第4話 眠れる学校の美少女
澄香に連れてこられた場所は、生物化学室だった。
授業などで使用している部屋なので、貞彦は知っていた。
「生物化学室って、確か化学部が使ってたんじゃなかったか?」
貞彦はほとんど知らないが、化学部という部活動があり、生物化学室で活動していることは知っていた。
「今は残念ながら、部員不足で廃部となりました」
世知辛いことだが、部活動として活動するためには一定以上の人員が必要だ。
ルールとして決まっている以上、仕方のないことだと納得をするほかなかった。
「ん? 部活動として認められるためには、五人以上必要なんじゃなかったか? でも相談支援部には、部員が三人しかいないじゃないか」
今更ながら、貞彦は疑問に思った。
澄香、貞彦、素直。
実際に活動している部員は三人しかいないのに、部活動として存続できていることはおかしな話だった。
「貞彦さんが入部して頂いたことで創部となりましたが、残り三人は幽霊部員です」
「そうなの!?」
今明かされる衝撃の真実に、素直は思わずツッコんだ。
「ちなみに、無理を言って実根畑さんにも入部の署名を頂いております。なので、実は彼女も相談支援部員だったのです」
「そうだったのか!?」
今明かされる衝撃の真実に、貞彦は思わずツッコんだ。
「少し話が逸れましたね。おしゃべりをするのも楽しいですが、今日のところは所用を済ませてしまいましょう」
澄香は扉を三回ノックした。
「どうぞー」
気だるげな声が聞こえたので、澄香は扉を開けて中に入った。
「失礼します」
今回の澄香はふざけなかった。
生徒会室に入る際のおふざけは、実根畑相手だから行っていたのだと、貞彦は知った。
実験机の一つにパソコンを置き、やる気のなさそうな顔をして何かを打ち込んでいる女性がいた。
「こんにちは。
澄香が声をかけると、渡会と呼ばれた女性は一度澄香の方を向いたが、すぐにパソコンの画面へ視線を戻していた。
「ああ、白須美さんか。あなたがここに来るなんて珍しいな」
「ええ。少し相談事がありまして、渡会さんの知恵をお借りしたく思います」
「ふむ。生憎だが、私も忙しい身でな。興味のないことに付き合ってはいられないんだ」
そう言い放ち、渡会は険しい瞳で頭をガリガリとかいた。
何かに悩んでいるらしく、唸りながら椅子ごと体を揺さぶっている。
一体何に悩んでいるのだろう。そもそも、渡会はここで何の活動をしているのだろうかと、貞彦は気になった。
「相談事というのが、渡会さんが今一番興味を抱いていることについてだとしたら、どうでしょうか?」
澄香の言葉を受けて、渡会が振り返る。
興味が湧いたのか口元に笑みが浮かんでいる。
「ほう。猫之音ネコについての話だと、そう言いたいのか?」
「ええ。その通りです」
「そうかそうか。まあ座りたまえ。おもてなしなど私にはできないがな」
澄香が肯定すると、渡会はあからさまに歓迎ムードを見せた。
三人は渡会の向かい側に座る。
「ところで、その二人は誰なんだ?」
渡会は貞彦と素直を順々に指さした。
「相談支援部のかわいい後輩ですよ」
「一年D組矢砂素直です!」
「二年F組、久田貞彦です」
素直は元気に、貞彦は丁寧に挨拶をすると、渡会はなぜか顔を逸らした。
「……三年A組の、
さきほどと違い、なんだか歯切れが悪い返答だった。
「それでは、現在の状況について、ご説明いたしますね」
貞彦は不思議に思ったが、質問をする前に澄香はもう話し出していた。
澄香は、相談者である香田の名前は出さずに、現状の説明を行った。
「なるほど。身体的外傷が心的外傷に繋がり、それに起因する記憶の忘却か。で、その相手が猫之音ネコだということか」
「その通りです。とはいえ、彼を治療することを目的としているわけではないのです。それに、彼女に関すること意外であれば、彼は真っ当な生活を送れているので、医療機関に頼る必要性は現段階では薄いと思います」
真っ当な生活を送れている?
香田が?
貞彦はめちゃくちゃ疑問に思った。
「あの人は真っ当な生活をおくれているの?」
素直は本当に素直な気持ちで疑問を吐き出した。
澄香はいつも通り微笑んでいた。
「ええ。少々過剰な反応ではありますが、彼なりに考えて対処法を実践しているのですから。そうやってなんらかの方法を身に着けていることは、とても良いと思いますよ」
素直は納得がいっていないようだったが、押し黙った。
「まあ、現状はなんとなく理解した。それで、ここに来たっていうことは、猫之音ネコについて知りたいことがあるんだろう? 私に答えられることならなんでも聞きたまえ。まどろっこしいことは嫌いだから、手短にな」
渡会はそう言うと、右手で顔を支えた。少しぞんざいな態度に感じたが、彼女が話を聞くときのスタイルのようだ。
「渡会さんが、猫之音さんについて調べていることは知っていました。もしお答えいただけたらで良いのですが、彼女はどのような状態なのですか?」
渡会は、思考をまとめるように髪に指を巻き付けていた。
「端的に言えば――眠りながら起きている、といったところかな」
「眠りながら起きている? どういうことなんですか?」
貞彦が疑問を投げかけると、渡会はまたもやあからさまに視線を逸らした。
「……脳波には四種類あるが、脳波の振れ幅が短いほど覚醒している状態なんだ。逆に言えば、脳波の幅が長くゆったりとしている時には、睡眠状態と言われている」
「ふんふん」
素直は熱心に相槌を打った。
「……久田くんが実際に見たように、彼女は外見的には目を閉じて、言葉もロクに発さずに、眠っているように見える。けれど、どうやら脳波は起きている状態と変わらないようなんだ」
歯切れは悪くそっぽを向きながら、渡会は淡々と語った。
「ちなみに、外見的にはそう見えるというだけで、眠っているフリをしているという可能性はないのですか? 話を聞く限り、授業中に問題を答えることはできるようですし」
澄香が聞くと、渡会は顔をしかめた。
「難しい問題だな。脳波だけで睡眠状態と定義はできない。情報のインプット、アウトプットはできているということではあるし、眠った状態を装っているということも考えられる。意識があるかどうかについては、判断ができない。しかしな」
渡会は真剣な表情となった。
「以前の彼女の性格を考えると、暴力性に関しては不自然だと感じるんだ。眠そうでおっとりとしてマイペース。何かをされたとしても、静かに受け入れて動じない。そんな子供が、自衛のために暴力的になるというのは、なんとも不自然な気がする」
身体的な状態では眠っていることは否定されても、彼女の人となりから考えると、防衛のためであろう暴力行為はイメージにそぐわない。
眠っているか起きているか、そう判断するにはどうにも判断がつかないと、現段階では結論付けているようだった。
「貞彦さん。不幸にも猫之音さんから蹴られてしまった時、猫之音さんはどのような感じでしたか?」
貞彦は、猫之音にシャイニングウィザードをくらわされた時のことを思い出していた。あんまり思い出したくはなかったけど。
ばっちりと閉じられた瞳。体の力が抜けているらしいガクガクとした動き。普通ならためらいそうなくらいに思い切った膝蹴り。
「なんていうか、意識みたいなものは感じなかったと思う。ただ単に猫之音のシグナルに触れてしまって、自動的に迎撃された感じっていうか」
貞彦は、自分なりの感覚を伝えた。
目線は合わせてくれないが、渡会はパソコンに視線を落としながら頷いていた。
「……やはりか。実際に彼女に迎撃された者から話を聞いたが、久田くんと同じようなことを言っていた」
「意識があって行動しているというよりは、無意識的に行動している。与えられたプログラムに従って、最適と考えられる行動を実践する。そう考えると、彼女は自動的に生きているといった印象を受けますね」
澄香がまとめると、渡会も同意を示した。
「でもさー。じゃあどうしてそうなちゃったのかな?」
素直が何気なく言った一言で、全員が沈黙した。
あくまで仮説だが、猫之音は眠りながら起きているようで、自動的に生きているように感じる。
何かしらの原因があるのかもしれないが、それは誰にもわからなかった。
「心的外傷による反応で、彼は猫之音さんから避けるために過剰な観察を始めた。けれど、大きなダメージを負ったのは、彼だけでなくて猫之音さんも同じだった、とは考えられませんか?」
口火を切ったのは澄香だった。
香田は、小学生の頃に流行っていたいたずらを猫之音にしてしまってから、彼女はああなってしまったと認識していた。
肝心の内容はわからないけれど、その行為が彼女に大きな影響を及ぼした可能性は、無きにしも非ずだとは考えられた。
「眠れる森の美女を眠らせたのは魔女の呪いだったが、彼女を眠らせたのは外傷体験ということかもしれんな」
眠れる森の美女という話は、聞いたことがあった。
魔女の呪いによって眠り続けることになった美女が、王子様のキスで目覚める話だ。
sleeping beautyという英語題もつけられている。
「彼女にとっての王子様のキスとは、一体なんなんだろうな」
おどけるように渡会は言った。
それにしても、たとえとはいえ、渡会は案外ロマンチックなのかもしれないと、貞彦は思った。
「やっぱりさーあの人が何をしたのかわからないとどうにもなんないね」
素直が言ったことはその通りだった。
もしこの仮説が正しいとしても、その原因は香田が語らない限りわからない。
「とはいえ、言いたくないとおっしゃることを無理やり聞き出すことも、マナー違反だと思います。なので、彼が自分で話してくれることを待つしかないのかもしれませんね」
澄香がそう言って、素直は「そうだねー」と頷いて両足を放り出した。
少しだけ猫之音に対する理解は深まったが、今の時点では彼女に何かをできることはなさそうだった。
「私が直接調査に行ければいいのだが……」
渡会は悔しそうに爪を噛んでいた。
「直接行けない理由でもあるんですか?」
貞彦が聞くと、やっぱり渡会には顔を背けられた。
「……なんでもない」
本人にそう言われては、もう聞くことはできなかった。
「ありがとうございます渡会さん。お話ができたことで、この件に関するできることが見つかりましたよ」
澄香は晴れ渡った表情で言った。
謎が深まったばかりだと思っていたが、澄香は何かしらのヒントを見つけたようだった。
「猫之音が眠り続けている件については、私も純粋に興味があるんだ。情報提供をしたのだから、出来る範囲で構わないから報告してくれよ」
「ええ。ご協力いただき、感謝しております。私に出来る範囲のことで、渡会さんにも協力いたしますよ」
澄香はそう言って、生物化学室から出ていこうとしたので、貞彦と素直もお礼を言い、後に続いた。
「一つだけ言っておかなきゃいけないことがあった」
三人は振り向いた。
視線を感じたためか、渡会はうつむいたが、それでも口を開いた。
「ど、どんなに筋が通っているように見えて、正しいと思えるようなストーリーが完成したとしても、それが正しいとは限らない。あらゆることを疑い続けることが、真理へと至る道筋だ」
おどおどとしてはいたが、渡会は無事に言い切った。
澄香は笑顔を見せた。
「助言をいただき、ありがとうございます」
三人は丁寧にお辞儀をして、生物化学室を後にした。
「それにしても、渡会先輩って、なんだかよそよそしい感じだったな」
「そうだよねー。わたしとも全然目を合わせてくれなかったし」
二人が渡会について話し出すと、澄香はおかしそうに「ふふふ」と笑った。
「渡会さんはとても優秀で考察力に優れていますが、そんな彼女にも弱点があるのです。ちょっぴり、人見知りなんですよ」
なんとなく察してはいたが、やはりそうだったかと貞彦は納得した。
だからこそ、おそらく自分自身で猫之音について調査することに躊躇っていたのだと理解した。
「人にはやっぱり色々あるね」
素直が感想を述べると、澄香はいつも通り笑顔を浮かべた。
「完璧な人などいませんから、人間というのは面白いですね」
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