ゾンビ(前篇)

第170話 荒野


 ざあざあと、雨が天井に打ち付ける音が響く。


「……止まないな、雨」


 大きくごろごろとした岩が地から生え、雨で湿った砂や土がその隙間を流れていく。生物など一匹も見当たらない岩場に、ハーミス達はテントを張り、野営していた。

 如何に彼らが長旅に慣れているとはいえ、かれこれ二日は続く雨にずっと打たれていれば、体にガタが来てしまう。雨の勢いも激しくなるばかりだったので、しばしの休息をとることにしたのだ。

 入り口を少しだけ開いたハーミスは、外の景色を眺める。広い、広い荒れ地は岩で敷き詰められたようで、人の手はちっとも加えられていない。しかもそこから遠くには薄く、黒色の土が盛られただけの土地が見える。

 今のところ、人影は見当たらない。入り口を閉めたハーミスが振り返ると、ココアの入ったカップを片手に、天井を眺めてうんざりした様子のルビーが言った。


「ルビー、雨きらーい」


 隣で同じくココアを啜りながら、クレアが答える。


「この雨のおかげで、レギンリオル軍に匂いで追われてないのよ。それにちょっと止めば潜入もしやすくなるし、助かってると思いなさい」


「そうですね、今のところ敵に遭遇していないのはそのおかげかも知れません」


 エルもまた、雨を肯定してやると、雨天を嫌うルビーは一気にココアを飲み干した。不気味な天気がずっと続く中、ハーミスも座り込み、エルからカップを受け取る。


「……それにしても、不気味なところだな。本当に人が近寄らないのか、あそこは?」


「ええ、私が知っている限りでは。まるで、呪われているかのような扱いです」


「呪われてる、ねぇ……」


 ココアを飲みながら、ハーミスは半日ほど前の話を思い出した。

 ――彼らは今、軍事国家レギンリオルの国境、そのほぼ間近まで来ていた。

 バルバ鉱山から走り続けること丸四日、途中で何度か聖伐隊と遭遇したが、全滅させることで事なきを得た。一人でも逃せば自分達の進行方向がばれる上に、援軍まで呼ばれかねないと思うと、ハーミス達もかなり必死になっていた。

 予定通り西へまっすぐ進み、もう少し走れば国境の関所が見えてくるだろう、というところで日が暮れてしまい、一行は野宿することにしたのだ。


「はっきりと言っておきます。我々だけで関所を突破することは不可能です」


 そうして寝袋に潜り込む前のテントの中で、エルが三人にはっきりと言ってのけたのも、記憶にしっかりと残っていた。

 彼女の話を聞いたクレアは、口を尖らせてエルに反論した。


「ハーミスの『通販』オーダーで買ったアイテムでなんとかならないの? 光学迷彩マントとか、潜入するのに便利なもん、幾らでも売ってるでしょ?」


 マントのような便利なアイテムを『通販』で購入すれば早い話だとクレアは提案したが、ハーミスは首を横に振った。


「今回のカタログに目ぼしいもんはなかった。更新を待ってもいいんだが、ここから先は戦闘用のアイテムを買いたいからな。できれば買い物なしでレギンリオルには入りたいと思ってたんだ。で、関所の正面突破も視野に入れてたんだが……」


 今度はエルが、首を横に振る番だ。


「レギンリオルは国土が海に面していない分、国境地帯には関所と警備施設が山ほどあるんです。仮にマントを使っても、魔法やスキルで見抜かれる可能性があります。先日、カルロを相手にした時のことを、お忘れですか?」


 忘れたはずがないだろうと言いたげに、ハーミスは顔を顰めた。

 カルロの作った機械兵は、光学迷彩マントの中身を見抜いていたと、戦いが終わった後の一同は結論付けていた。そうでないと自分達の襲撃がばれていた理由が理屈づけられないし、その技術が本国にも届いているなら、マントを過信もできない。


「しかも首都を中心として、東西南北にレギンリオル正規軍の軍事拠点が設置されています。これこそまさに要塞、大陸の四割を占める国土を守る拠点……鼠一匹、通過を許さないでしょう」


 おまけにエルの言う通りならば――ある意味周知の事実でもあるが、レギンリオルは軍事国家を名乗るだけあり、国防の力はとてつもない。

 唯一レギンリオルの軍事関係についての情報を知るエルがこう言うのだから、信じても良いだろう。加えて関所と警備施設まであるのなら、正面突破やちょっとした小細工など恐らく通用しない。数の暴力に潰されて、お終いだ。

 それだけならば、侵入は不可能だろうと諦めて終わりであった。そこで終わらなかったのは、エルの話に、まだ続きがあるからだ。


「強いて言うなら、私達のいる東部から北部にかけての警備が薄いですね。それでも正規軍に加えて、今は聖伐隊もうようよいますので、危険性は変わりありませんが」


 ランタンの灯りを調節しながら、ハーミスが聞いた。


「警備が薄いって、どうしてだ?」


 寝袋の中で指を組み、エルが答える。ルビーはというと、すっかり夢の世界に旅立ってしまったようで、すやすや寝息を立てている。


「……分かりません。ですが、北東のヴォーデン荒野に面した国境周辺、その一部分だけは何故か関所が存在せず、内外問わず人が殆ど近づかないと聞いたことがあります」


「そんなの、そこから攻め込めば楽勝じゃない。何を考えてんのかしらね」


 寝袋から身を乗り出したクレアの言う通りだ。厳重な警備をかいくぐれる地域があるなら、レギンリオルに恨みを持つ連中がそこに押し寄せてくるはず。仮にその類の罠であるなら、エルも何かしらの話を聞いていると、クレアは予測したのだ。

 ここでもまた、エルは渋い顔を見せた。


「理由までは教えてはもらえませんでした。しかし、軍隊が警備を拒むほど忌避されている土地でもあります。もし、私達が安全に侵入できる場所があるとすればそこでしょうが、侵入を許した記録もありませんでした」


 警備を拒むとまで言った。つまり、罠でも何でもなく、本当に人間はその地域に近寄りたがらないのだ。なのに、侵入に成功したという記録がない。

 謎が謎を呼ぶ奇怪な土地ではあるが、利用しない手はない。ハーミスもそう思っていたし、クレアも同じ意見だった。


「――そこ、試してみる価値はあるな。警備が薄いなら、狙わない手段はねえよ」


 ハーミスの鶴の一声で、次の目的地は決まった。


「では、早速移動しましょう。ここから北東の荒れ地までは、馬で一日半ほどです」


「なら、半日で行けるな」


 レギンリオル北東部、ヴォーデン荒野の『呪われた土地』。

 翌朝、早々にハーミス達はテントを仕舞い、聖伐隊の目から逃れたり、時には全滅させたりしつつバイクを走らせていると、激しい雨が降ってきた。

 そうして、現在に至るのだ。

 妙に冷たい雨と、岩の間を縫う水の音が響く。

 まだ昼間だというのに、夕方くらい暗く染まった空は、随分と不気味だった。

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