第239話 誕生⑨


 現実を叩きつけられたサンは、ハーミスと向き合う。四肢の痕跡から流れ出る血は床を赤く染め上げ、彼女の体までも濡らしてゆく。


「……ハーミズ……どぼぢで、ごんなごど……」


 現実を直視しないよう、話を逸らすつもりだろうか。くだらない質問ではあったが、サンを絶望させてやる意味合いも兼ねて、ハーミスはしっかりと答えてやった。


「どうしてこんなことって、決まってるだろ。お前らが俺を殺したんだ、その復讐だよ。まさか、世界の平和を守る為だとか、世界の破滅を防ぐ為だとでも思ってたのか? それとも、お前ら正義の味方に反逆するダークヒーローだとでも?」


 サンからの問いは、ハーミスからすれば果てしなくくだらなかった。

 復讐の動機でも聞いて、説得しようとでも思ったのだろうか。そんな理屈が通用するのなら、ここまで幼馴染連中は殺されていない。

 少なくとも、のたうつだけの狂人にかけてやる情けなどない。


「理由なんて、殺されたってだけで十分だ。正論なんて求めてんじゃねえ、芋虫女」


「い、いぼぶじっで、よぶなあぁ……!」


「そうだな、芋虫に失礼だ。あいつらは蝶になれるけど、お前らはどこまで行っても薄汚え下衆のまんまだもんな。だったら、下衆に相応しい最期をくれてやらねえとな」


 さて、くだらない問答に付き合うのはここまでだ。これからサンを殺し、ローラを探して復讐を果たさないといけない。本当なら、さっきの話に付き合ってやる必要もなかったのだから。

 ハーミスの様子が変わったのに気付いたのか、サンはまた、ローラの像に助けを求める。ずるずると必死に腹で這い、涙と鼻水で潰れた顔を汚し、救世主を呼ぶ。


「ぐぎぃ……ローラ、ローラぁ……」


 あんまりにも無様な姿を見ていたハーミスは、流石に顔を顰めて、冷たく言い放った。


「だから来ねえって、いつまで言ってんだ――」


 その時だった。

 穏やかで、それでいて抑揚のない声が、ハーミスの後ろから聞こえた。


「――呼んだかしら?」


 咄嗟に、ハーミスは振り返った。視線の先に誰がいるのかを知っていても、三年ぶりに邂逅する諸悪の根源だと知っていても、振り向かずにはいられなかった。

 彼の視線と、探知器が指し示す先に立っていたのは――やはり、ローラだった。

 純白のローブに身を包んだ、美しいブロンドの少女。金色の瞳も、体躯も、三年前と不思議と変わっていないように思えたが、目の奥に垣間見える果てしなき虚無だけを、ハーミスは見逃さなかった。


「ろ、ローラぁ……!」


 ようやく来てくれた救世主の存在に、サンは振り向き、無い両手足をばたつかせて喜ぶ。ハーミスはというと、最大の仇敵が眼前にいるのに、義手も、武器も構えなかった。

 そんな彼の目だが、漆黒の炎を黒点に携えていた。間違いなく憎しみだけは燃やし続けていると知りながら、ローラは口元に手を当て、静かに笑った。


「……あら、撃たないのね。三年ぶりの再会を、喜んでくれてるのかしら」


「てめぇがここに来た理由を、聞いておきたくてな。頭をブチ抜くのは、その後だ」


 左手の指を鳴らすハーミスの後ろで、サンが窪んだ口を吊り上げ、ローラに言った。


「理由なんで、ぞんなの決まっでるでじょ! わたじを、だずげに……」


 しかし、返ってきたのは、誰もが予想した通りの答えだった。


「いいえ、違うわ、サン」


「………………ぇ?」


 ローラはさも当然であるかのように、サンへの助けを否定した。

 いや、拒んだと言った方が正しいかもしれない。彼女は寧ろ、サンよりもハーミスに関心があって、黄金炉のある地下から、ここに来たようにも見える。


「ハーミスにあることを伝えに来たのよ。もう、聖伐隊も聖女の塔も、何もかも必要なくなったわ。そこのサンが、時間を稼いでくれている間に、『門』を起動するだけの力が完全に溜まったの。それだけ」


 聖女がハーミスに告げたのは、最悪の事実だった。

 サンがハーミスと戦っていた時間は、ローラにとってはありがたいことだった。ただし、愛情などまるで関心のない、あくまで時間稼ぎとしての価値だけだったが。

 ハーミスがサンと戦っている間に、エネルギーは充填され、『門』を動かす準備は整ってしまっていたのだ。つまり、本人の意図していないところで、彼はまんまとローラの計画を見過ごしていたこととなる。

 こんなに早く計画が進んでいたとは、と苦々しく思うのを悟られないように、ハーミスは努めて余裕を装い、ローラに言い放った。


「それだけかよ。わざわざ伝えに来てくれるとは、随分余裕じゃねえか」


「ええ、それだけ。もっと驚くと思ったのだけれど……」


「むじずるなああぁぁ! ロオォォラアァァ!」


 豚の鳴き声よりもずっと醜いサンの声を聞いたローラは、心底面倒臭そうなハーミスとは違い、表情一つ変えなかった。ただし、彼女の行動はそうではなかった。


「……サン、貴女に用があるとすれば、一つだけよ」


 自分が殺した相手でもあるハーミスの隣を、さも当然であるかのように歩いていくローラは、顔が傷と液体でぐちゃぐちゃになったサンの前に立つ。

 そして、事もなげに、さらりと言った。


「返してもらうわ。私から貴女に授けた全てを、道具に預けておくには勿体ないもの」


「へ、な、なにをいっでむぐぶぅ!?」


 次の瞬間、ローラは大きく開いたサンの口に、自らの右手を突っ込んだ。


「あ、あが、がああ、おご、おごごごごごごおおおっぉおおぉ!?」


 驚愕するハーミスから見ても、腕が前腕丸ごと、サンの喉に入っている。しゃがみ込んだローラが手を動かす度、まともな機能の残ったサンの左目が、ぐるぐると死にかけの魚のように動き回る。

 がくがくと体が跳ね回り、少しずつサンの体から生気が失われ、皮と骨の間にある肉が失われてゆく。眼球が眼窩から落ちて、切断面から流れる血すら失われてゆくその姿は、ミイラ同然になり果てる。

 やがて、ローラはゆっくりサンの口から手を引き抜いた。袖にも、肌にも血液や体液は一つもついていないのに、手を抜かれたサンはその途端、痙攣しながらすさまじい量の血液と内臓、その他諸々、体の中の物質を全て吐き出した。


「お、おぼ、おぼおろろろろろろおおおぉぉぉ――……」


 これが、外神から得た力を抜かれた副作用だろうか。

 肺も、心臓も、腸も、何もかも吐き出し、灰色となった体を赤く染め、サンは斃れた。ハーミスですら顔を顰める死にざまを与えたローラは立ち上がり、笑顔で言った。


「……お待たせ、ハーミス。それじゃあ、終わりを始めましょうか」


「……ここで、『門』を起動するのか」


「ここで、起動する必要があるのよ。この聖女の塔こそが、『門』にエネルギーを送り届ける発射装置に他ならないのだから」


 ハーミスが止める間もなく、ローラの体がふわりと宙に浮いた。

 最も憎むべき相手と、ほんの僅かな間だけしか会えない苛立ちは彼の中にはなかった。なぜなら、ハーミスが彼女に向かって攻撃するよりも先に、彼の目の前に浮くローラの体が、奇怪に光り輝き始めたからだ。

 神々しい金色であり、禍々しい黄金色。こちらをじっと見つめながら天井へと舞ってゆくローラは、両手を天へと掲げ、闇に満ちた笑い顔と共に宣言した。


「見ていて、ハーミス――滅びが生まれる瞬間を!」


 それが、正しく終わりの始まりであった。

 ハーミスが瞬きした途端、ローラの体が、賢者の間が、聖女の塔の中心が、真下から凄まじい勢いで放たれた黄金の光の濁流に呑み込まれたからだ。

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