第238話 誕生⑧

 

「……ッ!?」


 瞬きもしていないし、今度は意識を一つも逸らしていない。なのに、魔力弾は虚しく空を切って、何にも当たらなかった。これがハーミスのスキルの力だと察したサンは、魔力弾を隔絶するよりも先に、自分の周りをスキルで切り離した。

 ただ、やはり彼女は忘れている。さっき、自分が完全だと思った防御を、彼が簡単にスキルで破ったのを。今の行動は、決して良策ではないのだと。


「――おい」


 声と共に、サンは後ろから肩を叩かれた。

 まさか。怖気を覚えながらも振り向いた、サンの視線の先にいたのは、やはりハーミスだった。にっこりと笑顔を見せる彼は、右の拳を握り締めている。


「ハーミス、どうしぶっぐ」


 彼の拳が叩き込まれたのは、またも顔面だった。

 今度こそ、サンの鼻がへし折れた。歯が口の中で何本か折れた。そんな激痛に耐えながらも、追撃を受けないように、よろめく彼女はハーミスから目を逸らさなかった。


「どこ見てんだ、おい」


 目を逸らしていないのに、またも彼は眼前にいなかった。

 声がしたのは、サンの真後ろ。倒れ込もうとした方向に――『隔絶』アイソレーションされた空間の中に、これまたハーミスが立っている。同様に肩を叩き、彼女を支えて。

 尤も、優しさで支えたわけではない。しなりを効かせた右腕の裏拳で、サンの頬を叩き潰してやる為だ。首が一蹴するのではないかと思うほど回転し、口内から歯が飛び出す。

 肉体はそう強くない方のサンにとって、戯れ程度の攻撃でも大きな負傷に至る。ただし、賢者と名乗るだけあって聡明なサンは、三度瞬間移動したハーミスが、何をしようとしているのかくらいは察していた。

 瞬間移動し、殴る。再度移動して、殴りつける。

 倒れる余裕を一切与えず、ハーミスはサンの体、もとい顔を徹底的に破壊し尽くすつもりなのだ。その証拠に、彼は顔面以外の部位を一つも殴らず、なのに顔に対してはワープする度に拳を叩き込む。

 もしや、ローラに会わせる顔もないくらい痛めつけるつもりだろうか。

 それがハーミスの復讐なのかと思うと、激痛の最中に、サンは怒りを燃やし始めた。


「――来い、聖光兵っ!」


 サンの叫びに応じて、ハーミスの周りから光が溢れ出したかと思うと、白く輝く兵隊が現れて、槍を持って襲ってきた。これだけの数の敵を相手にすると流石に体勢を整えなおさないといけないのか、ハーミスはサンから離れる。

 空間を隔絶するのが無意味なら、聖なる魔法で正面から攻撃してやればいい。彼女が召喚した十体の聖光兵は、全てがクレア達が苦戦したあの兵隊と同様の力を持つ。


「殺せ、串刺しにしてやれ!」


 血塗れの顔を引き攣らせるサンの命令に従い、聖光兵が飛び掛かる。ハーミスはというと、特に義手を構えるでもなく、逆にズボンのポケットに手を突っ込んだ。


「あのな、お前でダメなのに、なんで雑魚で殺れると思うんだ?」


 それだけで十分だった。

 ハーミスが手を出すまでもなく、彼らの手元から光の槍が消失していた。兵隊達が違和感に気付くよりもずっと早く、全ての聖光兵の頭に、消失した槍が突き刺さった。

 たった一撃。クレア達が苦戦した聖光兵が十体、その全てが瞬間移動させられた槍に貫かれ、床に触れる前に消滅した。『探知器』が聖光兵を見つめているのに気付いていれば、もう少しましな対処法がサンにも取れただろうか。

 いや、きっと意味はない。もう、サンの全ての力に価値はない。


「ぼさっとしてんなよ!」


「がぎぃッ!?」


 唖然とするサンの頭に、瞬間移動したハーミスのかかと落としが命中した。

 脳が揺れる感覚に吐き気を催すが、嘔吐する暇も与えられない。足が当たったのと同時にハーミスは消え、サンの正面に現れ、ぐらついた顔面を蹴り上げる。

 砕けた顎を天井に向けるのも許されず、逃げる為に隔絶する余裕も与えられず、サンはただただひたすら、ハーミスに殴られ続ける。顔面ばかりを、執拗に。


「なんで顔ばっかり殴られてるか、分かるか? お前の姉と――リオノーレと同じ目に遭わせる為だよッ!」


 賢者の考えは、間違いだった。正解は、かつて獣人街の戦いで死んだリオノーレと同様の死を与えるという、ハーミスなりの自己満足の犠牲にする為だったのだ。


「ぐぼ!? おっご! が、がぎ、あごぼぇ!?」


 麗しき賢者の様相など、どこにもない。倒れることも許されず、顔面が骨ごと変形し、右の眼球が飛び出す。痙攣が止まらず、衝撃で舌を噛み切ったのか、血も溢れ出している。それでもなお、ハーミスは拳を止める気にはならなかった。


「……おっと」


 ならなかったのだが、サンの微かな抵抗を察知し、ようやく彼は拳を止めた。

 サンは、彼の腕に触れ、義手をどこか別のところに飛ばそうとしていたのだ。生物ではないものであれば隔絶できる特性を活かし、せめて義手だけでも奪い取ろうと。

 しかし、当然ハーミスには通用しない。義手にサンの指先が触れる直前に、彼の右腕が彼女の腕を掴んだ。そのままへし折ることもできたが、彼には別のやり方がある。


「俺の腕を隔絶しようとしたのか。くだらねえこと、できねえようにしてやるよ」


 ハーミスがサンの腕を握る手に力を入れた瞬間、彼女の腕は『転移』ムーブした。


「――っぎゃああああぁぁぁぁ!?」


 最初からそこになかったかのように、サンの腕が消えた。鋭い刃で斬り落とされたかのように肘から先が消え、ぼとりと少し離れたところに落ちたのを見て、サンは絶叫した。

 ここまでやって、ハーミスはサンに、地面にへたり込んで悶え苦しむ権利を与えた。


「無駄に反撃しない方が良かったな。もっと苦しむ羽目になるってのにな」


 ただし、終わりにするつもりはない。じたばたと苦しむサンの残った腕をハーミスは掴み、再び転移させた。今度は肩から先を、隊服諸共千切り飛ばしたのだ。


「んぎゅううう!?」


 両腕がもがれたサンは、床に這いつくばる。ハーミスは彼女の後ろからしゃがみ込み、両足に触れると、太腿から下を二本分、綺麗に切り離した。


「あ、あっ、あぎゃぎいいいいいぃぃぃ!」


 こうして、あっという間に、ハーミスが望むサンの姿が完成した。即ち、全能を謳っておきながら四肢をもがれ、顔が潰れ、サンであるかも判別できない賢者の姿だ。芋虫のように這い、魔法も、スキルすら使えない、無様の究極形だ。

 さて、こうしたならどうするのか。ハーミスはあえて、彼女に手を出さなかった。

 下劣な趣味だと分かっていながら、それでもハーミスはただ、聖女の像に向かって這ってゆくサンを見つめていた。何をしようとしているのかは、察していた。


「……けて……ローラ、助げで……助げで、よう……」


 敗北した彼女は、聖女へと助けを請うだけの無能と化していた。

 息を荒げて、どうにかこうにか聖女の像の下まで辿り着いたサンは、潰れた顔を像の足元に摺り寄せながら、必死に愛する者の名を呼び続けた。

 だが、結果など見えている。呆れた様子で、ハーミスが言った。


「……来るわけねえだろ、ローラが。もし来るんだったら、他の『選ばれし者』がやられてるって時にも助けに来てたっての」


 ローラは来ない。ここまで追い詰められても自発的にやって来ないのだから、今更正義の味方気取りで来るはずがない。恩を売る為に引き延ばしているのだとすれば、ここまで敵に好き勝手やらせているのだから、とんだ薄情者だ。

 ハーミスでなくとも、考えずとも分かる。認めたくないのは、サンだけだ。


「そ、ぞんなわげ、ない……私は、特別……だがら……」


「だったらどうして、こうなる前に来ねえんだよ。いい加減気づけって、『選ばれし者』は全員、ローラの道具だ。あいつの破滅願望を叶える為の道具なんだよ」

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