第14話 見える未来 見えない未来

 なんと言うべきか、答えに窮する。


 簡単に言葉を紡げるはずもない。


 そりゃそうだ。


 いつだって自分に問い続けてきた。


 それでも、未だに答えは出ていないのだから。


「一番関係が深いって思うのは、澄香先輩と素直なんだと思う」


「それは俺にもわかる。力になってもらった時も、三人はなんかいい感じの形になっていて、とても自然な感じだと思う」


「静観しつつ、肝心なところでは前に出て来てくれる澄香先輩と、真っすぐに切り込んでいくストレートな素直ちゃん。それと貞彦先輩。良いバランスだと思うんすよね」


「もうちょっと俺になんかあるだろ」


「僕はまだみんなのことをよく知らないけど、とても良い感じなんだろうと思うよ。三人でいることが、まるで一つの形なのかもしれないっていうかさ」


「なあ貞彦。ということはお前、今の関係性やバランスを壊したくないっていう思いがあるのか?」


 或が指摘したことは、間違っていないように思えた。


 いつまでも三人でいる。居心地のいい関係性。


 それ以上でも以下でもない。澄香が微笑み、素直が笑う。なんでもない出来事も、大変な出来事も、みんなで挑み、なんらかの形を得る


 夢みたいな一時。


 夢ではない。現実だからこそ尊い。


 そして、現実だからこそ永遠ではない。


「その想いも、あるんだと思う」


「他にも何かあるのか?」


 好意がないかと言えば、それは確実に嘘になる。


 好きという条件には、達しているくらいに心は奪われている。


 ベクトルの違いはあれど、二人のことを好きだと言うことは、過言ではないだろう。


 好きだって言って、もし恋人になって、その先の未来があって。


 その先の違いを、貞彦は想像していた。


「二人とも好きだよなんて言ったとして、俺の気持ちとしては間違っていない」


「貞彦くん。でもそれは……」


「満の言いたいことはわかるさ。俺の気持ちが正しかったとしても、世間のルールだったり、倫理だったり、感覚としては正しくないってことはわかっているんだ」


 ルールに違反するから。


 倫理に反するから。


 社会がそうなっている以上、社会に包摂されて生きて行く限りは、従っていきなければいけない。


 個人の自由というのも、きっと幻想なんだと貞彦は思う。


 本当の自由なんてどこにもない。


 与えられて、限られた自由があるだけ。


「素直は俺にとって、大切な後輩だし、時に励ましてくれたり叱ってくれたりと、なんていうか対等のような関係なんだ」


 パフェを食べてはしゃぐ姿。


 心が狭いって叱る姿。


 本気で心配して涙を流してくれる姿。


 怖いと言いながらすがりついてくる姿。


「すごく自然体でいられて、なんの気兼ねもない。自然体の関係を、空気のようなっていうかもしれないけど、それとはちょっと違うんだ」


「じゃあ、なんていうんだ?」


「素直は俺にとって、風みたいなものなのかもしれない。心地よくて、刺激的で、彩りを運んでくる。いつまでも吹かれていたいなって思う。そんな存在かもしれない」


 誰しもが口を挟まない。


 真剣に貞彦を見つめ、静かに話を聞いている。


「もしもの話だ。素直と恋人の関係になれたとして、その先の未来を想像してみたんだ。なんでもないことに笑い合ったり、時に喧嘩したり、でも一緒に感動出来たり。幸せな未来が見える気がするんだ」


 お互いが、かけがえのない誰かになれた時、それは想像もできないほどの感動なのかもしれない。


 今を超えるような幸せが待っているのかもしれない。家族が増えて、苦労も感動も増えて、そして終わる頃には笑い合える。


 そんな安易で楽観的な未来。


 それでも、望んで止まない未来。


 絶対にそうなるわけではないこともわかっている。


 それでも、二人が紡ぐ未来を目指すこと。


 それだけできっと、素晴らしいものなのかもしれない。


 でも、澄香先輩は。


 誰よりも肯定的で、誰よりも強くて、誰よりも儚くて、誰よりも幸せで、誰よりも憂いを帯びている澄香先輩は。


「決してはぐらかそうとしているわけじゃない。一つだけ、みんなに聞きたいことがあるんだ」


「言ってみろ」


「みんなで誰が可愛いかって言い合った時、疑問に思ったことがあるんだ。どうして誰も、澄香先輩の名前をあげなかったのかってことだ」


 ハッとしたような顔をする奴がいた。不思議そうに首をかしげる奴もいた。答えに窮して、黙り込む奴もいた。


 戸惑いが押し寄せる中、貞彦は続ける。


「澄香先輩は、贔屓目に見なくても美人だと思う。包容力もあって、なんでも許してくれそうな甘い雰囲気がある。色んなことを知っていて、でもそんなことを鼻にかけない謙虚さもある。俺はとても魅力的だと思うんだ」


「確かに。俺もそう思う。ちょっと厳しかったこともあったけど、澄香先輩がいてくれたから、俺はネコを夢から目覚めさせられたんだと思う」


「そうっすね。実際に接した時間は少ないっすけど、そんな俺でもわかります。澄香先輩の助けがあったから、今でも楽しく風紀委員にいられる。澄香先輩は、めちゃくちゃ素敵な人だと思います」


 光樹と竜也は同意する。


「僕も、澄香先輩のことはとても素敵だと思う。柔らかな笑顔の中にも、深い思慮がある。尊敬に値するよ」


「まあ、単純に美人だし、スタイルもいいし。何かやっても許してくれそうな優しさもありそうだし。そう考えると、申し分ないよな」


 誰しもが、澄香に対して肯定的な印象を抱いている。


 印象は間違っていないだろうし、それぞれに正しさがある。


 だからこそ、疑問に思う。


 これほどまでに好意的に思われる澄香は、どうして一番可愛い人にはなれないのだろうか。


「俺は正直、澄香先輩を遠くに感じるんだ」


 澄香の考えることが、貞彦にはわからない。


 先を読むような深遠な思考に、貞彦はついていけない。


 あまりにも高いようで、あまりにも深きに身を置いているような、澄香のことを理解できなかった。


 その感覚は、貞彦以外のみんなも感じているようだった。


 高嶺の花、という表現でも足りない。


 次元の違う断層を、生身の人間では越えられない。


 決して手の届かない場所に、白須美澄香は咲いている。


 手を伸ばしても、近づいていっても、永遠に距離は縮まらない。


 暗闇を光もなしに歩き、手掛かりすらも不明瞭。


 遥か彼方に揺れる、綺麗なふりをした幻。


 歩き続けた先に、いつかその歩みは止まる。届かない現実に絶望する。


 だから、澄香との未来は見えない。


 存在しているかすらも、危ういからだ。


 そんな気がしてならない。


「怖いってわけじゃないけど、俺はなんていうか、澄香先輩には触れられないって思う。高貴というか、恐れ多いというか。遠くに感じるっていうのは、わかる気がする」


 光樹は言った。


「澄香先輩は大切な人だ。もっと知りたい。もっと近づきたいとも思う。けれど、どれだけ近づいて行っても、一緒にいられる未来が見えないんだ。だから」


「うるせえなあごちゃごちゃと」


 灰色の空気が断ち切られる。


 或は立ち上がって、貞彦の胸倉を掴んだ。


「俺はお前のことも、澄香先輩のこともよくわかんねえ。澄香先輩がなんだか遠い人だって感覚はわかる。けどな、未来が見えないからって、それがどうしたっていうんだ」


「或! 乱暴はよせよ」


 満が間に割って入ろうとするが、それでも或は止まらない。


「俺はお前がどっちの子を好きでも構わないし、どちらを選んでも正直どうでもいい。ただそんな動かない理由を聞きたいわけじゃねえ。どうなろうとも、情熱を燃やして全力でぶつかっていけよ」


 鬼気迫る或に怒鳴られても、不思議と怒りは湧いてこなかった。


 理屈とか感覚とか、或はどうでもいいのだと弾き飛ばしてしまった。


 そんな思慮に欠けるような力強さを、少しだけ羨ましく思う。


「なあ或。お前ってたぶん、けっこうバカなんだな」


「バカで構わん。俺はやりたいことに情熱を注ぐだけだ。俺たちは湊紫兎を手に入れる。そしてバンドも成功させる。それだけしか考えてないぜ」


 自分勝手に思える言動。他人のことなど考えていない独りよがり。今は眩しい。


「素直にさ、よく男らしさが足りないって言われるんだ。少しだけ意味がわかったよ」


 貞彦は笑顔を浮かべた。


 或は一瞬呆けたが、すぐに笑顔を返して、拳を緩める。


「どうなるかはわからないけど、ちょっとだけがんばってみたいと思えた。ありがとう」


「別にいいさ。それなら、とっとと行こうか野郎ども!」


 或は指揮を執るように手を広げた。


「行くって、どこにだい?」


「決まってんだろ。女子部屋に突撃だ」


「いや、なんで!?」


 光樹は勢いよく疑問を口にする。


「善は急げって言うだろ。こんな機会は滅多にないんだ。せっかく男女が同じ家屋に寝泊まりをしているんだぞ? 夜這いをかけない方が失礼だろうが」


「マジっすか……」


「マジだ」


 或のことを、情熱的だが欲望に忠実なバカだと思った。


 決して賛同はできないけれど、バカでいることは無敵であるように感じる。


 成功するわけはないとは思うけど、バカなことをしておしおきを受けることも、きっと青春の一ページではないかと思えてしまった。


「まあたまには、バカみたいなことに本気で挑むのも、いいかもしれないな」


「貞彦くんまでそんなことを言うなんてね。まあ、僕も乗りかかった船だ。一緒にバカをして、一緒に怒られるくらいなら付き合うよ」


「お、俺はネコが危険な目に合わないようについていくだけだからな。エッチなハプニングとか期待しているわけじゃないからな」


「なんだか言い訳しているみたいすね。このことは……風紀委員の先輩方には黙っててくださいよ」


 なんだかんだ言いつつ、全員が同意した。


 バラバラだった男子どもが、初めて一つになった瞬間だった。


 一人よりも二人の方が強く、二人よりも五人の方がより強力だ。


 人が集まり協力すれば、不可能も可能に出来てしまう。そうして人類は発展してきたのだから。


 この五人さえいれば、なんだってできるような気がしていた。


「行くぞ野郎ども! 俺たちの青春を、バラ色に染めてやろうぜ!」


『おー!』


 こうして、夢を抱く青春バカ野郎どもは女子部屋に向けて疾走した。











 青春バカ野郎どもは座布団の一斉射撃により、たった五分で鎮圧された。


 素直に蹴り飛ばされ、ノエルにベースでぶん殴られている最中、貞彦は誰かに手を引かれてその場から脱した。

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