第172話 崩落


「エル、敵を迎撃してくれ! ルビー、炎だ!」


「了解です」「分かった!」


 降りしきる雨が体にぶつかる感触を覚えながら、ハーミスが顔を拭う。突き出た石や突起物で横転しないように運転しつつ、エルとルビーに向かって大声で叫ぶ。

 エルが後ろを向くと、雨の中だというのに、敵は群れを成して追いかけてくる。荒野に散らばる石を桃色のオーラで包み、彼女が纏めてそれを馬に向かって投げ飛ばすと、二、三頭の馬が転倒し、乗り手も倒れ込んだ。

 後ろを向いたルビーも炎で敵を近寄らせまいとするが、こちらは効き目が薄い。なんせ、射程距離はどうしても魔法より劣るし、そもそもそこまで敵は来ていない。


「ガウ、炎が届かないよーっ!」


「魔法で防御は出来ますが、数が多すぎると対処に……あれ?」


 攻撃されても敵意を剥き出しにしてきた聖伐隊と巡回兵達だったが、ハーミス達を乗せたバイクが浅黒い泥地に踏み入った途端、馬の足を止めた。

 炎を吐くのをやめたルビーがじっと見つめると、相手は何かに怯えるかのように馬を引き留めている。その間にも、一行と敵の距離はどんどん遠のいてゆく。


「あいつら、追ってこないわね……?」


 理由は不明だが、相手はこの地に近寄るのを拒んでいるらしい。


「エルの言ってた通り、どうやら本当に人間は近寄るのを嫌がるみたいだな! だったら都合がいいぜ、このままレギンリオルに――」


 このままレギンリオルに突入できる。

 ハーミスはそう言おうとしたが、不意に体ががくん、と揺れ、言葉を止めた。


「――えっ?」


 てっきり地震でも起きたのかと思ったが、そうではない。

 ハーミスが走らせるバイクの足元がめきめきと音を立て、まるで泥を吸い込むかのように地面が崩落したのだ。黒い泥の下に待ち構えているのは、底の見えない暗い闇。

 バイクに乗ったハーミスも、クレアも、エルも、状況が理解できなかった。

 宙に浮いている。大きな音が耳に入る。ふわり、と宙に体が浮いたのと同時に。


「ちょ、おいおいなんでうわあああぁぁッ!?」


 乗り物諸共、ハーミス達は呑み込まれるように、巨大な穴へと落ちて行った。


「ハーミス、皆!」


 そんな事態を、空を飛んでいたおかげで唯一免れたのはルビーだ。

 危機に気付いた彼女は、泥の穴の中へと飛び込み、落ちゆくバイクのサイドカーを両腕で掴んだ。相当重いようで、顔に力が入ったが落下は免れた。


「ナイスよ、ルビー! 外まで運んでちょうだい!」


 車体にしがみ付くクレアの指示に従い、ルビーはぽっかりと開いた穴の外、どんよりとして雨が降りしきる外に向かって加速し、飛び上がった。

 重しがあるのでいつもよりは遅いが、敵は追ってこないし、出られれば問題ない。


 出られれば、だが。


「うん、外まで……んぎゃっ!?」


 ルビーが外に出ようとした途端、穴の外と中の境目で、彼女はまるで見えない壁に激突したかのように鈍い音を立てて止まってしまった。あまりに強い勢いでぶつかってしまったからか、気を失ってしまったようで、ふらりと空中で体が揺らぐ。

 そうなれば、ルビーが掴んでいたバイクと、仲間達はどうなるか。


「ちょっと、ルビー!? 何なのよ、何にぶつかったって、きゃあああ――……」


 言わずもがな、四人とバイクは深い闇の中へ、姿を消していってしまった。

 体はたちまち、声は反響しながら、穴は何もかもを呑み込んだ。げっぷの一つもしない空虚なそれは、少しの間その場に留まっていたが、暫くして、二人の聖伐隊隊員がひょっこりと顔を覗かせた。

 泥の感触を感じてか、或いは他の理由でか、露骨に嫌そうな顔をしている。


「……あいつら、落ちていったな。どうする?」


 一人が仲間に顔を向けると、もう一人はもっと怪訝な顔をした。


「どうするもこうするも、この先は『忌物いみものの墓』だぜ。生きてる人間は近寄らないし、俺だって絶対に行きたくねえよ」


「同感だ。木材と土を集めてさっさと穴を埋めて、報告だけしとけばいいさ」


 二人が小さく頷き合い、片方が耳に挟みこんだ白い通信機に話しかけた。


「……ユーゴー様、例の反逆者一行を見つけました。しかし、『忌物の墓』の周辺に落ちて行ったようです。どうせ死ぬだけかと思われます」


 少しばかりの沈黙の後、通信機の向こうから声が返ってきた。


『――いいや、あいつらのことだ。思ってるよりもしぶといぜ』


 ひひひ、という笑い声と共に聞こえてきたのは、楽しそうな男の声だった。

 まるで、待っていた獲物がかかった時のハンターのような声。しかも、人間の言葉を発しているのに、人間ではない何かが真似ているみたいで、隊員は思わず間の抜けた声を出してしまった。


「はい?」


『俺様がそっちに向かう。てめぇらは穴を埋める作業をしとけ、そんだけだ』


「り、了解です」


 苛立った調子に変わった男の返事を聞いて、慌てて隊員は通信を終えた。

 彼が通信をしていたのは、とある白い石造り兵舎の壁にもたれかかる男。

 大きな窓から土砂降りの雨越しに、彼は外を眺める。遠く、遠くを見据える彼の目は、赤く染まったり、青く染まったり。とんとんと組んだ腕を鳴らす指は、肌色ではなく、鉄そのもののような色。

 人間の形でいながら、人でないそれは、金の歯を見せながら、口を引き攣らせて笑う。


「……墓に落ちた程度で死ぬわけがねえよなあ。つーか、それくらいで死なれちゃ困るんだよ。俺様の復讐も、まだ終わってねえってのによ」


 首の関節を鳴らした彼は、ばっと隊服を翻し、隊舎に並ぶ隊員達に告げた。


「お前ら、出撃だ。『忌物の墓』に落ちた反逆者を皆殺しに行くぜ」


「「はっ!」」


 その数は、ハーミス達を追ってきた十人前後の人数どころではない。

 たかだか四人程度の反逆者を追う人数とは思えないほどの、軍隊と呼ぶにふさわしい聖伐隊の隊員達が、兵舎に響き渡るほどの大きな声で応えた。

 そして、彼らが聖伐の為の準備に取り掛かっている横で、男は積み重ねられた木箱の横でぼんやりとしている者にも声をかけた。聖伐隊の隊服を着て、ここにいる以上、その者もまた使命があるのだ。


「……おい、お前もだよ、エミー。ぼんやりしてんじゃねえよ」


 命令されても、それは鈍い声を、包帯の奥から放つだけだった。


「……ウゥ……」


 髪も見えないほど顔中を包帯に包まれ、唯一見える右目を忙しなく動かすそれもまた、男と同じく、今は人間ではないようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る