第223話 信仰


 正規軍の巡回兵と遭遇した地点からグルーリーンまでは、本当にあっという間だった。

 恐らく、歩いてだって半日もかからなかっただろう。バイクを飛ばせば猶更早く、少し話し合いでもしている内に、たちまち検問所の前に立つ憲兵の、髭面さえも見えてくるほどのところにいた。


「……あれだな、グルーリーンの検問所だ」


 やや速度を落とすハーミスの目線の先には、固く閉ざされた門と屈強な体躯の憲兵。あの内側に多数の聖伐隊が隠れていれば、ひとたまりもない。


「ハーミス、もしあいつらがいきなり襲いかかってきたら?」


「いつでも対処できるようにはしてる。モンテ要塞で金は集めてきたしな。皆も、襲ってきたらぶちのめせるようにはしておいてくれ……来たぞ」


 ハーミス達は、実はモンテ要塞の跡地で、残っていた金銭をこれでもかと回収していた。バイクを購入できたのは、『明星』の軍資金を借りただけでなく、今まで手にしたことのないほどの大金を、四次元収納ポーチの中に押し込んでいるのも理由なのだ。

 さて、バイクが門の前で完全に止まると、ずかずかと大股で、憲兵が近づいてきた。

 腰に提げた剣に手を伸ばされない――伸ばさせないよう見張っていると、憲兵はハーミス達の顔を見るや否や、険しい顔を綻ばせて、まるで友人のように話しかけてきた。


「ようこそ、ハーミスさんですね? サン様からお話は伺っております」


 そして、後ろにいたもう一人の憲兵に指で指示を出して、門を開かせた。

 四人が四人とも、面食らった。まさか、サンの言う通り、本当に何もされずに話しかけられ、門まで開いてくれるとは思ってもみなかったからだ。

 まだ罠の演技中かもしれないと一同は疑るが、憲兵は付き合いの長い友人のような笑顔で接してくる。これが演技なら、舞台の主役を任せられるくらいには大した役者だ。


「……話、だと?」


「はい、貴方がたが来たならば、『聖宮殿』まで通すようにと。私がご案内いたしますので、乗り物はここに置いていってください」


 聖宮殿。聞き慣れない建物の名だ。


「『聖宮殿』……あの白い建物のこと?」


 クレアが指差したのは、石造りの街並みの奥に鎮座する、純白の宮殿。

 一国の主が住んでいる、と説明されても信じ込んでしまいそうなそれは、聖伐隊が所有しているのだと、白い外装で一目で分かった。彼らがどうして頑なに白にこだわるのかはさっぱりだが、視認性が良くて、今は助かる。


「そうです、聖伐隊の皆様と『選ばれし者』のサン様がおられる聖なる社です。詳しくはご本人様からお話しいただけると思いますので、私の後について来てください」


 にこにこと微笑む憲兵の笑顔に、やはり敵意や悪意はない。本気で、聖伐隊に反逆する大悪党を、彼らの第二の拠点に連れ込もうとしているのだ。

 言われるがまま、一行はバイクを門の端に停め、荷物を担いで降りる。


「……まあ、そう言うならついてくけど……あのさぁ、いい加減ツッコんでいい?」


 そうして門をくぐった彼らだが、聖伐隊第二の本拠地と呼ばれるグルーリーンは、ほどほどに栄えた普通の街だという印象しか受けない。露店も多いし人の数もなかなかで、かつての獣人街を思い出させる。

 ただ、クレアが顰め面をしている通り、異常な点もある。


「――おう、これについてだな」


 この街のおかしなところ、それは人の様子だ。

 誰も彼も、老若男女問わず、大通りに出て、明後日の方向を見つめている。

 それだけならまだしも、彼らは皆一様に、直立不動の姿勢を崩さない。まるでこの形で氷漬けにされてしまったかのように、ちっとも動かないのだ。

 虫が飛んでも、猫や犬が鳴いたり吼えたりしても、ただただひたすら空の果てに視線を向けている。あまりに異様な光景を目の当たりにして、流石のルビーですら、半ば生物ではない何かを見せられている気分に陥っているようだ。


「ね、ねえ、ハーミス……この人達、何してるの……?」


「俺にもさっぱりだな。エル、魔女の儀式とかでこんなのがあったりしねえか?」


「魔女を悪趣味なカルト集団と一緒にしないでください」


 ぼそぼそと耳打ちし合う三人の声が聞こえていたかのように、前を歩く憲兵がくるりと振り返った。その笑顔すら、今は薄気味悪く見えてしまう。


「ああ、気になりますか? 今日はですね、聖女様からのお言葉を頂ける日ですので、朝から街の住人は皆、こうして通りで聖女様のおられる方角に祈りを捧げているのです」


 そんな顔で、嬉々として話すのだから、クレアが唖然とするのも当然だった。


「朝からって、もう昼回ってるわよ!? ずっとこうしてるの!?」


「私のように特別な用がない者は、そうですね。『選ばれし者』や聖女様は、私達を魔物の脅威からお救いくださるのですから、祈りを捧げるのは当然です」


「魔物の脅威から、ねえ……」


 いかにも正しい行いで街を守っているとアピールしているようだが、実情を知ればどんな顔をするだろうか。それでもまだ、聖女を崇めるだろうか。


「それだけではありませんよ。聖女様を信じる者は、死しても聖女様と同じところに行けるのです。聖女様の使いの方が、この空よりも高く、遥か先にある幸福な世界へと連れて行ってくださります」


 信者達の間を縫うように歩く憲兵がそう言うと、呼応するように住人が口を開く。


「「聖女様、万歳! ローラ様に永遠の信奉を!」」


 皆が同じタイミングで、割れんばかりの大声で、聖女への感謝を口にする。

 ここだけでなく、四方八方、視界に入らないところからも聞こえてくる。


「祈りの言葉ですね。素晴らしいでしょう、皆が心を一つにしているのです」


 一切の曇りがない笑顔を見せる憲兵が再び正面を向くのを待っていたように、クレアは舌をこれでもかと出して吐く仕草を見せ、ハーミスに言った。


「……ハーミス、一つだけ言っていい?」


「聞こえねえようにな」


 白い宮殿。聖伐隊を崇める住人。こうしろ、と言われれば何の疑いも躊躇いもなく実行する忠誠心。きっと彼らは、死ねと言われれば死ぬだろう。

 そんな連中を示す言葉など、クレアには一つしか思い浮かばない。


「新興宗教に洗脳された街、って認識でいいわけよね、これ」


 狂人の集まりだ、と言わなかっただけ、クレアは言葉を選んだ。


「……正解だろうな」


 今まで一度だって見たことのない世界。恐るべき、宗教の下に支配された世界。

 白い宮殿が近づくのに、並ぶ人々の数は一向に減らない。近づいているはずなのに、同じ場所を延々と歩かされているかのように錯覚するほど、町並みが変わらない。

 次第に不安さえ覚え始める中、聖宮殿まで到着するのは本当にあっという間だった。


「……着きましたよ、ここが聖宮殿の庭です。この奥で、サン様がお待ちです」


 憲兵はぺこりと一礼して、去っていった。

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