ゾンビ(後篇)
第195話 牢獄
レギンリオル北部、モンテ要塞。
元はレギンリオル正規軍が建てた、北部国境の平たくなった地理部分を横切るほどの巨大な要塞。中心部の白城地区を中心として、都市レベルの居住機能と、物量に任せた乱暴なまでの防御力が有名な要塞である。
石壁は現在も一部が白く塗り潰される作業の途中であり、聖伐隊の権力が国家に侵食している証拠ともいえる。尤も、今は国民にとっての救世主は彼らであり、国よりも聖伐隊を信用している者が多いので、誰もこの点には言及しない。
今も増築が続くこの要塞の地下には、他の城塞、要塞のように牢獄が存在する。中心部の最も高い城の内部から地下に続く階段の先が、その牢獄だ。
普段は誰も入らない、薄暗い松明一つで照らされたそこに、今は住人がいる。
「…………」
ゾンビを率いる『明星』カタコンベ支部の指導者、アルミリア嬢だ。
怪我はしていないが、囚人服として麻色のシャツとズボンを着せられ、粗雑に扱われたのか、えんじ色の髪のカールは一部が解けて汚れてしまっている。
大きな目も今は俯き、少女特有の恐れが、顔にありありと浮かんでいる。
「ハーミス、オットーよ……」
三角座りのまま、汚れ切った冷たい牢の奥で縮こまるアルミリアだったが、入り口のある廊下の端からずるずると誰かが引きずられてきた。
「――ほら、さっさと入れ!」
格子状の扉が勢いよく開かれ、三人の少女が投げ込まれた。
「ぐぅ、あッ!」
慄くアルミリアの前に転がされたのは、クレア、ルビー、エルだった。
同じく囚人服を着せられていた三人だったが、アルミリアと違い無傷ではなかった。それどころか、怪我をしていない部位がないのではないかと思えるくらい、体中が青痣と腫れ、擦り傷と切り傷に覆われ、中には火傷の痕もあった。
苦しそうに呻く三人が、拷問を受けていたことは明白だ。ならば、それをするように、格子の向こう側に立つ白いマスクを付けた三人組に命令したのは誰か。
「こいつらも口が固てぇなあ。このアイテムの使い方さえ教えりゃあ、これ以上拷問しねえっていうのによ? マゾなのか、てめぇら?」
その三人の前に立ち、ふんぞり返るユーゴーだ。
銀色の肌を蠢かせ、金色の歯を見せて笑う彼の右手には、
「何と、ここまで酷い拷問を……」
「……大丈夫よ、心配、しなくても……ちょっと、指を折られたくらいよ……」
「右に、同じ……です……」「ウゥー……」
思わず瞳を潤ませるアルミリアに対し、三人はせき込み、血を吐きながらも、自分達は大丈夫だとアピールしてみせる。
だとしても、屈強なドラゴンであるルビーが立っていられなくなるほどの拷問を、許しておけるはずがない。アルミリアは涙を堪え、きっとユーゴーを睨んだ。
「……お主ら、よくもこんな残虐な真似を!」
しかし、いかにゾンビの指導者とはいえ、ユーゴーや後ろの拷問担当の聖伐隊隊員からすれば、子供の強がりにしか見えない。特にユーゴーは余裕綽綽といった態度で、舌をべろべろと出しながら、煽り始める始末だ。
「穴を使われてねえだけマシだと思えよ。俺様達は慈悲深いんだ。ま、ドラゴンと魔女、盗賊のきったねぇ穴なんざこっちからお断りしたんだけどよ! ぎゃはははは!」
「おのれ……やるならばわらわじゃ、わらわだけにせよ! 他の者には手を出すな!」
「あーはいはい、分かってるって。てめぇだけは何にもしてやらねえからな」
おどけてすらみせるユーゴーの対応は、正しく最もアルミリアを苦しめる手段だった。
彼女は仲間の為に身を挺する覚悟のある少女だ。だが、そんな彼女の目の前で、仲間だけを苦しめておくことがどれだけアルミリアにとって、胸の奥にあるゾンビの心を痛めつけるに足るか、残虐な『選ばれし者』はよく知っていた。
「自分以外の他人が傷つくのが苦しいんだろ? だったらお望み通り、こいつらは死ぬ寸前まで痛めつけてやるからよ! てめぇだけは無傷のままで置いといてやるぜ!」
「ぐ、ぐぬ……!」
自分だけが無事。なのに、目の前で仲間が苦しむ。
耐えられない惨状に唇を噛みしめるアルミリアの隣で、転がったまま起き上がれないクレアが、こぶが腫れ上がり隠れた右目で彼女を見つめつつ、言った。
「安心しなさい、アルミリア……ハーミスが、きっと……」
そんな優しさすらも、ユーゴーは容易く踏みにじる。
「あ? ハーミス? 来るわけねえだろ、これが目に入らねえのか?」
クレアを足で押しのけて、彼はわざわざアルミリアの眼前で『注文器』とポーチを見せつける。目を逸らそうとする彼女の頭を掴み、ユーゴーは邪悪な笑みを浮かべる。
「あいつは俺様の前に敗れたんだよ、これがその証拠だ! 右腕もスキルもなくなったあの雑魚に何ができるってんだ、あァ!?」
腕を斬り落とし、スキルを奪い、仲間をこうして拷問に遭わせた上に処刑する。ユーゴーは今、自分が人生の絶頂、世界の頂点にいると信じて疑わない。
「プライムと名乗る奴は二人もいらねえ、残るのはこのユーゴー・プライムだけだ! 俺様より強えぇ相手はもう、この世にはいねぇってことだ!」
つまり、最も強い者は何をしても良いというのが、彼の理屈なのだ。
滅茶苦茶な理屈だが、それに言及する者はカタコンベに置いてこられた。ユーゴーの中では彼が完全な敗北者であり、踏みにじられる存在。そんな男や、世界の道理など凡そ意味がないと彼は本気で思い込んでいるのだ。
ハーミスを侮辱された三人がもし絶好調であったなら、負けると分かっていても傷を一つでもつけてやる、と特攻してやったものだが、今は体を動かすことすら能わない。明日、拷問官が再び彼女達を引きずってゆくまで、このままだろう。
そんな負け犬を見下すのも飽きたのか、ユーゴーはアルミリアの頭から手を離した。
「……ま、処刑の日までせいぜい楽しませてもらうぜ。明日は拷問官達がもっと痛くて苦しいことをしてくれるぜ、勿論お姫様以外にだけどな! ぎゃーははは、ははは……!」
そして、アルミリアの頭に唾を吐きかけると、げらげらと笑いながら牢の外へと出て行った。残されたのは、虫の息の三人と、屈辱を受けた令嬢のみ。
「……わらわのせいで、皆が……」
ただ、アルミリアの体を震わせ、涙を流させているのは、屈辱よりも己の情けなさと、失敗への後悔だった。もしも、ああすれば、こうすれば、が頭の中を巡り続け、自分の指導者としての弱さを思い知らされる。
何より、仲間を死に瀕させて尚、無傷なただのゾンビである自分が、彼女は最も許せないでいた。そんな彼女に、血を吐き出しながら、エルが弱弱しく声を発した。
「……屈しないでください、アルミリア……あいつらの、うぅ、常套手段です……負けたと思わせる……心に負い目を作って、抵抗する意志を奪うんです……」
エルは知っていた。聖伐隊のやり方を。支配者が心を砕く手段を。
「あたしらなら大丈夫よ、あんたは……気を強く持っときなさい……」
二人と、唸るしかできないルビーに励まされ、アルミリアは手で顔を覆った。
「……すまぬ、すまぬ……!」
堪えきれず、アルミリアの声が嗚咽へと変わり出す。
彼女の絶望を表すように、地下牢の外――聖伐隊の隊員が犇めき、投石機と弩、迎撃兵器が無数に並べられた堅牢なる石の要塞の上には、曇り空が広がっていた。
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