第161話 魔竜③
青い瞳に映った赤い闇が、確かに揺らいだ。
静かに、ハーミスはもう一度聞いた。
「お前のせいで死んだとして、だ。その死で、お前を憎むと言ったか?」
「うる……ざあぁいッ!」
今度こそ、ルビーは怒りに身を任せて、ハーミスを殴り飛ばした。
「ぐおがッ!」
坑道の壁に繋がれたパイプを破壊するほどの勢いで殴られ、吹き飛んでも、彼は立ち上がった。土汚れと血が混じっても、ハーミスはまだ声を発するのを止めなかった。口元の血を拭いながら、ルビーの心に伝えたいことを叫んだ。
「ルビー、トパーズの死を忘れて誤魔化せって、あいつは言ったか!?」
トパーズの話をされた彼女は、口が裂けるほど叫び返す。しかし、殴りかかっては来ない辺り、何かに気付きかけているのだろうか。
拒み、ただ想いを内に秘める為だけに、ルビーの声は今、存在している。
「うるさい、うるさい、うるざいいいぃぃッ! ルビーのせいじゃない、ルビーのせいでトパーズが死んだんじゃない! ルビーは悪ぐなあぁいッ!」
それを認めてはいけないと、ハーミスはもっと大きな声で、喉が潰れるのも構わない。
「分かってるよ、それくらい! お前が大事な人の死を受け入れられないのも、弱さじゃないって、優しさにつけ込まれたんだってことも!」
今しかない。あの話をするなら、今しか言えない。
彼女の心を取り戻す為には、感情の全てを取り戻す為にはこれしかない。額から流れる血を拭いながら、ハーミスは仲間の秘密を、一つ吐露するしかなかった。
「お前も知っただろ、村長が死んだ時だ! 自分のせいで誰かが死んだらな、後悔に苛まれるんだよ! あの時、金を持ち逃げしたクレアが、つい最近まで悪夢にうなされてたって聞いたか!? 村の皆に指差されて、呪詛を吐かれるんだとよ!」
即ち、クレアの痛みと、隠していた苦しみを。
「……クレ、ア、が?」
叫ぶだけだったルビーの瞳が、澱みから僅かに解き放たれた。
ハーミスがクレアからそんな話を聞かされたのは、獣人街を出て間もない頃だ。悪夢にうなされ、跳び起きたクレアの声でハーミスが目を覚ましたのが、切欠だ。普段は泣きもせず、悪態ばかりつく強気な少女が、己が生み出した過ちに泣いていた。
今のルビーと、あの時のクレアが重なって見えたのだ。死をただ罪だと、逃れられない重みと過ちとしか捉えられなかったクレアとの、小さな火を囲んだ話し合いができるなら、今でもと思い、ハーミスは話を続ける。
「自分のせいで、誰かが死んだからだ! 忘れられないんだよ、誰も!」
必死に言いたいことを、良くない頭で紡ごうとするハーミスだったが、ルビーはまだ、カルロと共に居た楽しみと喜びを頭の中に取り込もうとしている。
「……知らない、そんなの、知らない! ハーミスにも、分かるわけないッ!」
いや、その段階はもう終わった。彼女は今、否定だけをしている。
カルロとの記憶などない。自分の罪を、大きな傷をこれ以上広げてなるものかと、ただその考えしかないのだ。だから今、カルロの命令を全うしてハーミスを殺そうともせず、ひたすら 頭を抱えて、尾と翼を振り回し、周囲を破壊しながら苦悶している。
ならば、自分の痛みだって伝えなければいけない。獣人街とまではいかなかったが、ハーミスもまた、闇をずっと、心の底に抱えていたのだ。
「俺にだって分かる! 俺のせいで、俺のせいで死んだ人もいるんだから!」
今度こそ、ルビーの動きが完全に止まった。暗い瞳が、はっきりとハーミスを見た。
「……村長が死んだ。エルの家族も死んだ。クラリッサはきっと、どこかで死んだ。どうやったって死は乗っかるんだ、苦しいのが分からないなんて、そんなわけないだろ」
最初は、ジュエイル村の村長。クレアとは別の理由で、他の手段で救えなかったのかと己を恨み、その思念が村長の形を取り、毎晩夢に出てきた。
次はエルの家族。ミン、アミタ、ポウが、自分達も助けてくれなかったのかと恨み言を告げてきた。そんなはずはないとしても、ハーミスの闇は拭えなかった。そしてクラリッサは、もっと早く出会いたかったと悲しそうに呟いてきた。
戦う度、どこかで人と出会う度、ハーミスの肩に死は圧し掛かった。ルビーが背負うよりずっと前から、もっと重く、強く、圧し潰さんばかりに。
「……だったら、どうして……」
か細くなった声に、ハーミスは愁いを帯びた瞳で彼女を見つめ、答える。
「背負ったとしても、後悔してばっかりじゃ生きていけないじゃねえか。トパーズは何て言ってた? 罪を背負って一生を生きろ、か? それとも――」
トパーズの想いと、ハーミスの言葉が重なる。
「――受け入れろ、か?」
はっと、ルビーが何かに気付いた。ようやく、気づいたのだ。
「……ッ!」
ハーミスの目を、ルビーがやっと見た。これまでは合っているだけ、見つめられてなどいなかった。だが、今はようやく、彼女はハーミスの目を、その感情を見据えられた。
彼の目は、優しかった。
今まで見てきた他の誰よりも、ずっと、もっと優しかった。カルロの傍にいた偽りの記憶、その全てを足しても、ハーミスには敵わなかった。
「……難しいよな、一人で受け入れるなんて。とんでもない失敗をしたり、取り返しのつかない過ちを犯したり。苦しいよな、やんなっちまうよな。クレアだってそうだ、あいつは言ってたよ、一人だったら、きっと壊れてたって」
パイプが崩れ、倒れ、蒸気が漏れる音も、ハーミスの話を掻き消せない。
「そうならなかったのは――皆がいたからだって」
彼と、彼の仲間――ルビーを繋ぐ声など、誰にも止められない。
同じくらい、二人の、四人の絆は、心を支配する首輪の一つで壊せるはずがないのだ。
「俺も言ったよ、どんな過ちでも、苦しみでも、一緒に償って、一緒に分かち合う。そんでもって、命を懸けて互いを守る。そういうもんだろ、仲間ってさ」
「……仲間……」
そして、何よりも大事な、忘れてはいけないことがある。
ハーミスの心を支え続けてきた、礎の言葉。
「……そういや、お前にだけは言ってなかったな。魔法の言葉があるんだ、クレアやエルには言ってたけど……今、お前にも教えるよ」
ルビーに教えていなかった、ただ一つの魔法。
「『どんなことでも、やり直せる』。一緒なら、何度だってな」
何度だって、やり直せる。
笑顔を見せたハーミスの前で、溢れ出た感情が涙となり、ルビーの頬を伝った。
何度だってやり直してきた。
戦いの中で、旅の中でやり直してきた。その度に信じられる道を見つけ、明るい希望を伝えてきた。カルロの洗脳で作られた偽りの記憶には、決してあり得ない出来事だ。
彼は都合の悪い事実から目を背け、責任転嫁ばかりで生きてきたのだから。
「……なあ、ルビー。俺達と一緒に居た時間は、なかったことにできるのか?」
はらはらと涙を流すルビーに取り付けられた首輪を、ハーミスは指差す。
「カルロのちんけな首輪一つで、全部なかったことになっちまうのか? あいつの甘い誘惑で、洗脳で、俺達の旅も何もかも、お前の中から消えちまうのか?」
彼は気づいていた。首輪こそが洗脳を引き起こしたアイテムであり、こんなもの一つが、自分達の旅路と、思い出を消し去ろうとしているのだと。
許されるはずはない。知っていながら、ハーミスは聞いた。仮に彼がルビーの立場であったなら、どれだけ苦しくて、忘れたい過去があったとしても、その出来事だけが全てではないと知っている。だから、絶対に選ばない。
「認めてやれ。過ちも、苦しみも。そんでもって、前に進むしかねえんだ」
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