第162話 魔竜④
傷口から流れる血が乾きゆく中、涙を隠すように俯いたルビーが、再び顔を上げた。
「……ないよ」
過ちを認めないのではなく、認められないと、自ら決めつけてしまっていた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔は、知りたくなかった真実を突き付けられている証でもあった。偽りの喜びと幸せが、剥がれつつあったのだ。
「許されていいはずが、ないよ。こんなことして、ルビーは、もう……」
狭間に留まり、苦しむルビーに、ハーミスは一歩だけ歩み寄る。
「許すかどうか、決めるのは相手だ。自分が決めちまったら、永遠に誰も、自分を許せなくなっちまうだろ? トパーズはお前に、なんて言ってた?」
「トパーズは、ルビーに……」
「ずっと後悔したまま生きろって言ったか? 自分の死を背負って惨めに逃げろって言ったか? 巣にいた時も言ったはずだぜ、お前にだけはな」
彼女の手を引き、闇から光に戻してやれるのは、今はきっと、自分だけだ。
「一緒になら、何だってやり直せる。だからルビー、俺と一緒に……」
だからハーミスは、手を伸ばした。
心の闇から彼女を救い出し、真っ直ぐ前を見据えられるよう、笑顔で迎え――。
「何だ、ルビー! まだハーミスを殺せてなかったのか?」
迎えられは、しなかった。
ルビーの後ろから、痺れを切らした様子のカルロがやって来たからだ。
その背後には、おまけとばかりにたくさんの機械兵もついてきている。彼は警戒心が強いのか、ルビーとハーミスには必要以上に近づかず、甘い声で彼女の名を呼んだ。
「ルビー、早くハーミスを殺せないと、ご褒美が無くなっちまうぞ? 俺からのあまーいキスだ、前からずっと欲しがってたよなあ?」
カルロのキスなど、考えただけで胃液がこみ上げてくるが、彼としてはいたって真面目なようだ。どうやら人との接し方は、
目を閉じたままのルビーに代わって、ハーミスは鼻で彼を笑った。
「お前からのキスなんて、夢見が悪くなりそうだな」
「黙ってろよ、この子はもう俺のもんだ。俺の愛情だけを欲しがって生きる、代わりに愛情を与えてくれる最高の仲間さ……ほら、どうした、ルビー? お前の目的は、あの邪魔者をブチ殺すことだろ?」
虚ろな目を三度開き、ルビーがハーミスを見据える。
「……ルビーの……目的は――」
それでも動こうとしないルビーを見ていて、思い通りにならない彼女の態度にたちまち苛立ちが募ったのか、カルロは機械兵に命令を下した。
「仕方ねえな、俺が手伝ってやるよ。機械兵ども、ハーミスを捕えろ」
『了解シマシタ、捕ラエマス』
言われるがまま歩き出し、ルビーを通り越してハーミスを捕縛しようとした機械兵達だったが、そのうち一匹がルビーより前に進もうとした時、彼女の手が動いた。
ぐっと、機械兵の頭を掴んだのだ。ハーミスではなく、彼を狙う敵の頭を。
「…………おい、何をしてんだ、ルビー?」
カルロの問いかけに、彼女は言葉では応えない。
代わりに、機械兵を掴む指の力を強めた。周りの兵隊達が困惑したかのように、ちっとも動かなくなる中、みしり、みしりと嫌な音を立てた。赤い一つ目を破裂させたかと思うと、それは彼女の掌の中で潰れ、ただの残骸と化した。
ルビーが手を離すと、残骸は地面に落ち、がしゃん、と崩れ落ちた。
カルロも、機械兵も、事態を理解していない。呆然と一同が見つめ、蒸気の音だけが聞こえる坑道で、ルビーは自分の首に手をかけ、そして。
「――ルビーの目的は、導いた者として、戦うことだああぁぁッ!」
首輪を握り締め、引き千切った。
洗脳から解き放たれたルビーの瞳は、竜としての誇りを取り戻していた。
ハーミスの言葉が、死の重みに支配されたルビーの心を救ったのだ。その一方で、仮初の愛情で彼女を満たそうとしていたカルロは、一転してパニックに陥った。
「な、そんな、洗脳がッ!?」
実用に至ったことは今までなかったのだが、カルロは自分の発明品は万能であり、完璧で、何一つの欠陥もないと思っていた。なのに今、ルビーはハーミスを殺すどころか、ルビーを敵として認識した機械兵を両腕と尻尾で砕き、壁に叩きつけている。
『ガガ、ピーッ!』
魔物や亜人との戦闘では決して負けないような武器を持たせ、生産性に優れた兵士達。なのに今、ドラゴンの頭突きで頭を吹き飛ばされ、腕をもぎ取られている。
坑道の中では収まりきらないほどの破壊。それにばかり目が行ってしまったからこそ、カルロはちっとも気づかなかった。
「――成程な、それがお前の選んだ道、トパーズの願いってわけか。だったら!」
機械兵の間をすり抜け、カルロのすぐ真下に、ハーミスが潜り込んできたことに。
彼が握り締めているのは、持ち直した捕縛銃。当然だが、撃ちはしない。
捕縛などは、目的ではない。彼の目的は、ただ一つ。
「仲間として、とことん付き合ってやるぜえぇッ!」
彼は右手に持った銃で、カルロの左頬を思い切り殴りつけた。
「ぶご、ぐびゅええぇぇッ!?」
カルロの顔面に直撃した銃身は、彼の歯を三本ほど、口から弾き飛ばした。
気分爽快、といった表情でカルロを殴ったハーミスは、ふん、と鼻を鳴らしながら、仕返しと言わんばかりに彼を見下した。カルロはそんな相手の態度に我慢ならないのか、よろよろと起きながらも、折れた歯も構わずに喚き散らした。
「ぐ、こ、このぉ! 殺せ、ハーミスもドラゴンも、纏めて殺しちまえ!」
またも坑道の奥から集まってきた機械兵達の後ろに身を隠し、ハーミスが兵隊達に捕縛用の特殊弾を撃ち放っている様を見ていると、彼に機械兵が一匹近づいてきた。
『カルロ様、カルロ様、緊急事態デス』
「緊急事態だぁ!? この忙しい時に!」
そして、カリカリと苛立ち、頭を乱暴に掻く彼の心を砕く報告をした。
『ワイバーンガ、再度襲撃ヲ仕掛ケテ来マシタ』
信じられなかった。
一度は撤退したワイバーン達が、こんな早くに再び攻撃してくるなど。あまりにも想定外の事態過ぎて、カルロの口からは、出さなくても良い情報がべらべらと出てきた。
「なんだとぉ、ワイバーン達がまた攻撃してきやがったのか!? まさか『門』を力技で壊しに来たんじゃないだろうな、あれは打撃に弱いんだぞ!」
『門』は物理攻撃に弱い。力技で壊せる。
「アホだな、あいつは。いちいちべらべら喋ってくれやがる」
聞いてもいない情報を教えてくれたカルロの間抜けぶりに内心喜びながらも、ハーミスは磁石の力を用いた捕縛装置で雁字搦めにされた機械兵を蹴飛ばす。
転がり、動けなくなった機械兵を無視して、ハーミスは思案を巡らせる。兵隊と共に及び腰になっているカルロを見る限り、この状況は紛れもない好機だ。
「でも、クレア達が攻撃してきたってことは、今度は勝算があって襲撃を仕掛けてきたってわけか……だったら!」
だとすれば、とハーミスは、機械兵同士をぶつけて潰すルビーに向かって叫んだ。
「ルビー、ここは俺に任せて、バルバ鉱山を出ろ! 外のクレア達と合流するんだ!」
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