第237話 誕生⑦


 クレア達が聖光兵を倒す光景は、賢者の間にも映し出されていた。


「……聖光兵が、あんな亜人風情に……」


 サンは、ただ驚くだけでなく、怒りを隠し切れていなかった。白い光の長方形を自ら砕くほど苛立っている彼女は、まさか聖光兵を倒されると思っていなかったようだ。

 反逆者を皆殺しにして、ハーミスの心に傷を負わせる、余裕に満ちたサンの目的は、果たして軽々と打ち砕かれた。一方でハーミスはというと、にやにやと笑っている。


「……何事も計画通りに行かねえってのは、そんなにムカつくか? 賢者サマが馬鹿みてえに顔歪ませてよ、みっともねえぜ」


 ルビーが死ぬ瞬間にはハーミスも慌てたが、ワイバーンの介入と一同の奮起で、戦況はあっさりとひっくり返った。よくよく考えてみれば、彼女達はハーミスがいなくても、何度も危機を乗り越えてきたではないか。


「ま、俺もちょっと焦ったんだがよ……あいつらが負けるわけねえわな。戻ったら、ちゃんと謝らねえとな。ちょっとだけ疑っちまったってよ」


 伝える事柄が一つできたハーミスの言葉を聞いて、サンはぎろりと彼を睨む。


「戻る? 私のスキルから逃げられると、そう思ってるの?」


「思ってるよ。お前さ、聖光兵がやられそうって時から、俺に全く意識を向けてなかっただろ? 気づいてないのか、もう俺が『通販』オーダースキルを使ったのに?」


 ただ、睨むのが少しだけ――彼に注意を払うのが少しだけ遅かったようだ。


「……!」


 驚くサンの前で、ハーミスは既に『注文器』ショップを使い終わり、彼の背後にはいつもの暗黒空間が発生していた。即ち、ハーミスが『通販』スキルを使った証拠だ。

 その二つ目の証拠として、暗い闇の中から、バイクに跨った全身黒づくめの女性がやってきた。彼女の駆るバイクの後部には、いつも通りアイテムが乗せられている。


「お待たせしました、『ラーク・ティーン四次元通販サービス』でございます」


 配送者、キャリアーがハーミスに渡したのは、掌大の黒い球体を二つと、金色に光るカード。いずれもサンが見たことのない物だが、彼女も情報は得ている。あれはこの世非ざる力を持ち、仲間達はいずれもあの力でやられたのだと。


「ゴールドシップ限定商品です。またのご利用お待ちしております」


 キャリアーが仕事を全うして去っていくのを見つめながら、サンは言った。


「……さっきの人がアイテムを持ってきてくれる、それがハーミスのスキルだよね。聖伐隊の隊員から、話は聞いてるよ」


「正確には、買ったんだけどな。しかも、こいつは結構特殊なもんなんだ」


 彼が職業とスキルを得るカード、通称ライセンスを翳すと、球体にも変化が起きた。

 球体の中心が開いたかと思うと、そこから瞳のような部位がせり出したのだ。

 確か、レギンリオルから遥か遠く離れた地域には、ゲイザーと呼ばれる魔物がいたはずだ。眼球のみを体とする不気味な魔物で、無機質さを除けば、それにそっくりである。

 ハーミスの周囲をぐるぐると、ペットのように飛び回るアイテムを撫でながら、彼はサンを見下すように、鼻で笑った。


「ライセンスの持続時間が他と比べて十分の一、しかもこの『浮遊型全方位魔力座標探知機』と併用しないと真価を発揮しないなんて、面倒だと思わねえか?」


 サンとしては、話の内容が不明なだけでなく、見下されているように思えて、不愉快極まりなかった。先程までの余裕など、もう表情には欠片も浮かんでいない。


「何を、何を言ってるの?」


「ああ、そうか、説明しても分からねえよな。じゃ、いつも通り体で覚えさせてやるよ」


 そう言うと、ハーミスは右手に持ったカードを砕いた。光の粉となり、彼に纏わりつくそれらを見たサンは、彼の挙動を警戒し、自らもスキルを発動させた。

 つまり、自分の周囲を、賢者の間の空間から隔絶したのだ。ハーミスからは見えないが、サンの視界には、分断された世界だけが薄暗く染まっている。つまり、この圏内に相手が入って来ようとすれば、擦り抜けて明後日の方向に行ってしまうわけだ。


「何をするつもりか知らないけど、こうして『隔絶』アイソレーションすれば攻撃は当てられないよ」


 ハーミスの左目が、黒点を中心に七色に染まろうと、攻撃は当たらない。ローラからもらったこのスキルを使えば、自分は世界と断絶され、何物にも触れられない。


「どうだろうな、余裕かましてると痛い目見るぜ?」


「やれるなら何でもしてみていいよ? 私には触れられない、絶対に――」


 絶対に攻撃されない。そのうち、絶対に、までは口にできた。

 後の言葉は、喉の奥からすら出てこなかった。


「――ぶっ」


 理由は簡単。ハーミスの右拳が、サンの顔面に直撃していたからだ。

 黒い義手の内側で、血が噴き出す。かつてユーゴーを殴った時のように、リオノーレを殴った時のように、『選ばれし者』を殴った時と同じように。

 隔絶した世界の間に入られた。薄暗い闇の空間の中に入ってきた。

 どうしてか、何故か。原因を考えるよりも先に、ハーミスによって拳を振り抜かれたサンの体は物理法則に従い、凄まじい勢いで後方に吹っ飛んだ。


「ご、ぶお、があああぁぁッ!?」


 サンの華奢な体は何度も宙を回転し、聖女の像に激突して止まった。像よりも脆い彼女は、へし折れた鼻を、顔に触れた時に両手にこびりついた血をわなわなと震えながら凝視した後、親の仇であるかのようにハーミスを睨んだ。

 しかし、ハーミスは隔絶したはずの空間にはいなかった。どこに行ったのかと、サンがきょろきょろと周囲を見回すと、ハーミスはさっき立っていたところに、悠然といた。

 一体、いつの間に。第一、あんな速度で移動できるはずがない。そもそも、隔絶した空間の間に介入するスキルなど、サンは全く知らない。

 どうして、何故、どうやって。息が荒くなるほど考え込むサンに、ハーミスが言った。


「触れられないって、誰がだ? お前の顔面を潰した、俺がか?」


 実際のところ、考えても仕方がない。ハーミスが持つスキルは、職業は、この世界には存在しない。だから、彼の説明が全てだし、以上でも以下でもない。


「一応説明しといてやるよ。今の俺は『転移者』、スキルはそのまま『転移』ムーブだ。能力は簡単、俺の魔力が続く限り、指定した場所への瞬間移動が可能になる……俺が触れたもの、俺自身、有機物、無機物、空間でも移動させられる」


「……まさか、今のは!?」


「そうだ、お前が隔絶した空間の間に、俺が移動したんだ。こいつらがお前の存在と魔力を探知する限り、お前はどこに行っても逃げられないし、攻撃を防げない」


 だから、彼の能力は説明した通りだ。

 サンが空間を『隔絶』するなら、ハーミスは空間どころか、あらゆる物質を『転移』する。いかにサンが逃げようとも、分け隔てた世界の中に介入し、彼は攻撃を繰り出す。

 恐らく、ハーミスの周囲を漂う目のような装置が、サンを捉えているのだろう。あれによって彼女がどこにいるか、自分がどこへ移動するかを特定し、瞬時に空間の間をジャンプする。こんな強力なスキルなら、通常よりも使える時間が短いのも頷ける。

 そして何より、『転移』は『隔絶』を、あらゆる面で上回る。『選ばれし者』の中では比較的聡い方の彼女も事実に気付き、怒りを不安と恐れへ変えていく。

 表情の変化を見抜いたハーミスは、右手の指をくいくいと動かし、挑発しつつ言った。


「――つーわけで、フルボッコタイムの始まりだ。覚悟しろよ、サン」


 ハーミスの挑発に、サンはあっさりと乗った。


「たかが一撃を入れたくらいで、調子に乗らないで!」


 サンの周囲に浮かんだ十発の魔力弾が、ハーミスに向かって放たれた。光の軌道を描いて放たれた弾丸は、さっきと同じように、ハーミスを追尾して攻撃する魔法だ。

 隔絶された魔力弾は、明後日の方向から相手を襲う。サンの最も得意とする攻撃で、ハーミスはさっきまで手も足も出なかった。

 しかし、今は違う。ハーミスが指を鳴らすと、彼の周りにいる『探知器』が、サンを見つめた。巨大な瞳とサンの目が合った途端、魔力弾がハーミスに直撃する寸前に、彼の姿はサンの視界から完全に消えた。

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