第14話 わがまま男はハッピーエンドの夢を見る

 澄香の話を聞いて、貞彦はますますどうすればいいのかわからなくなった。


 トラウマがきっかけとしてあるのであれば、解消させる方法について考えることができたかもしれない。


 しかし、猫之音は、ただ眠ることが幸せだから眠っている。


 問題など存在せず、猫之音は自分の好きなように生きている。


 その結果が、ただ単に寝ている状態だというのだ。


 ただでさえ充足している猫之音に対して、何かできることなんてあるのだろうか?


「猫之音さんの件に関しましては、相談支援部にできることはありません」


 澄香ははっきりと言った。


 香田だけでなく、猫之音の幸せを願ったからこそ、夢の世界に入り込んだ。


 しかし、彼女は初めから幸せだった。


 好きなように眠り、好きなように夢を見る。


 家族もその状態を受け入れているようだ。


 将来的なことまで考えると、なんらかの支障はでてくるかもしれない。


 とはいえ、今の段階で考慮するほどのことではないのだろう。


「それじゃあこのまま帰るしかないのかな?」


「はい。このまま帰ってしまっても、大きな問題はないでしょう」


 素直の問いを澄香は肯定する。


 確かに、猫之音に問題がないのであれば、貞彦たちにできることなどない。


 猫之音ネコのことを少しだけ理解して、その結果日常に戻る。


 猫之音はとりあえず眠り続ける。幸せに、好きなように。


 現代の眠り姫は目覚めない。


 そんな結末であったとしても、別にいいのかもしれない。


「……白須美先輩」


 始めからハッピーだったエンディングに。納得がいかない者が一人いた。


 香田だった。


「本当に……このまま帰ってしまっても、いいのでしょうか?」


 悔しさのような感情が滲み出ている。


 握りしめた拳は、感情の行き場が見当たらないように見えた。


「香田さんは、どう思うのですか?」


 澄香は香田自身の想いについて聞いた。


「これは俺のわがままかもしれないんですけど、猫之音には目覚めて欲しいんだ」


「猫之音さんを目覚めさせることが、本当にいいことかなんて、誰にもわからないことだと思います」


 澄香は、前にも言っていたことを再び口にした。


 誰も彼も肯定する。ありのままで、あるがままでいいんだという澄香の信念からでたセリフなんだと、貞彦は思った。


「それでも、猫之音さんに目覚めて欲しいと思うのですか?」


「はい」


 香田はしっかりとした口調で答えた。


 瞳や表情には、一切の迷いは感じられなかった。


「さっきの夢の中で、久しぶりに猫之音の表情が見れました。とても楽しそうで、幸せそうな笑顔でした。可愛らしい声も、万華鏡のように変わる表情も感じることができました」


「はい」


「猫之音は今のままでもいいのかもしれない。けれど、猫之音が思い描いている夢は、このままだと永遠に現実にはならない気がするんです」


 夢を見て幸せな猫之音。


 彼女にとっては現実に近いものかもしれない。


 けれど、夢はあくまで夢だ。現実じゃない。


 澄香は、続きを促すように首肯した。


「恋をする喜びや辛さも、子供を持つ感動も、全ては想像の中で終わってしまいます。夢は夢で、終わってしまいます」


 たとえば恋をすること。夢であれば、好きなように展開できることだろう。


 現実では、そうではない。なかなかかみ合わない思いにやきもきしたり、会えない時間の切なさを感じたり、触れ合えた時のドキドキは心が温まり、体は紅潮し、血管はきっと破裂しそうにもなる。


 思う通りに行かない現実だって、それはそれで尊いものなのかもしれない。


「猫之音の人生を夢で終わらせたくない……いえ、これはきっと言い訳です」


「香田さんの、本当のお気持ちを聞かせてください」


 澄香は促す。


 楽しくて仕方がないという風に、ワガママかもしれない香田の願いを聞き入れようとしていた。


「猫之音には振り回されっぱなしです。自分が悪いんですが……ボコボコにされたり、恐怖を植え付けられたり、赤ちゃんにまでされたりして、わけわかんないです。でも、猫之音から離れようとしなかったのは、多分自分の方……それはきっと」


 香田は思いっきり息を吸い込み、咆哮のごとくぶちまける。


「猫之音から離れようとしなかったのは――ずっと見ていたいと思っちまったからなんだー! 俺は、現実で笑顔を振りまく猫之音が見たいんです!」


 香田が抱いていた、複雑な感情。


 恋の様でもあり、恐怖の形もしている。哀れみもあるかもしれないし、羨む心もありそうだ。純粋に、可愛い子と仲よくしたいというスケベ心だってあるのだろう。


 根底にある物がなんだっていい。


 その願いはただ一つに集約される。


 猫之音ネコの笑顔を見たい。


 それだけなのだ。


「香田さんの願いは、しっかりと聞かせてもらいましたよ」


「これは俺のワガママだって、わかってはいるんです」


「ワガママでも構わない。人はとびっきりワガママでいいんだと思いますよ。それを相手にぶつけた時、受け入れるのかどうかは相手が決めればいいことですから」


 澄香は微笑んだ。


「それでは『眠り姫を起こし隊』の最初で最後の活動を始めましょうか」






「ところで、どうやって猫之音と会えばいいんでしょうか?」


 眠り姫を起こし隊を結成したのはいいのだが、その為には猫之音に会わなければならない。


 周囲に広がるのは、光の性質を無視したような真っ暗闇。


 1m先ですら見渡せない暗闇。猫之音を探すことは、困難に思えた。


「確証があるわけではないのですが、可能ではあると思います」


 澄香が言った。


「どうしてそう思うんだ?」


「ここは猫之音さんの夢の中であると同時に、私たちの夢でもあると思うのです」


「そうなのか? 俺たち全員の夢に猫之音が干渉できたわけだし、猫之音の夢の中に俺たちが入り込んだように見えるんだけど」


 澄香は得意げに笑う。


「もし猫之音さんの夢に入ったのであれば、全員が同じ夢を見ると思うのです。しかし、私たちは別々の夢を見ていた。それぞれの夢が干渉しあっているので、ここはみんなの夢の中といった方が正しいように思います」


 概念の話になるが、もし猫之音の夢の中に入り込んだのであれば、猫之音の夢をただ見せられるだけの話になる。


 しかし、澄香が言うには、それぞれが夢を見ていることで、それぞれの夢の世界が分けられていたんだと主張した。


 分かれていた夢が一つに混ざり合ったことで、今ここに全員が集結している。


 夢の中で力を行使できる割合は、猫之音が一番大きいだろうけど、貞彦たちも夢の一部である以上、猫之音に介入できるのではないかということらしい。


「それで、何をすればいいんだ?」


 貞彦が聞くと、澄香はニコニコと満面の笑みを浮かべた。


「それについては……わかりません」


 貞彦はズッコケた。


「なんていうか物理的にどうこうできる話じゃないよね。猫之音先輩を見つけるヒントは何かないの?」


 素直に聞かれて、貞彦は猫之音について印象深い物を思い出した。


 宙を舞って消えていくときに、不自然な光を放っていた。


 原理も理由もわからないが、バレッタリボンが黄金に光っていた。


 暗闇の中では、色の判別などできない。リボンの色に頼ることなんて無意味だ。


 探すべきなのはきっと、猫之音自身の光。


「バレッタリボンだ」


「え?」


 貞彦の言った意味がわからなかったようで、素直は聞き返した。


「理由はわからないけど、猫之音のバレッタリボンが光り輝いていたんだ。暗闇の中で探せるものは、もうその光しかないと思う」


「わかりました。特に手段が思いつきませんし、貞彦さんの言う光を探しましょう」


 四人は暗闇の中目を凝らす。どこまでも広がる暗黒を見て、本当に見つかるのかと不安に思った。


「きっと目で見てはダメなのです。この世界は現実とは違うように思います。心を開いて、光を見つける方がいいのかもしれません」


 澄香の言う意味をかみ砕けなかったが、貞彦は目をつぶる。


 暗闇が上書きされて、とうとう何も見えなくなった。


 視覚が奪われたことで、他の感覚が鋭敏となる。


 無音のはずなのに、音の気配を感じる。何も触れていないのに、ざわざわと世界が蠢いている。


 先ほどまで感じなかった、息吹を感じる。


 夢の世界の鼓動を感じた。


 確かにいる。目に見えない感覚のどこかで、ざわざわとした皮膚に感じる振動が告げてくれる。


 猫之音は、人と関わりたくないわけではないと思う。


 閉じた世界で好きなように生きているけれど、貞彦たちのような侵入者とも、一緒に遊ぶことを望んでいたように思う。


 こちらが猫之音を見ているように、猫之音もこちらを見ているのではないだろうか。


 思考すらも放棄する。感覚のみを頼りにする。静かに呼吸を落ち着ける。自分自身の意識から離れて、自身の形が曖昧になる。世界へと溶けて広がっていく自分を想像する。


 その瞬間、光が。


「見つけた!」


 香田が叫ぶ。


 貞彦が反応するより早く、香田はすでに飛び出していた。


 現実ではありえないほど跳躍し、見えなくなりそうなところで何かを掴む。


 香田が何かを掴んだ瞬間、まばゆい光に浸食されて、貞彦の目はくらんだ。


 世界が色づいていく。


 猫之音と貞彦たちの世界が、ようやく繋がったように感じた。


 香田は華麗に地面へと帰ってくる。


 香田は誰かを抱えていた。


 いたずらが見つかった子供のように、お茶目な表情。


「……見つかっちゃったね」


 常に眠そうな雰囲気。垂れ下がった目じりにふんわりとした口調。


 お姫様を想起させるほどの、高貴さ滲む長い髪。


 おそらく、面と向かうのは初めてだ。


 本当の猫之音ネコとの、ご対面だった。

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