第192話 義手


 力が入らなかった。

 流れる血と一緒に、体中の気力が失われていくのを、這いつくばるハーミスがひしひしと感じていた。失った右手の痛みすら、今や薄れ始めていた。

 激痛すら遠のき、感覚も引いてゆく。そんな状況があるとすれば、死への歩みが始まっている証拠に他ならないのだが、ハーミスは気づかない。


「くそ、くそ……」


 頭に残っているのは、ユーゴーへの怒りだ。自分を殺しただけに飽き足らず、新しくできた大切な存在を奪っていった。そして、後悔しながら生きろとまで言い放った。

 怒りを覚えないはずがない。目を見開かないはずがない。


「……ふざけんなよ、あの野郎……あの……や……」


 だとしても、ハーミスの体には限界が近づいていた。

 生温かい血の海に包まれ、ゆっくりと死が心を蝕みつつあった。少しでも気を抜けば、生きるのを諦めてしまいそうだった。精神が安らかな眠りに抵抗しようとしても、ハイライトを失いそうな瞳と、瞼は抗えそうになかった。

 復讐の旅の終わり。あらゆる物事がハッピーエンドだけで終わらないように、バッドエンドが大口を開けて待ち受けている時だってあるのだ。

 ゾンビにすら看取られない最後を、彼は静かに、虚しく迎え入れようとしていた。


「……?」


 辛うじて機能している耳が、何かが走ってくる音を捉えた。

 歩みの音ではない。地面を滑り、唸るような音。今までに何度も聞いた覚えのある音がハーミスの近くにまでやって来て、顔を上げられない彼の前で止まった。


「――平素よりお世話になっております。『ラーク・ティーン四次元通販サービス』よりお知らせをお伝えに参りました、キャリアーでございます」


 そして、バイクから降りた白黒の女性――『ラーク・ティーン四次元通販サービス』の配達員、キャリアーは、ハーミスに当たり前であるかのように話しかけた。

 こんな死の看取り人がいるかと思いながらも、ハーミスは零れるような声で答えた。


「……呼んで、ねえよ」


 通販で呼び出したわけでもないと言ったハーミスに、キャリアーは彼の発言を汲み取りながらも、自分がどうしてここに来たのかを、淡々と告げた。


「本日は配送ではございません。先程の商品のご購入に伴いまして、一定額以上のご利用が確認されました。従いまして、お客様に『ゴールドシップ』が付与されます」


「……何だよ……それ……」


 『ゴールドシップ』。理屈はさっぱりだが、何かが貰えるようである。

 鈍いハーミスの思考でも、どうしてもらえるのかくらいは理解できた。

 掘削時に買ったアイテムで、ハーミスは通販側が指定した額以上の買い物をしたのだ。その時にキャリアーは、自分に何かを伝えようとしたが、ハーミスは作業を優先させた。それがまさに、ゴールドシップについての内容だったのである。

 とはいえ、ゴールドシップが何なのかは理解できない。


「以前よりもより強力、かつ便利なアイテムの購入が可能となります。また、職業ライセンスにおいても、こちらの世界とは別次元上に存在するアイテムが選択可能となります。詳しくはカタログをご覧ください」


 分かりやすい説明をしてくれたが、ハーミスの黒ずんでいく脳は、大まかにすらも把握しきれない。第一、今自分には『通販』オーダースキルに必要なアイテムがない。


「そのカタログが……ねえんだよ」


「また、特典としてアイテムとライセンスを各一つずつ、無料購入できます」


「聞けよ……俺の、話を……」


 仕返しと言わんばかりに、ハーミスの話はさらりと流された。

 何か一つを買えると言われても、カタログがないのだから確認しようがない。この辺りのサポートがされていないのは、通販サービスの評価を彼の中で高くしない一因である。

 だが、機会を逃す理由もない。

 何でもいい、自分が生き延びる可能性があるなら。


「……お任せだ」


「『おまかせ購入』でございますか?」


 小さく頷いてから、力を振り絞り、ハーミスはキャリアーを見た。


「……任せるよ……目ェ閉じたら生きてるか、死んでるかも分からねえし……でも生きてるなら、生きてるなら……」


 ちかちかと明滅する灯りの下、ハーミスの曇った瞳にはまだ、小さな炎が点っていた。


「……今度こそ復讐を果たせるものを、くれ」


 彼が気づくと気づくまいと、黒い炎は残っていた。

 絶対的な復讐心だけは、命よりも強く、彼の魂に根付いていた。

 たとえ自分が死のうとも、復讐を果たしたい。奪われたものを取り返したい。ハーミスのそんな熱意を感じ取ったのか、虚ろな目で彼を少しの間見つめたキャリアーは、バイクの後ろに備え付けられた黒いバッグの中を、ごそごそと漁り出す。


「畏まりました。では、こちらを」


 そして、あっという間に二つのアイテムを取り出した。

 一つは、真っ黒な腕。どうにか顔を持ち上げたハーミスの目にも、生ものの腕ではないと一目で分かるほど漆黒のそれは、鋼でできた右腕だった。

 もう一つは、橙色のカードではなく、金色のカード。眩く輝くそのカードは、いつもの職業ライセンスとは明らかに違っていた。二つのアイテムをハーミスの眼前に、血で濡れないように優しく置くと、キャリアーが言った。


「『多目的武装内蔵型超原子魔導義手』と『抑止者』のライセンスでございます。お客様が目的を果たす為に必要な物であると判断しましたので、こちらをご購入いたしました」


 選んでくれたのはありがたいが、説明の一つくらいは欲しいものである。義手であるなら装着方法、ライセンスならスキルと職業の詳細くらいは欲しい。

 おまけに、普段なら行われるはずの脳内ラーニングが、今は始まらなかった。それくらい、ハーミスの体が弱っている証拠なのだろうか、或いはラーニングに非常に時間がかかるほどのアイテムなのだろうか。

 だから、ハーミスは残った貴重な力を使い、聞くしかなかった。


「……これは、何だよ」


「では、またのご利用をお待ちしております」


 聞いても意味はなかった。

 仕事を果たしたキャリアーは一礼すると、バイクに跨り、さっさと闇の空間の中へと消えていった。一度は話を聞かなかった自分へのあてつけにさえ見えるくらいの速度で。


「だから……答えろよ……」


 今度こそ、本当に誰もいなくなった。

 ゾンビの一人、聖伐隊すら来ない中、灯りはふっと消えた。


「……皆……俺、は……」


 暗闇の中で、ゆっくりと、静かにハーミスは目を閉じた。

 小さな呼吸は続いていたが、いつ消えるか分からない。残った左腕の指すら動かない。

 そんな中、生死の境目をさまよい続ける体の前に転がっていた漆黒の義手は、しんと佇んでいた。だが、不意に腕そのものに青い一筋の光が奔ったかと思うと、ふわりと宙に浮き、ハーミスの右手に向かって泳ぐように飛んだ。

 炎も吐かず、しかし空間を歪ませる不思議なエネルギーによって浮遊する義手は、失われたハーミスの右腕、その前腕にサイズを合わせて、折り畳むように変形する。

 そして、がちゃり、と音を立てて彼の腕に接続された。

 誰もいない暗闇の中で、腕は着実に一体化していく。気を失ったハーミスの頭の中に、義手の能力と使い方が流し込まれていく。


 これまでのアイテムを凌駕する、人知超越の力が。

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