第222話 挑発


 その場の空気が、凍り付いた。

 ハーミス達はともかく、正規軍の部隊長ですら、どうして自分達の通信機に『選ばれし者』からの通信が入ってくるとは思っていなかったようだ。

 何より、自分達の居場所が把握されているのに、一行は驚いた。騒動が起きているモンテ要塞に霊体が来たのは納得できるとしても、それ以降敵とも遭遇していないのに、どうしてここに直接通信が入ったのかと、クレアは特に表情に疑問を浮かべていた。


「あたし達の居場所が、ばれてる……!?」


 ルビーやエルも目を見開いていたが、ハーミスだけは冷静に通信機を拾い上げ、向こうにいるであろうサンに向かって話しかけた。


「……ずっとつけられてたのかもな。で、賢者サマが、何の用だ?」


 こちらの声は聞こえているようで、小さな笑い声と共に、サンの言葉が返ってきた。


『何の用だ? 分かってるはずだよ。もうグルーリーンは目と鼻の先なのに、まだこっちに来ないってことは、何かを警戒してるのかなって』


 彼女の言う通り、グルーリーンの街はもう見えている。

 平原をもう少し進んだ先に、検問所も、建物も、周囲を覆う少し背の低い壁だって見えている。ここからバイクで向かえば、昼間までには辿り着けるだろう。

 そうしないのには、当然理由がある。明らかに罠だと、目に見えているからだ。


「あのねぇ、聖伐隊第二の本拠地に、あたし達がのこのこ正面から行くと思ってるの? 言っとくけど、こんなのが罠だなんて、あたし達はお見通しよ」


「それに、『門』のエネルギー源を既に確保しているとも聞きました。私達は貴女に会いに行く道理がありません。聖伐隊の本部に赴く方が早いですからね」


 クレアもエルも、同じ意見をサンにぶつけた。

 現状では、ハーミスもそれが正解だろうと踏んでいた。聖女の塔に行き、敵の思惑を破壊し尽くしてからローラとサンを殺せばいいと思っていた。

 だが、二人の話を聞いたサンの含み笑いが、一層大きくなった。


『……うん、どっちでもいいよ?』


「……どういう意味だ?」


 どちらでもいい。そう言ったサンの声は、ずっと人をくった口調になる。


『聖女の塔に行くのも、こっちに来るのも変わらないよ。ただ、私のところに来ないと、全てを教えられない。そうしたら――』


 まるで、サンではない誰かになってしまったかのように。


『――そしたら、ハーミスが絶望できなくなる。ローラの正しさを知って、自分の過ちの愚かさに絶望するところを見たいなあって、私はそう思うだけ』


 彼女が望んでいるのは、ハーミスの絶望とやら。

 サンはまるで、ハーミスが来るのを愉しんでいるようだった。他の『選ばれし者』はハーミスを嫌がり、憎んでいたが、彼女はその逆で、どう聞いても口調は喜んでいる。

 尤も、最終的な意図については、他よりずっと質が悪い。ハーミスを殺したい、倒したい、復讐したいのではなく、絶望させたいのだから。

 息を呑む一行の中で、ルビーがギザギザの歯を軋ませ、唸った。


「……ハーミスを悪く言うな」


 今にも通信機を叩き潰しかねない表情のルビーを宥めながら、ハーミスが言った。


「よせ、ルビー。サン、挑発するのは勝手だが、寿命が縮むってことだけは覚えとけ」


 通信機の奥で、くすくすと笑い声が響いた。


『……来る気になった?』


「安い挑発だが、乗ってやる。どちらにしても、ローラとてめぇと、死ぬ順番が早いか遅いかってだけだ。どんな死に方が良いか、リクエストがあったら聞いてやるぜ」


「あんた、さっきの話、聞いてた? どう考えても罠だってば」


 クレアがハーミスの肩を小突くも、サンはそんな考えもお見通しのようだ。


『大丈夫だよ、街の誰も貴方達を捕らえようとしないし、攻撃もしないから』


 なんと、捕らえも攻撃もしないと言ってのけたのだ。

 正直なところ、サンの話は到底信じられない。今やレギンリオルどころか、その外ですら人間や聖伐隊に見つかれば追いかけ回される立場のハーミス達を、まさか聖伐隊の第二の本拠地で見逃してやるなど、普通は考えられない。


「そんな戯言を、私達が信じると思っているのですか」


『来れば分かるよ。それじゃあ、待ってるね』


 エルとの会話を最後に、通信機からの声は途絶えた。

 辺りには、沈黙が流れる。あまりに信じがたい挑発と優遇を前にして、呼吸するのも忘れてしまったかのように、ハーミス達は黙り込んでしまった。

 明らかに異常なサンの態度と言動。グルーリーンの街という、未知の環境。

 謎が謎を呼ぶ中、最初に口を開いたのは、意外にもルビーだった。


「攻撃しないだって、ほんとかな?」


 肩をすくめたクレアが、口を尖らせる。


「マジなわけないでしょ。正面から向かったら聖伐隊が待ち構えてて、あたし達を数の暴力でボコボコにしようって寸法よ。あの女の声、嘘つきっぽいし」


「……信じますか、ハーミス? 私ならまず疑います」


 ルビーは悩んでいて、クレアとエルは最初から信じてはいない。三人の視線が自分に集中しているのに気付いたハーミスは、そうだな、と頭につけながら、意見を述べる。


「……昔のサンなら疑ってた。誰を前にしてもびくびくしてて、いつでも姉のリオノーレの影に隠れてたあいつなら、罠を仕掛けてたかもな」


 ハーミスの知るかつてのサンと、今のサンはやはり違う。

 リオノーレがいなければ何もできない彼女と、自分から仇敵を誘い込むサンは、別人のようにすら思える。この差が何なのかも、ハーミスにとっては気になる事柄だ。


「けど、今のあいつは違う。事情はさっぱりだが、昔と雰囲気が違い過ぎる……自信の表れなら、本当に罠も何も用意せずに、俺達を待ってるかもしれねえ」


 しかし、道は一つしかない。


「ぐはッ!?」


 未だに正座をしたまま呆然としている部隊長の頭を義手で殴りつけ、気絶させたハーミスは、通信機を握り締めたまま、グルーリーンの方角を睨みつけた。


「――乗ってみる価値はあるぜ、サンの話にな」


 彼は、敵の企みに乗る道を選んだ。

 ただし、思い通りにやられてやるつもりはない。

 ぐしゃりと握りつぶした通信機のように、サンの頭を砕き潰してやるのだ。

 斯くして進むべき道を決めた一行は、ハーミスが駆るバイクに乗って、平原を再び走り出した。

サンが言っていた通り、ここから街まではそう遠くない。

 バイクが平原に一筋の跡を付けながら進んで間もなく、検問所の大きな門と、小さな人影がルビーの瞳に映り始めていた。

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