第171話 群青
ただ、いつまでも轟轟と雨は降り続けなかった。
温かいココアを二、三度おかわりしていると、外の空気の変化にいち早く気づいたらしいルビーが、テントの入り口を開いた。雨はまだ降っていたが、勢いは弱まっている。
「――ハーミス、ハーミス! 雨、ちょっとだけ止んできたよ!」
ハーミスも隣から顔を覗かせて、空の色と雨量を見比べる。晴れたとは言い難い天気ではあるが、双方ともにさっきよりはずっとましだ。
「本当だな、これなら雨に紛れていけるか……どうだ、エル、クレア?」
テントの中に戻ったハーミスが二人に問うと、答えは同時に返ってきた。
「好機ですね」「あたしなら行くわね」
「……決まりだな。テントを片付けて、黒い土の方面に向かうぞ」
彼がそう言うと、三人は頷いて荷物を纏め始めた。
テントは骨組みがしっかりとしているが、ワンタッチで折り畳みができる。四人が早々に外を出て、バイクにかけてあった大型光学迷彩マントを剥がし、テントと一緒にポーチとクレアのリュックの中に仕舞ってゆく。
手際よくアイテムを片付けていきながら、クレアがハーミスに聞いた。
「一応聞いておくけど、レギンリオルに入ってからの作戦とかはあるの? どこに行くとか、誰を狙うとか……」
「方々で騒ぎを起こして、聖伐隊をおびき出してぶちのめす。そんだけだ」
「……また参謀役の仕事が増えるってわけね。いいわ、あたしがそこらは考えとく――」
バイクのエンジンをふかしながら返事をしたハーミスに、呆れながらも、クレアはいつものことだと諦めた。ルビーもエルも、どうせ作戦など考えていないだろう。
とにかく今は国内に入るのを優先しようとしたが、そう上手くはいかなかった。
「――おい、そこのお前ら」
荷物を纏め終わり、マントを羽織った四人の後ろから、野太い声が聞こえてきた。
「っ!?」
息を呑んだ四人が恐る恐る背後を見ると、岩陰から三人の男達が近寄ってきた。
どこにでもいそうな成人男性だが、服装は聖伐隊の隊服に似ているものを着用している。違う点と言えば、色が群青色で、シンプルな聖伐隊のそれと比べて銀や銅の装飾が施されている点くらいだ。
高い確率で聖伐隊と関りのありそうな連中は、マントに身を包んだ四人を訝しんでいる。雨降る中、岩場でごそごそと何かをしていれば、疑われるのも当然だ。
「お前らだよ、お前ら。何をしてるんだ、こんなところで?」
ずい、と近寄ってくる彼らの腰には、剣と鞘が提げられている。
迂闊に返答をすれば、戦闘は免れられない。岩の間からこちらをじとりと見つめる三人を前にして、一行はこそこそと、なるべく内容が聞こえないように話し合う。
「……聖伐隊じゃないな、あの格好」
「群青色の軍服、恐らくレギンリオル正規軍の巡回兵です。こんなところで鉢合わせてしまうなんて、完全に想定外ですね」
「ルビー、匂いを全然感じなかったよ?」
「あたし達の匂いが流されてるように、こいつらも察しにくかったんじゃ……」
レギンリオル正規軍の巡回兵。よりによって、山賊や盗賊、魔物よりもずっと危険な相手に遭遇してしまったと思っていると、巡回兵の一人が声を荒げた。
「何をこそこそと話しているんだ! 我が国レギンリオルでは、この辺り一帯の立ち入りを禁じているんだぞ! 何をしていたか、正直に言え!」
正直に言えば、どうなるやら。勿論、四人とも話してやるつもりはない。
「……音を立てずにな。合図で、頼むぞ」
ハーミスが呟くと、作戦を立てずとも、クレア達は何をするべきか察した。
「うん」「はい」「がってん」
何を話しているのか、こいつらは誰なのかと首を傾げる巡回兵の前で、ハーミスはにっこりと爽やかな笑顔を見せた。当然だが、好意をアピールしているわけではない。本来の意味合いで言うならば、最も攻撃的な態度である。
一層おかしな表情になる敵の前で、ハーミスがすっと、彼らの後ろを指差した。
「……あんた達、俺達に質問するより、あいつらに聞いた方が良いんじゃないか?」
「あいつら、だと?」
それが、ハーミスの言う『合図』だった。
「今だ!」
彼が鋭い声で告げると、エルの両手から放たれたオーラと、一瞬で敵の間合いに飛び込んだルビー、互いの黒い手とオーラが巡回兵の首を掴んだ。
「ふんぶッ」「ごげッ」
そして、一発で首をへし折ってしまった。魔法と竜の腕力なら容易いものだ。
「お、お前ら何をぢゅえッ」
残る一人は驚く間もなく、顔面に刃を突き立てられ、即死した。
こちらはクレアの右手の装備、『射出装置内蔵型刺突籠手』から発射されたロープ付きのナイフによる攻撃だ。敵もまさか、少女が手を翳しただけでナイフが飛んでくるとは思ってもみなかっただろう。
クレアがボタンを押してナイフを手元に戻すと、雨に打たれる遺体が三つ出来上がった。大きな声を出させないままに始末させたので、援軍など呼べないだろう。
「……うまくいったわね。そんじゃ、さっさとここを――」
ハーミスも、エルも、ルビーも同じ考えだった。雨が血と死体の匂いを洗い流し、自分達の存在に気付いた者はきっといなくなるだろうと。
「――変な声が聞こえたが、何かあったのか?」
そんな考えは、甘かった。
バイクに乗り込もうとした四人の後ろから、これまた声が聞こえてきた。
今度は一人、二人ではない。岩陰から這い出てくるように、五人、十人、もっと顔を出してくる。ハーミス達同様、この周辺で野営でもしていたのではないかと思うほど現れた男達は、誰もが群青色の軍服を身に纏っている。
つまり、敵は始末した三人だけではない。ずっと、もっといたのだ。
雨と額を伝う汗を混じり合わせるハーミスの前で、男達が騒ぎ始める。
「な、何が起きているんだ!? お前らがやったのか!?」
これだけでも十分にまずいというのに、厄介な事態はさらに重なってくる。彼らの後ろからやって来たのは、なんと白い隊服を着た集団。つまり、聖伐隊の隊員。
「よく見ろ、こいつらは例の逆賊だ!」「あの男、ハーミス・タナーだぞ!」
自分達の正体を知っている連中は、ハーミスを指差し、大声で叫ぶ。
「……こいつらだけじゃなかったのかよ、巡回兵は」
「おまけに聖伐隊まで一緒とは、とことんついていませんね」
剣を抜く音、ぎゃあぎゃあと喚く声を前にして落ち着いた様子のハーミスとエルに向かって、最も状況を理解できているクレアが叫んだ。
「――さっさとここを離れるわよ! ハーミス、バイクを出して! 早く!」
言うが早いか、ルビーが宙に舞い、クレアとエルがサイドカーに乗り込む。
そしてハーミスがバイクに跨り、アクセル全開でバイクを走らせて、たちまち岩場から荒れ地に向かって逃げ去ってしまった。
砂埃を巻き起こし、爆走するバイクを少しだけ呆然と眺めていた兵士達だったが、たちまち我に返った様子で、一人が全員に命令を下した。
「お、おい、逃げたぞ! 追いかけろ、絶対に逃すんじゃないぞ!」
どたばたと岩を下り、掛け声が辺りを支配する。
岩場から、用意していたかのように馬が飛び出す。
バイクと大量の馬の、またも強くなった雨を掻き分ける鬼ごっこが始まった。
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