第5話 デートという名の見張りという名のデート
「貞彦先輩ごめーん。待ったー?」
待ち合わせ時間の五分前になって、素直は小走りで貞彦の下へ駆けてきた。
膝上スカートにプリントTシャツ。ラフな気味な格好はとても素直らしいと思ったが、普段とは違い、髪をサイドにまとめており、軽くウェーブがかかっていた。
「いや、今来たところだから大丈夫だ」
言ってみたかったセリフが言えて、貞彦は満足した。
けれど、それは嘘だった。素直とデートをすることになり、初めてのことなので、何時には待ち合わせ場所についていればいいかわからなかった。
三〇分前には着いていなければならないと思い、二本も早い電車に乗った結果、四〇分前には待ち合わせの時計台前に着いていた。
しかし、そんなことは言わない方がいいという思いもあり、貞彦は長い時間待っていたことを隠し通そうとしていた。
「そんなに気を使わなくていいのに。本当はずっと前から待ってたんでしょ?」
一瞬でバレたことで、貞彦は動揺した。
「え? なんで知ってるんだ?」
あわやGPSでも付けられているのかと恐怖し、貞彦は自分の身体をまさぐった。
素直はおかしくて笑いだした。
「あははは。GPSでも盗聴でも盗撮でもないよ。ただ単に電車の中から先輩の姿が見えたんだよ。なんだかソワソワしている様子だったから、けっこう待たせたのかなって思っただけ」
「んぐっ」
もし次の機会があれば、待ち合わせは屋内にしようと貞彦は誓った。
「ほらほら早く行くよ。ターゲットは駅前の本屋で待ち合わせをしているっぽいからね」
急かすように、素直は貞彦の左腕に抱き着いた。
「ちょっ、おい」
「デートなんだからこれぐらいはするでしょ」
「こんなことを聞くのもあれなんだけど……慣れてるのか?」
貞彦がおどおどしながら聞くと、素直は非難するかのように目を細めた。
「先輩そのことを聞いちゃうなんて……正直引くよ」
「いや、あの……ごめんなさい」
貞彦は謝った。
マジ謝りだった。
素直は溜息を吐きだした後、一転して楽しそうに口角を上げた。
「おもしろそうだから答えは言わないでおこうかな。その代わり」
素直は貞彦を見上げた。憎たらしいような笑みだった。
「わたしを楽しませてくれたら教えてあげよう」
素直の要求に簡単に乗るのも抵抗はあるが、貞彦は観念して口を開いた。
「……わかったよ。俺なりにがんばるから」
「うむ。よろしい。では気を取り直して」
素直はおもむろにカバンからサングラスを取り出し、装着した。ご丁寧に、貞彦の分まで用意していたようで、生まれて始めてサングラスを着用する羽目になった。
「太田くんとオオミンのデートを見守ろう作戦開始!」
「おー」
素直のテンションに合わせて、力なく右手を上げておいた。
「ターゲット発見。二人は漫画コーナーで漫画を選んでいます。どーぞー」
「トランシーバー風を装おうな。隣の俺が見えんのか」
二人は本棚を二つ挟んだ旅雑誌コーナーから、太田と大見を観察していた。
大見は少女漫画らしきものを手に取り、ちらちらと隣を見ながら話しかけていた。どうやら、おすすめの漫画を紹介している様子だった。
大見が漫画本を置き、二人は奥のコーナーへと進んでいった。
目立たないように、普段の足取りで二人の後を追った。しかし歩幅の違いからか、普段よりも足を小さく踏み出さなければならず、歩き辛さを感じていた。
「今度は小説コーナーを見てるな」
報告をするように言ったが、素直からの反応がなく、気になったので様子を見てみると、とある漫画を手に取っていた。
子供の頃に読んだことのある、正義のヒーローが悪に立ち向かう王道の物語だった。
「その漫画、好きなのか?」
「あわっ」
話しかけると、素直はいたずらを注意された子供のように体をのけぞらせた。
「好きっていうか昔読んでたなーって思っただけだよ」
そう言いながら、素直は漫画を棚に戻した。
何でもないことだと口調では言いながらも、貞彦はどこか寂しさのようなものを感じ取っていた。
例えるなら、昔失くした宝物を思い出した、そんなような気持ち。
ふと、澄香に言われたことを思い出していた。
一番大切なこと。それは、相手に興味を持つこと。
「なんていうか……どうしてちょっとだけ、寂しそうなんだ?」
「えっ」
質問が意外だったのか、素直は珍しく表情を固まらせた。
しかし、次の瞬間には、いつものカラッとした笑みに戻っていた。
「貞彦先輩がそんな質問をするなんて珍しいなー。これもデートの魔法みたいなものかな」
「うるせえ。ほっとけ」
貞彦がそっぽを向くと、素直はにししと笑った。
「昔にちょっとだけ、ヒーローに憧れてたことがあってね。どんな悪も許さない。絶対的な正義の存在」
「それはなんというか、女の子らしくないというか」
「ヒーローは負けない。どんなピンチになっても正義を力に変えて悪に立ち向かっていく。そんな真っすぐでかっこいい姿を見て、自分もそうなりたいって思ったんだよ」
「思ったっていうことは、今はそうじゃないってことなのか?」
「んー」
素直はあごに指を当てて、斜め上を向いていた。必死に考えている様子だ。
「きっと今でもそう思ってるけど諦めちゃった部分もあるのかな」
貞彦はなんと言葉をかければいいかわからなかった。
普段から真っすぐな素直の言動や行動は、一貫した強さがあると感じていた。悪いことは悪い、良いことは良いという姿勢は、色々なことを知るほどに、出来なくなっていくことを知っているからだ。
何が素直をそのように変えたのかはわからないし、その結果である今の素直を咎める気にはなれない。
かといって、励ましてがんばれというのも、なんだか違う気がする。
こんな時、澄香であれば、素直の心を埋めてあげられるような言葉を伝えられるのかもしれない。
けれど、今何か言えるとしたら、それは俺だけなんだ。貞彦はそう考え、自分なりの率直な気持ちを伝えることにした。
「俺には何があったのかはわからないし、何か特別なことができるわけでもない」
「なんなんですかいきなり」
貞彦の唐突な発言に、素直は驚いて敬語になった。
構わずに貞彦は続ける。
「けれど、話を聞いて、一緒に悩むことくらいならできると思う。だから、良かったら相談してくれよ」
貞彦は真剣な気持ちで言いたいことを言いきった。
素直はキョトンとしていた。
「あっはっはっは。貞彦先輩らしくない」
腹を抱えて笑い出した。
自分なりの真剣さを笑われて、少しだけむっとしたのだが、同時に素直がいつも通り元気そうだったので、良かったという気持ちで温かだった。
「あーおもしろかった。さあ貞彦先輩。見失うといけないから尾行の続きとしようよ」
「了解。もう好きにしてくれ」
腕を組んで、二人の姿を視界に捉えながら、ゆっくりと歩き出した。
「六九点」
ふいに素直が言った。
「なんだよそれ」
「まあまあ嬉しかったよってことだよ」
「まあまあ、ねえ」
勇気とかっこつけの代価が六九点か。
納得のいかない顔をしている貞彦を見て、素直は組む腕を少しだけ強めた。
「良かったら、なんて言わなかったら八〇点かな」
素直は隣にすら聞こえないように、微かな声を空気に溶かした。
本屋を見回り、イタリアンがメインの個人定食屋で食事をして、ブティックやアクセサリーショップなどをウィンドウショッピングして周り、太田と大見は帰っていった。
貞彦と素直の二人は、反省会も兼ねて喫茶店で休憩することにした。
「普通に楽しくデートしてたね」
「そうだな。ちゃんと手もつなげるようになったみたいだし」
デートをしていた二人の様子を思い出す。
手をつなぎながらはにかんでいる姿。服一つ選ぶのにも、何度も体に合わせながらどっちがいいか悩んでいた。たまに会話が途切れたりしている様子も見られたが、それでも二人は端から見ていても幸せそうな様子だった。
貞彦はガムシロップ入りのコーヒーを一口飲んだ。
「それにしても、澄香先輩は一体どんな意図で二人を見張って来いって言ったんだろう」
「澄香先輩は貞彦先輩になんて言ってたの?」
「特に指示はなかったな。素直には伝えてあるってだけ」
澄香に言われたのは「私は用事があるので、お願いしますね」というだけだった。詳細は素直に伝えてあると言って、特にしてきて欲しいことなどについて、貞彦は聞かされなかったのだ。
素直は音を立てつつバナナジュースを飲みほした。もうちょっとだけお上品にして欲しかった。
「わたしにも指示はなかったよ。あっでも一つだけ言われたことがあったよ」
「なんて言われたんだ?」
自分には伝えなくて、素直だけに伝えられた内容というものに、貞彦は興味が湧いた。
今までの経験から、澄香の真意はそこに潜んでいると感じていた。
「貞彦さんとのデートを思いっきり楽しんできてくださいね。そう言ってたよ」
貞彦はわかりやすくズッコケそうになった。
「それだけ?」
「それだけ」
貞彦は再びズッコケそうになった。
貞彦は澄香のことを、わかるようでわからない人だと評価していた。
というのも、経験上の澄香は、大切なことを言うことと、言わないことの両方があるのだから。
今回の出来事についても、意図があって言わなかったのか、それとも言ったことがすべてなのか、判断がつかなかった。
「お待たせしました。イチゴパフェです」
悩んでいると、店員がイチゴパフェを運んできたので、貞彦が受け取った。
「あー貞彦先輩。知らない間にイチゴパフェなんか頼んでたんだー。ずるーい」
好物であるイチゴパフェを前に、素直は獲物を狙う獣の瞳となった。
恐怖を感じた貞彦は、焦り気味に訂正をした。
「違う違う。これは素直のだよ。前に好きだって言ってただろ」
獲物を狙う瞳から一転、素直は目を輝かせた。
「えーわたしのために? 貞彦先輩だいすきー。いただきまーす」
「……なんてわかりやすい奴なんだ」
イチゴパフェを食べながら「んー」と手足をばたつかせている素直を、貞彦は眺めていた。
結局最後まで澄香の意図はわからなかったけど、そんなに悪い気はしていないことに、貞彦は気づいた。
「ねー先輩。今日の始めに腕を組むことに慣れているか聞いたよね?」
「ああ、そうだったな」
すっかり忘れていたけれど、覚えているふりをした。
「ちょっと年の離れたお兄ちゃんとよく出かけてたんだ。けっこう大人びた喫茶店だったりアウトレットやデパートなんかにも連れてってもらってたんだ」
「そうだったのか」
「わたしよりも大分大人びていてなんでも知ってるお兄ちゃんは尊敬できる人だったと思う。年も離れてたから可愛がってもらえたし」
楽しそうに語る姿は、今よりも幼い少女のようだった。
けれども、一瞬だけ表情が曇ったところを、貞彦は見たくもないのに見てしまった。
「お兄ちゃんお兄ちゃんって腕に引っ付いて甘えてたなー。今はもうそんなことできないんだけどね」
表情が曇ったのは一瞬だけで、再びイチゴパフェに口をつけると「んー」とまた手足をバタバタさせていた。
この話はおしまい。
そう言っているようだったので、貞彦はもう追求しようとはしなかった。
「ねー先輩」
「なんだ?」
「わたしはまあまあ楽しかったけど先輩はどうだった?」
貞彦はコーヒーを一口飲んだ。
ガムシロップ入りのため、ちょうどいい甘み。
「まあまあ、楽しかったよ」
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