと、貞彦は鼓動を抑えた。
「とても素敵でしたね。貞彦さん」
澄香はいつも通りの笑顔だった。穏やかで和むような。今日も世界は平和だと、言わんばかりの笑み。
何も変わらない澄香を見て、安堵と切なさを同時に覚えた。
恋の魔法にかけられていないのは、唯一澄香だけだったように感じた。
「ありがとう」
紫兎が感謝を叫ぶと、会場は歓声で答えた。
「少しだけ、みんなの時間を貰うよ。私はつい最近バンドに加わった、二年生の湊紫兎だ。よろしく」
歓声が再び響く。
「さっき歌ったのは、普通でありふれた恋の歌だ。どこにでもあるような、普遍的な恋模様。だからこそ、共感して、望みを託して、みんなも恋がしたくなっちゃったんじゃないかな?」
紫兎の問いかけは、熱狂をもって答えられた。
「実はね、私はあんまり、楽しいことが好きじゃなかったんだ。むなしさから目を逸らして、一時的な快楽に身を委ねる。そんな人間性をひどくつまらなく感じていた」
戸惑いからか、会場の声は止まる。恋を歌っていた人間から出た言葉とは思えなかったのかもしれない。
「でもね。最近少しだけ楽しいことがあった。こんなひねくれた私に、めげずに近づいてくれた人がいるんだ。彼と関わっていたら、私にも楽しみたい気持ちがあったんだってことに、気づかされたんだ。もしかしたら、初めて恋をしたのかもしれない」
紫兎はチラリと貞彦を見た。普通の恋する少女のような、感情豊かな笑み。
けれど、恋をしているというには、あまりにも悪魔的な表情を貞彦は見逃さなかった。
「私は、その想いを伝えようと思うんだ。いいかな?」
会場は揺れんばかりに盛り上がった。
紫兎以外の『りあみゅー』メンバーは、呆気に取られていた。このような予定はなかったのかもしれない。
貞彦は、去来する出来事を思い、身構えた。
予感は確信に変わる。
紫兎が言っていた、覚悟をしておいてねという言葉の意味。
紫兎は、ニヤリと口元を歪めて口を開く。
「私のことをわかってくれた、久田貞彦くん。あなたが――好きです。私と付き合ってくれないかな?」
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