第241話 誕生⑪
その一口が、彼らを覚醒させた。
「「アァ、カァ、カアアァァァッ!」」
まだ辛うじて人間の姿を保っていた信者達が、複数の獣の声を混ぜたような耳障りな声を発したかと思うと、皮が剥がれ、純黒の怪物が出てきたのだ。
人型をしているが、全体的にのっぺりとした表面。目らしき部位は顔の中心の一つだけで、両手足の指は三本。やや猫背気味で、ゆらゆらとまだ揺れている。
ただ、獲物を前にしては、ずっとぼんやりとはしていないようだ。
「ぎゃびいいいいぃぃぃッ!?」
頭の半分を失った憲兵の血の臭いを嗅ぎつけたのか、怪物達は顔の下半分を埋め尽くすほどの巨大な口を開くと、一斉に憲兵に群がり、その血肉を喰らい始めた。
一人の人間に対し、十匹、二十匹、もっと。まるで空腹の獣を飼っている檻に生肉を押し入れた時のように、彼らは骨一つ残すまいと言わんばかりに貪り続けている。人の死骸、死の瞬間など何度も見てきた『明星』の面々ですら、慄いている。
「……人間が……人間を、食べてる……!?」
「いや、もう人間じゃねえ。外神の従僕、化け物に変わっちまってる。目に映る生き物全てを喰い尽くす、この世を終わらせる尖兵にな」
呆然と眺めるばかりのハーミス達だったが、いつまでも傍観者ではいられない。
すっかり憲兵を喰い尽くした怪物達は、既にこちらを見つめていた。捕食していた者だけではなく、並んでいた者も、この場にいる怪物が、全て。
「カアァ、アァ!」「ギギャア、アーガァッ!」
ハーミス達を次の餌と定めた連中は、奇声を上げながら走り寄ってきた。
決して早いわけではない。寧ろ鈍いと言ってもいいくらいだが、のたうつような走り方と耳を劈く声、魔物の如き巨大な口を開いてやって来る様は、全員に言いようのない恐怖感を与え、足を止めさせた。
このままでは喰われるという状況で動けたのは、モルディとカナディ、ハーミスだ。
「見てます、ハーミスさん! あの化け物、こっちを見てます!」
顔を見合わせた三人の結論は、当然決まっていた。
「まずい、逃げろ! 宮殿に集まるんだ、急げ!」
明らかに焦ってる様子のハーミスの指示を聞いて、ようやく一同は踵を返して走り始めた。亜人達の身体能力ならば、怪物には追い付かれないだろう。
ただ、宮殿まであの敵が追いかけてこないとも限らない――というより、十中八九追いかけてくるし、そうなれば大惨事は免れない。ハーミスはまだ近くに残っているモルディとカナディに、ある頼みごとをした。
「モルディ、カナディ! 先に行って、なるべく全員を一か所に集めておいてくれ! 俺がここで時間を稼ぐ!」
「「了解です!」」
二人が疑問を抱かない純朴な性格なのが、ここでは有り難かった。
強く頷いて走り去る二人の背中を見つめ、振り返ると、既に目と鼻の先まで怪物達は迫って来ていた。自分を喰おうとする連中に、ハーミスは装甲を展開し、レンズの開いた義手の掌底を向ける。
赤い光が掌に集中し、怪物が彼に触れるより先に、ハーミスは吼えた。
「さあて、どれほどの能力か……『砲撃形態』、『拡散』!」
同時に、無数の赤く細い魔力の光が、掌底から発射された。文字通り拡散し、枝分かれするかのように放たれた光は、周囲の怪物のほぼ全てを貫通した。
「「ギイイイガアアァァ!?」」
足が吹き飛び、腕が千切れる。顔に風穴が開いた者までいるが、彼らは悲鳴を上げるばかりで、全く斃れない。百匹近い怪物に攻撃を叩き込めたが、一匹も死んでいない。動きは止められるが、これでは不死身も同然である。
(防御力は大したことねえが、手足どころか頭をブチ抜いても動きやがる! 心臓だって同じだ、ゾンビどころの生命力じゃねえぞ、こいつら!)
そんな相手といつまでも戦ったところで、こちらが不利になるのは目に見えている。
(ここは逃げるしかねえ、相手してたらキリがねえよ!)
拡散する砲撃をもう一発お見舞いし、再び体が爆発四散した敵が暴れている間に、ハーミスはモルディ達の後を追うように走り出した。
亜人達が走るよりも、ハーミスはずっと速い。敵の足止めに成功したのを感じ取ったハーミスがだっと駆け出し、宮殿前の庭まで戻ってくるのは、そう時間はかからなかった。いつ敵がここに来るか分からない以上、なるべく早めに動くのが正解だ。
「モルディ、カナディ、戻ったぞ! 全員を集められたか!?」
庭の中に入り、開口一番に叫んだ彼に、モルディ達が答える。
「は、はい、どうにか!」
聖宮殿の前には、既に『ゼウス』と『明星』のほぼ全員で間違いない人数の亜人とペットの魔物、ハーミス一味が集まっていた。あまり時間もなかっただろうに、ほんの僅かな間で説得し、ワイバーンまでも集合させたモルディ達は、流石隊長クラスのエルフだ。
二人の仕事ぶりに感心するハーミスに、クレアが詰め寄ってくる。
「ハーミス、何があったの!? いきなり庭に集まれって、通りで何が起きたってのよ、説明くらいしなさいよ!」
「今はそんな余裕がねえ、後で話す! 『探知器』、座標指定! 目標、ベルフィ!」
クレアの怒鳴り声を軽く流し、ハーミスは探知器に、ベルフィの位置を検索させた。
『明星』の総隊長であるベルフィなら、確かレギンリオルの西部で戦っていたはずだ。ならば、自分達と同じような状況に陥っているかもしれないし、分断するより集まった方が良い。何より彼女や仲間達も心配だ。
ただし、東から西へ座標を探し出すのには、まだ時間がかかる。ぐるぐると忙しなく動く探知器の瞳がまだ留まらないうちから、遂にあの奇声が、庭にも聞こえてきた。
「……クレア、皆、あれ!」
人型に戻ったルビーが指差した先には、通りから此方に走ってくる、黒い怪物。体を欠損している者も、無傷の者も、ぎゅうぎゅう詰めの庭に、構わず突進してくる。
「何ですか、あれは……こちらに迫ってくるようですが……!」
「なんじゃ、あのバケモンはぁ!? 『ゼウス』、追い払うぞ!」
冷や汗を流すエル。理解こそしていなくても、クレアも驚愕し、言葉を失う。
隣でリヴィオ達ギャングが武器を構えようとしたが、ハーミスが制する。
「駄目だ、今、あいつらをまともに相手する余裕はねえ! いったん撤退する!」
「撤退するって、どこにだ、ハーミス!?」
「ここにいる全員を、『明星』の本隊と合流させる! いいか、余計なことは考えないで俺を信じろ、全員で手を繋いで、俺の周りに来い!」
いつになく必死なハーミスの言葉に従い、全員が手を繋ぎ、触れる。その挙動を待っていたかのように、探知器の目が留まり、遥か西の方角を睨みつけた。
つまり、瞬間移動の準備が整ったのだ。
「……見つけたぜ、ベルフィ! 変なところに居ててくれるなよ、欲を言えば平坦なところに居てくれよ――お前ら、行くぞ!」
ハーミスの瞳が、七色に輝く。
誰も彼もが、状況も、今から何が起こるかも理解していないが、ハーミスを信じる。迫りくる謎の敵から、美味く脱出できる手段を使おうとしていると、信じている。
奇怪な声が襲ってくる。最も近いエルフに、手を伸ばそうとして――。
「――
手は、空を切った。
『明星』も、『ゼウス』も、ハーミスも、クレア達も、全員が姿を消した。
破壊された宮殿と庭が、最初からそうであったかのように。まるで、初めからここに誰もいなかったかのように、全ての亜人と魔物が、いなくなった。
怪物達は、彼らを探そうとはしなかった。いや、探したところで無駄だろう。
一行は遠く離れた、レギンリオル本土の東部へと、瞬間移動したのだから。
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