第13話 夢の中の彼女の夢 Good sleep

 貞彦が目を覚ますと、目の前は真っ暗闇だった。


 自分が本当に目覚めているのかもわからない。体を起こす。感覚はあるのだが、視界が奪われているため、本当に自分が起き上がっているのかもわからなかった。


「お目覚めですね。貞彦さん」


 振り返ると、澄香が穏やかな笑みを浮かべていた。


 真っ暗闇の中で、どうして澄香の姿が見えるのか疑問に思ったが、常識はずれの体験をしたことで、その理由などは考えないことにした。


 体感時間としては三日にも満たないが、敬語で話をする澄香先輩に会うことができて、貞彦は歓喜で抱き着いてしまいたくなった。やらなかったけど。


「これで全員が揃いましたね」


 澄香はショーの始まりだと言わんばかりに手をかざすと、素直と香田の姿も見えるようになった。


「貞彦先輩遅い! 香田先輩が落ち込んじゃって慰めるのに大変だったんだからね!」


 素直はぷりぷりと怒っていた。


 生意気気味で強気な様子を見て、懐かしさやらなんやらで貞彦は抱きしめたい気持ちになった。やらなかったけど。


 香田は、なぜかうずくまったままでさめざめと泣いていた。


 一体何があったんだよと、貞彦は思った。


「皆様の話を聞く限り、どうやら各々が違う夢を見ていたという状況のようですね」


 澄香は淡々と言った。


 貞彦だけでなく、他の三人も夢を見ていたらしい。


「ちなみに……澄香先輩はどんな夢を見ていたんだ?」


 貞彦は緊張で嫌な汗をかいていた。


 貞彦の見た夢は、知り合いの女子たちとラブコメめいた学校生活を送るというものだった。


 もし澄香も同じような夢を見ていたのだとしたら……。


 そう考えると、貞彦はよくわからないが気が気がじゃなくなっていた。


「私は、美麗な海岸で岩の上に座りながら、猫之音さんと空を眺めている夢です」


 澄香は目を閉じた。夢の光景を鮮明に描いているらしい。


「え、それだけ?」


「はい。太陽と月が同時に輝き、昼と夜が境界を面して混ざり合う。世界の両面性を象徴しているようで、とても楽しく感動的な体験でした」


 澄香の嬉しそうな表情から、どうやら嘘ではないように思えた。


 何を思って、どういう意図でそんな夢になったんだろう。


 貞彦は、澄香のことがますますよくわからなくなった。


「ちなみに、素直はどんな夢だったんだ?」


「わたしはね正義のヒーローになって猫之音先輩と悪の組織を打倒する夢だったよ」


 まだ夢の影響が残っているのか、素直は拳を何度も振り上げていた。


 魔法少女なんかではなく、正義のヒーローというところが、とても素直らしいと感じた。


「それで、香田はなんでこんなに落ち込んでいるんだ」


「……人としての尊厳が……もう俺、お婿に行けない……」


 香田はぶつぶつと呟いた。会話にならない。


 夢の出来事にショックを受けすぎたようで、自分の世界にこもっているようだった。


「香田はどんな夢を見たんだよ……」


 素直は微妙に言い辛そうに気まずい表情をしていた。


「香田さんは、猫之音さんの赤ちゃんになっていたそうです」


「……は?」


 澄香の言っている内容を、うまく咀嚼できなかった。


「オムツを替えてもらい、抱っこされてあやされ、食事はもちろんおっぱいを」


「わかった。わかったからもう大丈夫だ」


 貞彦は恥ずかしくなって、澄香の言葉を遮った。


 内容はバラバラで、共通性や法則は見いだせない。


 唯一わかっていることは、全ての夢に猫之音が関係していること。それだけだった。


 貞彦が思考を巡らせていると、素直が袖をちょんちょんと引っ張った。


「それで貞彦先輩はどんな夢を見ていたのかな?」


「え?」


「私も気になりますね。貞彦さんが体験した夢の内容や、その思いにはとても興味があります。お話していただいても、よろしいでしょうか?」


 わくわくした様子の二人に迫られて、貞彦は追い詰められていた。


 澄香と素直が積極的なクラスメイトで、美香子が幼馴染の後輩。カルナはちょっとえっちなギャルで、峰子はドジっ子パンチラ生徒会長。そして猫之音ネコと恋人。


 そんなこと、言えるはずがなかった。


 貞彦は、都合よくこの夢から覚めてくれないかなと、ネコ様に祈った。






 祈りは届かなかった。


 澄香と素直のところだけはなんとかごまかし、他の部分についてはごまかす技量がなかったので正直にゲロッた。


 澄香は今にも爆笑しようなほどに口元が蠢いており、素直は汚物でも見るようなジト目を向けていた。


「貞彦先輩。やっぱり男子ってみんなアホなんだね」


「はい……その通りでございます」


 言い返す言葉もなかった。


「まあまあ素直さん。健全な男性であれば、女性と触れ合いという願望はあって当然だと思いますよ」


 澄香がフォローしたおかげで、素直の表情も少しだけ柔らかくなった。


「それにしても、貞彦さんはファーストキスはまだなんですね」


 興味深げに澄香は言った。


 ニヤニヤと見上げられと、なんだか居心地が悪く感じる。


「悪いか?」


「いいえ。悪いことなんて、何もありませんよ」


 澄香に慰められだけれど、気恥ずかしさは解消されなかった。


「それにしても……」


 澄香は意味ありげに両手の親指を絡めていた。


 表情に真剣さが戻り、口元は固く結ばれる。


 澄香は考える。今までの出来事を。これまでの体験を。人の話を想像で補い、納得の行くストーリーを練り上げているようだった。


 澄香の親指の動きが止まった。


「……おそらく、そうなのでしょうね」


「何かわかったのか?」


「はい。猫之音さんがずっと眠りながら起きている状態になっていることを、以前はどのような原因と考察したか、覚えていますか?」


「たしか、猫之音になんらかのトラウマがあって、それが影響を及ぼしているんじゃないかってことじゃなかったか?」


 香田が猫之音のスカートをめくったことから、猫之音は眠ったようになったらしい。


 その出来事が心的外傷となって、自分の世界に閉じこもるようになった、というのが仮説であったはずだ。


「その通りです。けれど、私はどうやら、大変な思い違いをしていたようですね」


「澄香先輩?」


 素直は不思議そうに聞いた。


 貞彦も素直の気持ちはなんとなく理解していた。


 あの澄香が間違えるなんて、あまり想像がつかなかったからだ。


「どんなに筋が通っているように見えて、正しいと思えるようなストーリーが完成したとしても、それが正しいとは限らない。渡会さんのアドバイスで、改め猫之音さんのことを理解することができましたよ」


 澄香は満面の笑みだった。


 自分の考えが間違いであったことは全然気にならないようだった。


「私の中の猫之音さんの人物像と、ナコさんにとっての猫之音さんの人物像のギャップが、とても気になっていたのです。見え方の違いは人それぞれです。けれど、あそこまで差が出るものなのでしょうか」


 その点は、貞彦も気になっていた。


 猫之音が学校に来ないという事実を、貞彦たちは重く受け止めていたのに、姉であるナコはなんでもないことだと笑い飛ばしていた。


 その認識の差はあまりにも大きな溝があるように感じた。


「香田さんがトラウマを負い、猫之音さんにもトラウマが刻まれた。美しく納得のいくストーリーですが、その魅力に覆われてしまい、本質が見えていなかったのかもしれません」


 お互いがお互いに影響を与えた。痛み分けであり同じように変化が訪れた。


 対称的で、なんだか同一性まで感じ、なんとなくわかるような気がする。


 そんな確かでない幻想に、安易に飛びついていたのだと、澄香は言った。


「猫之音さんと、夢の中で話をしました。ですが、彼女には何もない。人生に対する憂いのようなものも、過去に傷ついた経験も、何も」


 猫之音の全てを知っているわけではない。


 けれども、様々な人の話を聞き、様々な人と関わってきた澄香の経験が、自らの説を否定した。


 猫之音にトラウマとなる出来事は、何もなかったのだと。


「猫之音さんはトラウマで眠ったのではない。眠り姫が眠り姫となったのは、ただ寝ることが最高の幸せだったから。そう思います」

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