第235話 誕生⑤


 光り輝く斧の一振りによって、聖宮殿の二割が崩れ落ちた。

 クレア達がいた二階の廊下から下の階が破壊されたのに、外にいたリヴィオやニコ、モルディ達レジスタンスも気づいた。というより、彼女達のすぐ真正面に、それは落ちてきたのだ。


「な、なんじゃあぁ!?」


 飛び退くリヴィオとは逆に、ニコは三階まで届く煙と、瓦礫の山を睨む。

 そこにいたのは、瓦礫の中で呻くクレアとエル。その端にまで吹き飛ばされ、ドラゴンの姿のまま、ぴくりとも動かないルビー。ぼろぼろで、戦えるようには見えない姿だ。


「あれは、クレア達が……なんだ、あの怪物は!?」


 そして、そんな瓦礫からゆっくりと姿を現したのは、亜人達の何倍もの身の丈を誇る、巨大な聖光兵だ。クレア達にとどめを差した怪物は、青い瞳で、亜人達を見据えて、何の声も上げずに斧を掲げた。

 突然の崩落に唖然とするしかない一同だったが、そんな彼らの目を覚まさせるかのように、聖光兵は斧の届く範囲、目に見える範囲全てを薙ぎ払った。

 たった一撃。その一撃で、庭の垣根が吹き飛び、近くにいた亜人は真っ二つになるどころか、上半身や下半身が肉塊となって弾け飛んだ。一度の攻撃で十数人を死に至らしめた恐るべき怪物の登場に、彼らはようやく、目の前のこれが危険極まりないと気づいた。


「せっかく、聖伐隊をあらかたやっつけたばかりなのに! モルディ、皆、あの化け物を迅速に倒します! 集中攻撃の陣形を!」


「分かった、カナディ! 『ゼウス』の皆さんも、協力してください!」


「「おぉ――ッ!」」


 聖伐隊をあらかた倒していた『ゼウス』と『明星』の標的は、たちまち聖光兵となった。数の暴力でなら押し切れると言わんばかりに雑兵が突撃するが、まるで意味がない。


「……ぐ、ダメ……こいつは、洒落に……」


 瓦礫にどうにかもたれかかり、警告するクレアだが、彼女の声は悲鳴に掻き消される。


「うわああぁ!?」「ぎゃああああ!」


 乱暴に斧を振り回すだけ。ただそれだけなのに、防御など一切敵わず、血飛沫で周囲が汚れてゆく。亜人も魔物も関係ない。たちまち減っていく味方の分だけ、敵にダメージが与えられているならまだしも、鎧の如く纏った光は、矢も、剣も通さない。


「こいつ、とんでもない馬鹿力じゃ……しかもなんじゃ、あの肌は!? 矢も剣も、一切合切通しやせんぞ!」


 リヴィオ達幹部クラスはどうにか攻撃を避けるが、他の者はそうはいかない。

 斧どころか、聖光兵が足を振り上げるだけで死人が出る現状に、ニコが叫ぶ。


「まずい、リヴィオ! このままじゃあいつ一匹に全滅させられるぞ!」


 彼の状況分析は間違っていない。寧ろ、まだ悠長な考えだともいえる。

 斧を振り下ろした衝撃ですら、亜人や魔物の動きが止まるのだ。その隙に攻撃が加えられ、一対超多数で戦っているはずなのに、まるで展開が有利になるビジョンが、ニコの中には浮かばない。さしものリヴィオですら、恐れを隠し切れていない。

 なるべく前線で戦うモルディ達も、あまりに強すぎる敵に、少しずつ後退すらし始める。だからと言って敵が逃してくれるはずもなく、じりじりと追い詰められていく。

 さっきまであんなに有利だったのに、たった一体の怪物相手に全滅させられかねない。こんな不条理があっていいものか。

 このまま全滅するのかと思った時、モルディ達の前に、ばっと躍り出る影があった。


「ガル、ウゥ、アアァア!」


 ルビーだ。

 さっきまでぐったりとして動かなかったルビーが、悲鳴を上げる体に鞭打って、聖光兵とレジスタンスの間に割って入ったのだ。

 当然、勝ち目などない。だが、ルビーの目的は今や、勝利からすり替わっている。


「皆、下がって! ルビーがこいつを食い止めるから、その間に!」


 彼女の最終目的は、既に犠牲となることだった。つまり、自分ができる限り時間を稼ぎ、犠牲となって、全員が撤退するだけの時間を作ろうとしているのだ。

 この光景は、慄くモルディや仲間達、ギャングだけでなく、ハーミスも賢者の間から見ていた。彼の場合は、自分ならば倒せるはずの相手が、今まさに仲間を殺そうとしているので、気が気ではない。


「よせ、お前ら、逃げろ! この……」


 どうにかしようと必死に手立てを考えるが、サンは彼に無情な現実を伝える。


「何もできないよ、ハーミス。ここからハーミスが向かう手段なんてないし、どうやったって亜人達は助からない。聖光兵に勝てるはずなんてないんだよ」


 映し出されるのは、サンの命令に従う、聖光兵の無情な動作。


「さて、まだ倒れたままの二人は後でいいとして、あのドラゴンから先に殺そっか。あれだけ弱ってるなら、一撃で十分だからね、ハーミスはちゃんと見ててね」


 逃げるほどの余力もないルビー目掛けて、斧を振り上げる。

 ハーミスが叫ぶ。瓦礫の辺りにいる仲間達は、声を出す力もない。ギャングやレジスタンスは、とても前に出られないし、ルビーの助力になどなれはしない。


「ルビー、やめろ、盾になんてなるな! 逃げろ、逃げてくれ!」


「無駄だよ、死ぬよ、ハーミスの仲間が今死ぬよ!」


 サンの笑顔と狂気が、最高潮に達する。

 ルビーも、死を覚悟した。一瞬一秒でも、どうにか時間を稼げればと思っていたが、聖光兵の目を見て、自分はここで死ぬのだと直感した。

 振り上げられた斧を握る手に、力が込められた。

 誰が止める間もなく、サンの命令通り、ハーミスに絶望を与えるべく振り下ろした。

 斯くして斧は、叩きつけられたのだ。


「………………え?」


 ルビーからずっと離れた、誰もいない、明後日の方向に。

 大振りな一撃とはいえ、ここまで狙いを外すとは思えない。何が起きたのかと、ルビーも、亜人達も、賢者の間にいるハーミス達も、聖光兵を見た。


「……あ、あれは……!?」


 その巨体は、ぐらりと揺らいでいた。

 何匹もの、緑の鱗を纏った翼を持つ巨大な蜥蜴によって。ルビー達は、間違いなく彼らを知っていた。鉱山で共に戦った仲間を、特にルビーは、忘れるはずがない。


「――ワイバーンだ! しかもこんなに、どこからここに……!?」


 ワイバーンが、聖光兵に攻撃を繰り出していたのだ。

 しかも、聖光兵をよろめかせたワイバーンはそれだけではない。けたたましい鳴き声を聞いた一同が空を見ると、なんと数十匹のワイバーンが、弧を描くように飛びながら、ルビーにしか分からない声で、ここに来た理由を告げていた。


「……『前から亜人達が戦っているのを知っていて、いつでも助けに行けるようにしていた』……『西の方角から、嫌な空気を感じたから』……」


 彼らは、ずっと覚えていた。ドラゴンに付き従う使命と、別れの時の約束を。


「『我らの王、赤いドラゴン達の姿が空から見えたから、助けに来てくれた』って!」


 今、彼らは王の下に馳せ参じ、聖光兵にしりもちをつかせたのだ。


「ルビー、お前、凄いのう! ワイバーンを率いる王様とは!」


「「それに、こんなにすごい数が助けに! 凄いです、ルビーさん!」」


 リヴィオやモルディ達、レジスタンスがはしゃぐ視線の先で、起き上がったクレアとエルが、ルビーに寄り添い、疲弊した様でありながら、それでも微笑みかける。


「……慕われて幸せもんね、あんたは」


「……泣いている場合じゃないですよ、王様」


 二人に勇気づけられ、大きな瞳から流れる涙を拭い、ドラゴンは頷く。


「……ぐす……うん、大丈夫! ルビー、まだ戦えるよ!」


 そして、ゆっくりと体勢を整えなおした聖光兵を、傷だらけの彼女達は見据えた。

 加勢してくれた翼竜達の力を借り、反撃する為に。

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