第193話 二日


 真っ暗な世界に、少しだけ音が紛れ込んだ気がした。

 空間には何も見えないのに、がやがやと、声が少しずつ大きくなってくる。手にも、足にも力は入らないが、思考だけは妙にはっきりしている。

 自身についての情報が取り戻される。脳が機能し、肉体の活動が始まる。


「……あ……」


 ハーミス・タナーはゆっくり、ゆっくりと瞼を開いた。

 瞳の先にあったのは土で作られた天井とランタンで、彼は自分が仰向けに寝そべっているのだと直感した。ぼんやりと明るい空間に慣れるよう努めていると、がやがやした声が、しっかりと耳に入ってきた。


「ハーミスだ、目を開けたぞ!」「オットー様、ハーミスが!」


 男女入り混じった声が、自分に近づいてくる。誰が喋っているのかを見たかったが、それらの声はハーミスの顔には映らず、代わりに別の顔が覗き込んできた。


「お目覚めでございますか、ハーミス様」


 オットーである。狐のような目、ソフトモヒカン、スーツ。全てがオットーだ。

 白い髭を蓄えた顔が離れるのを見つめながら、ハーミスは静かに呟いた。


「……生きてる」


「発見した際には死の間際でしたが、ええ、無事で何よりでございます。傷は縫合させていただきましたが、痛みますでしょうか」


 言われるがまま、ハーミスは蛇蔓に斬られた傷をなぞる。シャツも全て脱がされ、包帯を体中に巻かれた状態であるのにも彼は気づいたし、オットーの言う通り、肩の傷は糸でしっかりと塞がれているようだった。

 あれだけの出血だったのに、自分が生きているのに、ハーミスは驚いていた。痛みもそう酷くないし、寧ろ視界に入らない糸の清潔性の方が気になるくらいだ。


「ちょっとだけ……ていうか、糸は綺麗なのかよ……?」


「可能な限り清潔に処理しております。ところでハーミス様、その右腕は?」


 ここでオットーに問われるまで、ハーミスは右手がないのを忘れていた。なのに彼はずっと、右手で傷を擦っていた。

 右腕を持ち上げ、まなこで捉える。ひんやりと冷たい腕は、二の腕に複数のボルトで接合されているようだ。黒く輝く新たな腕を見ても、ハーミスはちっとも動揺しなかったし、これまでの自分の腕とそう変わらないとすら思っていた。

 思い通りに動く指を小指から親指の順に丸め、広げる。掌に彫られた円形のモールド、腕全体の幾何学模様を眺めながら、ハーミスはオットーの問いに答えた。


「……貰いもんだよ、俺だって把握しきれてねえけど。つーか、ここは……」


 ハーミスがぐるりと顔を横に向けると、ゾンビ達が何かしらの作業に勤しんでいた。普通に生活しているように見えたが、よく見ると広間と呼ぶには狭い。

 やや狭い空間にいるのは、傷を縫合するゾンビや、武器を抱えて走り回るゾンビ。どう少なく見積もっても五十人以上のゾンビが労働に励んでいて、いずれもハーミスを心配するような視線で見つめている。

 昨日までの生活と違う点は、皆が戦闘に携わる作業に勤しんでいることだ。


「『あの場所』でございます。このカタコンベ支部にもしものことがあった時に仲間を避難させる地域――『最下層第十三シェルター』です」


「……第十三? 他にも、あるのか?」


「地下支部は聖伐隊が思うよりもずっと広く、深いのです。基本的には第十二階層までで活動しておりますが、秘密の階段を使えば最下層に入れます。他にも、各階層にある隠し通路の先にはシェルターがありますので、併せて十三個のシェルターがあるのです」


 カタコンベを広げるだけでなく、こんな代物まで作るとはと、彼は心から尊敬する。


「すげえな、ゾンビ……アルミリアも大したもん……」


 アルミリア。その作った本人はどこに行ったか。

 彼女を守って逃げていた仲間達は、どこへ行ったのか。


「――アルミリア、クレア達も! あいつら、連れ去られて、痛だあぁッ!」


 それを思い出した途端、ハーミスは勢いよく起き上がった。同時に、激痛で転んだ。

 全身が痺れるような痛みのせいで、尻を天に掲げた奇怪な姿勢のまま、ハーミスは起き上がれない。周囲のゾンビと共に、オットーが心配そうに声をかける。


「大声を出されますと、また傷口が開きます。ご自愛ください」


 だが、ハーミスにとってはそれどころではなかった。


「うぐ、そ、それどころじゃねえんだよ! アルミリアが聖伐隊に拉致されたんだ、俺の仲間と一緒に! あいつらの襲撃から、何日経った!?」


 クレア達仲間とアルミリアが、聖伐隊に誘拐された。

 ユーゴーは去り際に、三日後には処刑すると言っていた。自分は果たして、あの日から何日眠っていたのかとハーミスが顔をどうにか上げて聞くと、オットーが答えた。


「あの日から丸一日ほど眠っておりました」


「じゃあ、あと二日しかねえ! あと二日で、皆が処刑されちまう! ユーゴーが言ってやがった、襲撃の日から三日後にアルミリア達を斬首するって!」


 自分達を導いてくれた指導者の処刑。ハーミス一味と共に聖伐隊に抗ってきた仲間達の処刑。最悪の事実が、もう二日前に迫ってきている。

 シェルターの中に、ゾンビ達の騒めきが伝搬する。


「支部長が……」「やっぱり聖伐隊に……!」


 一様に不安そうな顔をするゾンビの前で、ハーミスは寝かされていた木製のベッドにもたれかかり、座り込んだ。そして、体が痛むのも構わず、歯ぎしりと共に叫んだ。


「俺のせいだ、聖伐隊に後を付けられて、カタコンベにユーゴー達を連れてきたのは俺だ! ゾンビの計画も平和も全部ぶち壊した、俺の責任だ……!」


 左腕で地面を叩く。ひんやりとした硬い感触と、傷が軋む感覚が同時に襲ってきた。

 目を瞑り、自分の不甲斐なさに怒るハーミスに、オットーが声をかけた。


「……顔をお上げください、ハーミス様」


 その声もまた、自身への静かな怒りに満ち満ちていた。

 はっと何かに気付いたようなハーミスが目を開き、顔を上げると、オットーだけではなかった。他のゾンビ達も作業を止め、自らの愚かさに怒っているようだった。


「『明星』カタコンベ支部は戦う為の組織、平穏などございません。それに、真に責められるべきは私と支部の隊員達でございます。指導者を奪われ、逃げ惑うばかりでした」


 アルミリアの命に従い、ただ逃げた。聖伐隊と戦うことを夢見ながら、事実上の敗走でしかなかった。ゾンビ達はそれでよかったかもしれないが、オットーはアルミリアを守る義務があったのだ。気が付けば、彼は仲間と共にシェルターにいたのだ。


「今も、ハーミス様が目を覚ますのを待つことしかできなかったのです。お嬢様がここにいれば、きっと今直ぐにでも戦えと言ったでしょうに。このオットー、一生の恥です」


 ゾンビ達は俯き、何も言わなくなった。

 もしかしたら、ハーミスが目を覚ませば何かが解決すると期待していたのかもしれない。ゾンビ達も、オットーも、無責任な希望を抱いていたのかもしれない。

 しかし、奇跡が起きなければどうすればいいかなど、オットーが答えを見いだせていないのならば、他のゾンビ達に理解できるはずがない。武器を整えていても、仲間に治療を施していても、その先にあるものがぼやけていて、まるで見えやしない。

 自分だけでなく、彼らもまた、強く後悔していた。同じ傷を背に抱え、どうすればいいか分からない、霧中にいるのだと、ハーミスは思った。

 だから、彼は聞いた。闇を脱する為に、今最も必要な事柄を。


「……なあ、ここからモンテ要塞ってとこまで、何日かかる?」


 ユーゴーの待つモンテ要塞までの距離。それは即ち、ハーミスが闘志を失っていない証明であり、何としてでも仲間を助ける強い覚悟の表れであった。

 ハーミスの青い瞳が、ゾンビ達を離さなかった。追い詰められた魔物のようでもあり、全てを投げうった英雄のようでもある目を前に、流石のオットーですらたじろいだが、小さく息を整え、思い出すように告げた。


「モンテ要塞、レギンリオル北部にある人間の砦でございますね。ここからですと馬を走らせても、丸一日以上かかるでしょう」


 丸一日。道中でのトラブルがもし起きれば助けられないし、戦闘準備にそもそもどれだけかかるか不明瞭である現状、救出できる確率は限りなく低い。

 ハーミスはぐっと唇を噛み、どうすれば良いかを必死に考える。


「――ですが、『彼ら』に乗れば半日以内に到着します、間違いなく」


「『彼ら』?」


 だが、半日であるならば。ハーミスの計算など、必要なくなる。

 驚くハーミスの周りにいるゾンビ達が、まさかあれを、ようやく使う時が来たのか、と口々に話し合っている。魔物ですら慄く何かとはどのような乗り物か。


「実際にお見せしましょう。この最下層の更に下、『最終階層』にそれがございます……立てますでしょうか?」


 手を伸ばすオットー。微かに目が開き、白い目と青い目が見つめ合う。

 どちらも諦めていない。腕を失おうとも、スキルが使えなくとも、指導者が処刑されかけているとしても、諦める理由になどならないのだ。


「……ああ、問題ねえよ。案内してくれ」


 オットーの手を右手で掴み、ハーミスは立ち上がった。

 そして、他のゾンビにも連れられ、シェルターの奥へと歩き出した。

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