第4話 彼だけが抱える思い
黒田の活躍を見た翌日、相談支援部の部室に黒田が訪れていた。
澄香が黒田を呼んだ理由は、今後の方針の打ち合わせのためだ。
素直は大見と遊びに行ったため、不在だった。
貞彦は澄香の隣の席に着いた。対面に黒田が座る。
「まず、黒田さんの願いに対して、私たちができることは、シチュエーション作りのお手伝いといったところですね」
黒田の代わりに、思いを伝えるのでは意味がない。かといって、太田と大見を別れさせるなんてことは、倫理的にもありえない。
ましてや、実際に二人と知り合い、少しでも気持ちに触れた貞彦にとっては、友達を裏切る行為のようにすら感じる。常識という理由ではなく、心情としてやりたくなかった。
「シチュエーション作りか。それはもうとびっきりロマンチックな告白がいいな」
「ロマンチックなものというと、どういった感じでしょうか?」
澄香が質問すると、黒田はキザっぽく髪をかきあげ、瞳をキラキラと輝かせた。
「そうだな、まずは美香子の下駄箱に花を仕込んで」
「黒田さんはそういったものがお好きなんですね」
ニコニコとして澄香は答えているが、内容は肯定でも否定でもなかった。
それから十五分にわたり、理想のシチュエーションとやらを黒田は語り続けた。
貞彦は聞いているふりをしつつ居眠りをしていた。
たっぷり語り終えてご満悦の黒田。一方的に話を聞かされているにも関わらず、澄香は顔色一つ変えていなかった。
「黒田さんの理想については良くわかりました。自身の考えられる最上の考えがあるということは、とても素敵ですね」
「そんなに言われると、照れてしまうな」
相手への興味を示すように、澄香は前のめりに体勢をずらした。
「そんなに素敵な理想を語れる黒田さんの幼馴染さんは、さぞかし素敵な人なんでしょうね」
素敵な人という言葉に反応したのか、黒田の表情に真剣なものが混じった。
「あいつはまだ、子供だ」
今までとは違った、低く感情のこもった声色。
退屈を感じていた貞彦の眠気は吹っ飛んだ。
「といいますと?」
「あいつは昔から弱虫で泣き虫で、寂しがりやだった。何か怖いことがあると、クロにぃクロにぃって俺を呼びながら、服の裾をぎゅっと掴んで泣きじゃくる。そんな奴だった」
「随分と信頼されていたのですね」
「まあ、そうだな。友達と遊んでても、どこかに出かける時も、いっつもついてこようとしていたから、さすがにちょっとうっとうしいって思う時もあったな」
「それは大変な思いをされたのですね」
澄香は決して否定をしない。相手の気持ちを受け止めて、話を遮ったりはしない。
焚火を扇いでいるようだ、と貞彦は思った。
燃料を得た炎のように、相手の心は燃え上がり、勢いよく話しを重ねていく。
まるで他人を操っているようで、貞彦は尊敬の念と恐怖の念を同時に抱いていた。
「あまりにもうっとうしかったから、一度泣きじゃくる美香子を置いて、友達と遊びに行ったことがあったな。今思えば酷いことしたなって思うが、当時は自分の時間が一番だった。公園のベンチで置き去りにしたまま、さっさと遊具コーナーに移動したんだ」
酷い奴だなと貞彦は思ったが、大分口の滑りが良くなっている様子であったため、余計なことを言うのは控えた。
「それで、二時間くらい遊んでた時、もう美香子を置いてきたことも忘れてた。喉が渇いたからジュースでも飲もうと思って、自販機を目指したんだ」
「はい」
「意識したわけじゃなくて、たまたま自販機がそのベンチの隣に会ったからそこに行った。そしたら、まだそこに美香子がいたんだ。まだ涙ぐんでいて、全然その場を動こうとしなかった。なんていうか、飼い主と離れた犬みたいだった」
「それで、黒田さんはどうしたのですか?」
「まだいたのかって言うべきか、ごめんって謝るべきか、子供ながらに迷った。立ち尽くしてたら、美香子の方が俺に気づいたんだ」
「どうなったのですか?」
「クロにぃクロにぃって、俺の名前を呼びながら引っ付いてきたんだ。俺は抱きしめることも出来なくて、ただ茫然としていた。それで、少し怖くもなったんだ」
澄香は何も言わずに、黒田を見つめていた。
黒田は、感情をどのように表そうかと、慎重に言葉を選んでいるようだった。
黒田の視線は、少し斜め上の方を向いていた。誰かに言うでもなく、空っぽの箱に向かって独り言を言うように、ゆっくりと話し始めた。
「……俺がいなかったら、美香子はずっと、ここで待ち続けたんじゃないだろうかって。それで、俺は思ったんだ。この小さくてか弱い存在を、ずっと守り続けていかなければいけない……って」
澄香は、続きを促すかのように頷いた。
「美香子がからかわれたりした時は、率先して出て行った。寂しがらないように、出来る限りはそばにいたつもりだった。山や海に出かけたり、一緒にお祭りに行ったりもした。それだけ思い出を重ねてきたんだ。俺はきっと、誰よりもあいつのことを知っているはずなんだ」
なのに。
黒田は掠れた声で、ぽつりと言った。
「いつの間にか、彼氏なんか作って仲良くやっているところなんて見せつけられると、やっぱり納得がいかない。だってそうだろ。今まであいつを守ってきたのは、俺なんだから」
「きっと、そうなのでしょうね」
言葉では同意しつつも、澄香は右手と左手の親指をこね回していた。
表情には出なくても、貞彦にはわかっていた。
その仕草は、何かわからないことがあって、考えを巡らせている時に出てくる癖だった。
「いくつか、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいぞ」
「黒田さんは、交際経験はありますか?」
「まあ、二回ほどあるな」
「もしよろしければお答えいただきたいのですが、いつ頃、どのくらいの期間交際されていましたか?」
「一回目は、中学二年生頃に半年くらい年上の先輩と。向こうが卒業して、同い年の彼氏を作って終わったな。二回目は、去年の五月くらいから、一カ月前くらいまでかな。付き合ってそれなりに楽しかったけど、なんていうか、合わなくなって別れた」
「美香子さんが今の彼と付き合ったのは、いつ頃からですか?」
黒田はあごに手を当てて、考え込んだ。
「いつ頃からってのはわからないけど、実際に見たのは二、三週間前くらいかな」
「何か報告があったわけではなく、目撃をしただけだったのですか?」
「そうだな」
澄香の親指を絡ませる速度が速くなっていた。
「黒田さんを不快な気持ちにさせるつもりはなく、ただ純粋に気になるのですが、どうして美香子さんは黒田さんに連絡をしなかったんだと思いますか?」
「それは……」
黒田は答えに詰まっていた。苦悶に満ちた表情がにじみ出ている。
澄香は、ただ黒田を見つめ続けていた。何もかも見透かされているような、澄み切った力強い瞳。
貞彦は澄香のその瞳が、好きであると同時に怖かった。心の中に直接視線を送られているような、覗かれているような感覚になってくる。
悩む黒田と見る澄香。
先に根負けしたのは、黒田の方だった。
「三カ月くらい前かな。美香子から突然電話がかかってきたことがあった。いつもはメールだけだから驚いたけど、たまたま用事があって出られなかった。かけ直すことを忘れてて、それ以降は特に何もなかった」
「はい」
「けど今思えば、その時の電話は彼氏が出来たってことを、報告したかったのかもしれないな」
「言い辛かったでしょうけど、教えてくださってありがとうございます」
澄香は丁寧に頭を下げた。
そして、「これが最後の質問です」と一言添えて、微笑みを浮かべた。
「『星の王子さま』という物語を読んだことはありますか?」
質問内容が想定外だったようで、黒田は呆けた表情をしていた。
「いや、読んだことはないな。有名な小説だったっけか。あまり小説とか読むのは得意じゃなくてな」
「そうですか、わかりました。どうもありがとうございました」
澄香はもう一度、丁寧に頭を下げた。
「黒田さんは、美香子さんのことをとても大切に思っているのですね」
「ああ、もちろんだ」
「黒田さんは、きっと大丈夫ですよ。黒田さんと美香子さんにしかない、思い出があるのですから」
許しを告げるような、柔らかな声色で澄香は言った。
親指を絡ませる動きは、もう止まっていた。
相談支援部の部室内には、澄香のタイプ音のみが響いていた。先ほどの話などを、文章にまとめているようだった。
黒田が思いを告げる日を三日後に設定し、どのようなシチュエーションで行うのかについては、追って伝えるという約束をした。
貞彦は椅子に座って、ぼんやりと考え事をしていた。
澄香が聞いた内容の理由、その意図、思惑。
いくら考えても、貞彦にはわからなかった。
カタっ、という音とともに、澄香の動きが止まった。
「ずっと考え事をしているようですね。お疲れでしょうし、何か飲みますか?」
「いや、俺なんかより、澄香先輩の方が疲れているんじゃないか」
「私は大丈夫ですよ。それに、かわいい後輩にコーヒーを淹れることも、先輩の務めですから」
普通は年下が気を遣うものじゃないかなとは思いつつも、澄香がもう動き出していたので、貞彦は素直に甘えることにした。
角砂糖が二つ入った、甘めのコーヒーが目の前に置かれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ふーふーと息を吹きかけ、少し冷ましてから一口分含んだ。
「少しは疲れがとれましたか?」
覗き込むようにして澄香は聞いた。
「疲れてるっていうわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
「先輩は、一体何が知りたかったんだろうって、ずっと考えていたんだ」
黒田の思い出を聞いた理由。交際経験を聞いた理由。星の王子様を読んだことがあるかと、聞いた理由。
バラバラに渡されたパズルを組み合わせているようで、貞彦には澄香の考えがまるでわからなかった。
澄香は相変わらず笑顔だった。
けれど、謎を残す怪人のように、挑戦的な意思が瞳に宿っていた。
「すべて伝えてしまうことは、良いことばかりではありません。情報の中の空白を自分で埋めることで、それが考える力となるように思うのです」
「澄香先輩はブレないな。大事なことを全部は教えてはくれない」
「ふふ。そんな私は、嫌いですか?」
貞彦は、ゆっくりと首を横に振った。
「そういうわけじゃない」
「それは良かったです。貞彦さんに嫌われてしまっては、私も悲しいですから」
あからさまにほっとした表情を見せていたが、言っている言葉が真意であるとは、どうにも信じがたかった。
もし貞彦が澄香を嫌ったところで、受け入れられしまう気もするし、すれ違いも楽しんでしまえる澄香のことだから、嫌われることですら愉快に感じるのかもしれない。
何をやっても、何を思っても敵わない。そんな気がする。
「いじわるをするつもりはないのです。ですので、私が知りたかったことを一つだけお伝えしましょう」
貞彦は澄香の方を向いた。
右手でコーヒーカップを掲げ、上品な仕草で口につけていた。
いつもと変わらぬ笑みで、澄香は言った。
「私が知りたかったことの一つは、黒田さんがどうして今のタイミングで美香子さんと交際したいと思ったのか、ということです」
今のタイミングで交際したい理由。
あの質問でそんなことがわかるんだろうかと、貞彦は疑問に思った。
今になって交際したい理由。そりゃもちろん、彼女がいた方が楽しいだろうし、幼い頃から知っている相手であれば、気を遣うことも少ないかもしれない。
高校生ともなれば、異性への興味が特に大きくなる時期だ。当然貞彦も、出来ることなら彼女が欲しいとは思う。特定の相手はいないけれど、人並みにイチャイチャしたりドキドキしたいという願望は、ないわけではなかった。
今のタイミングに付き合いたいということに、明確な理由なんてあるのだろうか。
貞彦には見当もつかなかった。
「あの質問で、澄香先輩はその理由がわかったのか?」
「完全にわかったわけではないのですが、仮説はできました。後は仮説を裏付ける事実が揃えば、明確なものとなっていくでしょうね」
澄香は、自分のコーヒーを飲みほした。
「貞彦さんなりの方法で、一度考えてみてください。自分で考えて自分なりの答えを出す。この時以上に、楽しくなる瞬間は滅多にありませんからね」
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