第140話 撒餌


 いよいよ船がぐらつき、後部が割れて落ち往く音が聞こえてきた。


「ハーミス、エルとクラリッサがバイクに載ったよ! 後はクレアだけ……あ、来た!」


 報告と一緒に、シャロンの部屋に叩き込まれていたクレアが出てきた。両手に何かを抱えた彼女は、火の中に落ちそうなリュックを掴み取ると、ルビーに駆け寄ってゆく。


「ヤバいわよ、もうちょっとでこの船も沈みそうなんだけど! 手に入れる物は全部手に入れたわ、ハーミス、あんたもさっさとこっちに来なさい!」


「遅れといてあの言い分かよ……ああ、そうだ。シャロン、聞きてえことがある」


 彼女の無事に安堵しつつも、ハーミスはシャロンを見下ろし、冷たい目で捉えた。


「ローラの――『本当の狙い』は、何だ?」


 青い瞳で彼が聞いたのは、魔物を滅すること以外の、ローラの狙い。

 シャロンならば何かを知っているかと思ったが、彼女は鼻で笑うだけだった。


「……知らないじゃん、興味ないじゃん」


 となれば、もう彼女に用はない。


「そうか。じゃ、餌としての余生を満喫してけ」


 鼻で笑いすらせず、コートを翻し、ハーミスはルビー達の下に走り出した。

 彼女に抱えてもらい、ハーミスとクレアはそれぞれバイクに乗り込む。ぎゅうぎゅう詰めのサイドカーに全員が載っているのを確認したハーミスは、もうアクセルを握りもしない。シートにしがみ付き、崩れ落ちる船を背に、力いっぱい叫んだ。


「自動運転、オン! 最大出力、ここから離れるぞ――ッ!」


 ごった煮のような人員の詰め込み方でも、バイクは主人の命令を聞いた。

 島を出た時より早く、船に接近した時よりもずっと速く、海を両断するかのようなスピードで、フルパワーのバイクは爆走した。クレア達の吐き気も、飛ぶ気力もなくバイクにしがみ付くルビーも連れて、ただ走った。

 その背後で、ゆっくりと船は沈んでいった。主であるシャロンと共に、城の如き純白の船は、炎の赤と海の青のコントラストの中、ゆっくり、ゆっくりと闇の中に消えた。

 轟音と共に沈没したアルゴーのマストに縛られたシャロンは、当然のように生きていた。文字通り不老不死の彼女は、この程度で死にはしない。周囲を船の残骸で埋められていったとしても、ハーミスへの怨嗟で頭が埋まるくらいには余裕がある。


(ハーミスの野郎、まさかうちが溺死するとでも思ってたじゃん? そんなわけないじゃん、何年かけてでもこの鎖を外して、復讐してやるじゃん!)


 だが、そんな余裕も、たちまち掻き消えてしまうこととなる。


(それにしても、餌ってのはどういう意味じゃん? うちは捕食者なのに……ん?)


 ふと、沈みゆく彼女の前にやって来たのは、一匹の小魚。

 周りを見れば、セイレーンや隊員の死体も一緒に沈んでいる。もしかすると、死骸を食べに来たのかもしれない。呑気なものだ。

 ――そう思っている、彼女の方が、呑気なのだ。


(魚如きが、何の用――じゃ、じゃぎゃあああああああ!?)


 なんと小魚は口を開き、シャロンの目玉を抉り、食べ始めた。

 魚にとって、海に落ちてきて動かないのであれば、生きていても死んでいても関係ない。そして誰もが知らない事柄だが、ここに生息する魚の九割が、肉食である。つまり、彼女もまた、餌に過ぎないのだ。

 食べられた眼球は、即座に再生する。しかし血は流れ、水に混じり、他の魚を引き寄せる。大小さまざま、餌を漁りに来た魚達に取って、こんな豪華なディナーはない。

 あっという間に、数十匹近い魚達によって、シャロンはもみくちゃにされた。


(さ、ざがな! ざがなごどぎが、うぢをだべるなああぁ!? 離れろ、ばなれど、どっがいげええええぇぇ!)


 人間の言葉など通じない。そもそも、話にすらない。

 喰われるものと、喰うものの立場の差だ。会話など不要と嗤っていたのは、シャロンの方だ。あまりに残酷な食物連鎖の結末を、彼女は身をもって表す。

 喰われて、再生する。不老不死のまま、永遠に餌となる。


(ぐわれる、だべられる! どうじで、うちはほしょくしゃ、ほしょぐじゃなのにいいいいいいいいいいいい!?)


 深い、深い海の底。

 誰にも知られず、ただシャロンという名の撒餌は、生命の営みに貢献していた。

 本人が自由で、幸福かは、ともかく。

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